私の主張 10

ー 国際協力の場における地方電化の難しさ ー

(2000/5/18)


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昨夜,親しい友人と食事をしていて,話は地方電化に及んだ。「地方電化は,ODAの重要なアクセサリー」とか何とか言いながら,ついつい本音で議論していたら,自宅に帰ってから,過去にモロッコ,パキスタン,ラオス,カメルーン,ベトナム,ブータンなどで苦労したことが蘇ってきて,なかなか寝付かれず,あのことも,このこともと考えていると,これは今メモしておかなければ,脳裏から消え去ってしまうなあ,と考えて,取り急ぎ筆を執った次第。いつもの通り,勘に頼ったストーリーになってしまうが,これから時間をかけて,この勘が当たっているかどうか,自分でも調べてみたいと思っている。電力分野のBHN(BasicHumanNeeds)は地方電化,とばかりに,今や地方電化が論じられなければ,電力エンジニアーとは言えない,と言う雲行きであるが,私は,「地方電化」は,「言うはやすく行うは難し」,と言うのが実感で,いろいろな疑問点がある。勿論私は,国際協力で地方電化を扱うことに反対しているのではなく,これから開陳する疑問点を,今後如何に協力の現場に行かすべきか,を考えようとしているのだと,思っていただきたい。次の予定まで2時間あるので,とりあ えず2時間で書き上げるぞ。


1.農村電化と言うはやすく行うは難し

もう10年以上前になるブータンの地方電化のための小水力は,電発インターナショナルの手でエンジニアリングが行われたものであるが,後でその現場を訪ねて,当時の人々の苦労を偲んだ。自分自身,モロッコのアトラス山脈を訪ねて,吹雪の中,1000mの谷底に200人の村落があってあそこに50KWの発電が必要なのだ,と言われても,雪にかすんだその谷底に降りて,また上がってこいと言うのだから,これは二の足を踏んだ。そこに100万KWのダムを造るから降りてみてこい,と言われれば,そこに吹雪があろうと地雷があろうと,よし!と言って降りて行くが,あの下に50KWの地点があると言われても,とても降りて行く気がしない。パキのペシャワールの奥地に入った時も,雪に煙る対岸のその奥に村落あり,と言われて,「分かった,分かった」と言って引き返してきた。カメルーンに行ったときは,5日間,シャワーを浴びる水もなく,準備不足でバナナだけを食べて埃まみれのまま,マラリアの蚊が唸る板敷きの廊下に眠ったこともあった。私の経験も,コンサルタントとして長期に調査や作業に従事する人や奥地に地元の人々と共に生活する青年協力隊の方々に比べれば ,大したことではないとは思う。でも,目的が目的で,20KWのために大の男が身を危険にさらして,なんて言うのはいかにも不合理,と言うのが,当時の私の偽らざる心境であった。パキスタンのペシャワールの山奥では,とにかくそちらでもう少し調査資料を作ってくれたらどうか,地方電化というのは,外国人のエンジニアーがやるものではない,地元のエンジニアーが,少なくとも地形図,地質調査,水文資料を整えてくれて,それからプロジェクト発進と行くべきだ,とか何とかカウンターパーツに当たり散らしながら,山の中を歩いたものである。

それほどに,電気のない村落を訪ねてそこにどのような電源を供与するか,と言うことを考える作業は物理的に困難なもので,しかも経済効果を考えると,果たして外国人のエンジニアーがやるべき仕事かどうか,疑問をつい持ってしまう。人はそこに人類愛があるという。確かに,子供が激流に流されたとき,人は経済効果を計算することなく,川に飛び込んで助ける,と言うことはよくあることだし,それは美談である。しかし私の疑問は,電気というのはBHNではなかろう,と言うことだ。太古の昔から,水,食料,医療なくして人類は生きられなかったであろうから,これはまさしくBHNで人類愛がそこにあるべきだと思うが,電気はそれこそ近代化の産物で,そこに重厚な産業を発達させるために,人間は電気を使うので,人里離れた貧しい村落の人々が,夜の明かりに使うとか,テレビを見るとかに使うことを本質にはしていないと思う。だから,地方電化をODAの本質と考えているならば,それは正しくないと思う。大規模なダムを造ったり,火力発電所を作ることはODAにそぐわないから,これからは地方電化がODAの主題である,と信じている人がいるとするならば,大いに反論し たいところだ。でも,地方電化は,やや協力する側の自慰行為的な側面があるとはいえ,ODAの重要なアクセサリーであることには,私も賛成である。そこに国の経済基盤を確立するようなインパクトはないが,国の経済発展の中で取り残された人々にも目を向けながら,国際協力をやっているのですよ,と言う説得力はあり,それ以上のものではないような気がする。


2.地方電化に自立を求める必要があるか

地方電化の協力をするときに,口を酸っぱくして言われるのは,そのプロジェクトに持続性ありやなきや,である。でも,地方電化自体,持続性を求めることは極めて困難である。それは,電源そのものが,それが小水力であっても,太陽光であっても,風力であっても,極めて高価で,それがなくても貧困にあえいでいる地方の人々に,自立採算を求めることは不可能に近い。人間社会を見ても,ある一つの国というシステムの中で,自立性を求めない例は沢山ある。前回の私の主張の中で,タイの農民の水使用料金の徴収について論じたが,あのときの議論は,発展するバンコクの人々が,自分たちの電気代の中から潅漑施設のお金を出して,タイの農民のために貢献しているという話で,ADBはそれがおかしい,と言って借款の条件に持ち出したわけだ。これは,ADBがタイの農民に自立を求めたと言うことであろうが,バンコクの人々は,タイの農民が自立することを求めてはいない。10年ぐらい前に,南のキリバスから島をとびとび,グワムに達したとき,グワムのインフラの立派さに圧倒された。グワムが米国領であると言う理由だけから,米国本土はこのグワムへ自分たちの税金を持ち込ん でインフラ整備をすることに何の疑問も持っていない。日本だって,本土の税金で,北海道開発庁や沖縄開発庁に,国家予算からインフラ整備のお金を割くことに,国民が不平を言ったことはない。沖縄が日本に復帰したとき,たまたま琉球大学に在学していた友人の話を聞くと,復帰した途端,大学の実験設備が格段に向上して,復帰とはこういうことかと驚いた,と言う話がある。北方領土に行ったとき,根室からわずかな距離にあるこれらの島々の,惨憺たるインフラにショックを受けたが,あれが日本に復帰すれば日本政府は多くのお金をつぎ込むであろうが,国民は不平を言わないであろう。

これらの話は,すべて国家と言うシステムの内部の話であるが,これが,国家という枠を離れて別の同じようなシステムが存在しても,何ら不思議ではなかろう。GDP4兆ドルの国が,ラオスのような15億ドルの国に自立を求めると言うこと自体,理屈はあっても現実には非常に難しいであろう。そこに,借款は駄目で無償なら良い,と言う言い方に繋がるのであるが,我々は,例えば一つの被援助国の経済基盤が自立するための努力は怠るべきではないが,その国の中の小さなサブシステムに対しても自立を求める必要はない。それをまさしく実感した例は,モロッコの再生可能エネルギーのテーマーであった。モロッコは,化石燃料の節約を一つの国のテーマーにしている。我々が農村電化の対象とした地域は,再生可能エネルギーで電化してほしい,と言う国の政策があった。だから,普通にディーゼル発電機で農村電化を図った場合よりも,再生可能エネルギーを使用する場合は,最大2倍のコスト程度までは良いのではないか,と言う,国の政策に近い考え方があった。では,この高いエネルギーのお金は誰が払うのか,と言うときに,円借款と仮定していたので,農村電化の対象住民からは普通 にとれる料金しか取らないが,借款はすべて政府が返済するという,と言うことは,カサブランカやラバットの市民や企業が納めた税金で返済するわけで,まさしく,地方電化に自立を求めず,国が富の平準化を目指して,国庫から面倒を見るシステムである。

更に言うならば,先日河野外務大臣が中国の唐外相に対して,中国は他の国に経済協力をしているので,日本からの援助は減らしたい,との趣旨の発言をして、多くの日本人は拍手したわけであるが,私が思うのは,日本には日本を取り巻くシステムがあって,その中に重要なODA対象国として中国が存在する,中国には中国で,日本から見ればサブシステムに相当する内部システムがあって,そのサブシステムの中の一環として,ミャンマーやタンザニアに援助をしている,と理解でき,例えば,中国政府が内モンゴルに多額の税金を割いてインフラ建設を支援していることには,我々も疑問を感じないのと同じことだと言えないであろうか。国民感情としては難しい面もあるが,あって良いことのように私には思える。一層のこと,ベトナムも中国のサブシステムの中に入れていただいて,日本からの援助を有効に活用しつつ,日本としてはとても応援できない250万KWのソンラ水力を,中国の手で完成してあげてほしいとさえ考えてしまう。ODAスワップ論か。


3.地方電化はODAのアクセサリーか

ODAの本来の目的は,対象国の経済自立を求めるものであろう。それを考えると,今我々が一生懸命になっている貧困救済や,BHN,農村電化,などのインパクトは極めて小さく,とても大の男が血道を上げるような仕事とは思えない,と言う人もいる。私もその意見に近いが,如何に人間,腹一杯に食べていても,人前に出るときには,ネクタイを締めなければならず,地方電化も,ネクタイと同じような,本来の目的には役に立たないが,しかし重要なアクセサリーである,と考えている。国の経済基盤そのもの自立に必要な金に比べればほんのわずかであり,躊躇することなく,例え対象のグループの自立が困難でも,地方電化は進めるべきだと思っている。しかし,食べるものも食べず,ネクタイだけ高価なブランドものをしていても,人々はすぐ見分けてしまうから,アクセサリーは,程々の値段でよいように思うが。

時間が来てしまった。

以上

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