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2004年5月22日 ー 「戦艦大和と乗員足立光男」を読んで (私の幼年期の戦争体験とダブらせて) ― 2003年7月26日,日本航空717便バンコク行きの機内,私は,嘗ては旧日本軍の死闘の場であった当時のビルマ,現在のミャンマーの電力を調査するため,その機上にあった。成田を出て1時間と少し,機長のアナウンスが何の感動もなく静かに響き渡る,「間もなく左手の窓から沖縄本島が視野に入ってきます。」。ぷかりぷかりと浮かぶ小さな白雲の群れの中,真夏の太陽に照らされた海面にそれと認識できる連波,何とも平和な沖縄の海の景色であるが,梅田義孝氏の書かれた「戦艦大和の乗員足立光男」の文書の存在を知った私には,58年前のその海面で,断末魔,のたうち回る戦艦大和の艦影が見える想いである。この記録は,「足立隼夫の主張」と言うよりは,かなり私事に属することで,しかも私の幼年期の戦争体験をつづったものであるが,これも既に半世紀以上がすぎた嘗ての大戦の伝承の一部と思い,ここに記録にとどめておきたいとの気持ちである。この記録の発端は,鈴木篁氏のご努力によるものと,更に,旧三高の同窓会誌に貴重な記録をとどめていてくださった梅田義孝氏に負うところが大きい,特に梅田義考氏には氏の書かれた貴重な原稿の一部を大量に引用させて頂いており,心からお礼を申し上げます。
2001年4月1日 ー 私の技術的知見とJICA開発調査との接点,足立隼夫専門員退任(鉱工業調査部)記念講演レジメ ー 私のJICA専門員退職に当たり,鉱工業調査部が,実に2時間の講演の機会を与えて下さいました。テーマーは,主として水力関連の開発調査の手法に関係したもので,私も張り切ってやらせていただきました。大竹資源調査課長の,「足立さん,最後に全部吐き出しておかなければ,健康に良くないだろう」の言葉にあるように,幹部を交えての講演会で,すっきりして次の仕事に就かせていただきます。全部で,大小交えて30項目を取り上げましたが,最後の3項目は,JICA全体の記念講演に使わせていただいたものです。プレゼンテーションに使用した内容ものせています,図表など,少し重いですが,我慢して下さい。「専門」とは水の波紋のようなもの,中心はまさしく自分そのものであるが,弱くなりながらも波紋は無限に広がって行くものだと思います。JICAのプロジェクトに参加する場合も,自分の専門の波紋の中心にそのプロジェクトが位置することは,一般には非常に難しい問題です。しかし,私の場合は,この13年間の仕事は,少なくとも資調課との関係に於いては,殆ど波紋の中心にあった,と言っても差し支えないと思います。出来るだけ波紋の中心から話をはじめさせていただきます。
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