私の主張 11

ー ODAの新しい枠組みへの対応,次世代のために ー

(2000/6/16)


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この2,3日,歳で言えば30代前半,ちょうど息子たちの年代に相当する次代の日本の担い手(本人たちはもう自分たちが担っていると思っているが),それぞれODAや行政の世界で活躍中の若手と話す機会あり,曲がり角に立ったODAが,今後彼らのために上手く曲がりきって行くかどうか,極めて微妙な段階にあると思っている。人はたかがODAと馬鹿にする,確かに,400兆円を超す日本の経済活動の中では,財政投融資部分をあわせてもわずかに4兆円の世界であり,1%にも満たないものである。しかし私は,このODAを上手く切り回していけるかどうかが,彼らの次世代の若者の将来を左右するかもしれないと感じている。この世代の連中が,私の前で一様に口にするのは,「あなた方は良かった,バブルの中で思いっきり仕事をし,老後は確実な年金制度に守られている,私たちはそうはいかない」と言う言葉である。そこに私は,しっかりと日本の国という枠を決めて,その中で動こうとする未熟な青年の姿を見る。私は言いたい,「我々世代は戦争を引きずりながら,戦争が終わっても今度は英語が出来なくて外国人とおどおどとつき合ってきたが,君らは,社会に飛び出すと同 時に英語の嵐の中に放り出され,その上に暴風雨のごとき情報技術の中で,国境を越えて仕事が出来るではないか,舞台が大きいと言うことが何を意味するのか,よく考えろ,老後?,馬鹿なことを言うな」。ODAは,次代の日本人が生きて行くための優れたツールだ。


1.ODAは途上国のためではない


最近のODAに従事する若者の中には,途上国の人々に向かって,「あなた方のためにやっているのではないか,どうして感謝しないのか,そのような受け入れ態度ならやらないぞ」と言う言い方に近い傲慢な姿勢を見る。最近,JICA国総研の加藤所長に勧められて,外務省経済協力局長飯村豊氏が外交フォーラムに寄稿された「パラダイム変化と日本の理念」という一文を読ませていただいた。飯村局長が欧亜局審議官の時に北方領土にご一緒させていただいたが,大勢のグループの中で遠くから氏に接しながら,その何事にも穏和な姿勢に感服したものであるが,このたびの一文にも飯村局長の実に深い洞察を静かな言葉で表現されていて,感じ入った次第である。雑誌8ページに及ぶ大きなペーパーであるが,その間,一貫して最近ODAが取らざるを得ない姿勢について説明するために多くの紙面を費やしておられる。

しかし,私がこのペーパーから読みとったものは,最後にほんの少し出てくる氏の疑問点が,このペーパーのすべてを物語っていると思う,それを言うために氏はこのペーパーをものにされたのではないか。氏は,今年2月の外交評議会におけるサマーズ米財務長官の言葉,「経済成長を最重要視しない貧困削減の理論は,王子のいないハムレットのようなものだ」,を引用されて,「この考え方に賛成である」と,あえて書かれている。最近のODAの論調の多くや,JICAをはじめODA機関が懸命に取り組んでいるODAの見直し論の中には,このベースが忘れられて,弱者救済こそがODAの役目である,と短絡しているところに,私は問題があると思っている。

「弱者救済」が最近の流行言葉である。援助機関は,この言葉に翻弄されている。一般に考えられて来たのは,「弱者救済」は当事国政府の責任であって,海外からの援助国や機関は国の経済的自立を助けるものだ,としてODAを進めてきたが,インフラ建設を含む大規模プロジェクトへの援助がその国内のひずみを生み,それがいっこうに解消されるどころか,ますますひずみを大きくしてしまった,との反省から,「弱者救済」,「環境保護」に大きく舵を取ろうとしているのが現状と理解している。ある一つの国家予算の枠内では,強者から租税を取り上げて,これを貧困に振り向ける行為が,国民のコンセンサスのもとに非常に円滑に行われている。沖縄開発庁しかり,北海道開発庁しかり,福祉予算しかり,米国のグアム島しかり。これらの行為は,強者から不満が出たことはない,これが世の中の仕組みだ。

我々は,発展途上国に経済的自立を求めている。しかし,ODA全体が「弱者救済」に向かうならば,この目的は達成されない。例えば,ネパールの山奥の一山村の数百人の村人に,日本人が出かけていって飲み水のための井戸を掘ってあげる,これは美談であり人道的に感動を呼ぶが,ネパールの国としての経済的自立には殆ど貢献しないだろう。ネパールが経済発展を遂げなければ,援助をしてあげた日本への見返りは,永遠に期待できない。「弱者救済」の言葉の中に含まれる狭義の貧困撲滅やWID,BHN,地方電化は,ODAの単なる調整弁であって,メインパイプではない。激しく燃料を送り続けるメインパイプは,経済成長そのものを支援するODAでなければならない。

30代前半の友人たちの言う,「我々の老年はどうなるのか」と言う問いに私なりに答えたい,「心配するな,老人が増えてくるのは,今の先進国だけだ,アジアには,あるいはアフリカには,更にこれからも若者がどんどん増えてくる,それらも含めた人類社会の年齢構成を頭に置いて,戦略を進めなければならない」と。日本ODAの究極の目的は,21世紀後半の日本人の生き残りのために,グローバルな枠作りを行うことだ。若い人にはこの認識がないように思う。だから,我々は助けてあげているのだから,感謝しないとはけしからん,相手の態度が悪い,この案件は中止してしまえ,と言ういとも簡単な感情でODAを動かそうとする。自分たちの未来を切り開こうとする迫力が感じられない。


2.助けようとする相手に倒れられては困る

先ほどテレビを見ていると,今度の銀行合併問題に関係した銀行の頭取が出てきて,「我々は倒れるようなところには金は貸せませんからね」と平然として主張し,居並ぶコメンテーターも「そうだ」と言わんばかりに頷いている。あれは非常に一面的なものの見方で,刹那的に自分の銀行を守るバンカーの本能が言わせているだけである。なぜ銀行は金を貸すのか,社会全体の枠組みの中では,倒れそうな企業に銀行が手を貸して,これを健全なものに育てるために銀行の役割があるのであって,それから手を引かれたのでは,その銀行は瞬間的に生き残るかもしれないけれども,社会は崩壊し,銀行もそれに飲み込まれてしまうのが,落ちである。

若者に,「心配するな,君たちが老年になっても,アジアには若者が一杯いる」,と言ったら,非難の眼差しを向けながら,「何?俺たちが年取ったら,今のタイの子供たちに助けてもらえと言うの?」とあざ笑う表情で睨み付けてきた。そうして更に,「それを実現するためには,日本への移民問題を解決しなければなあ」と仰る。老後の面倒は,寝て動けなくなったものを介護することではない。あくまで経済のバランスが問題であって,日本の国の範囲だけで動いてきたものが,国境を越えて動き出すと,富の流れが国境を越えて流れ込み,老人ばかりの日本も,その大きな枠組みの中で一定の役割を果たすようになるのである。

台湾や韓国を日本が助けていた頃,これらの国が日本のGDPの上で大きな役割を果たすとは,誰も思わなかっただろう。しかし,彼らは日本の援助を足がかりに経済成長を遂げ,今や経済的に自立した上で,日本のGDPに大きく貢献している。彼らの経済活動の活発化が,どの程度日本人の平均所得に影響を与えてきたか,統計を見ればハッキリする。このことが重要で,「タイの子供に助けて貰うの?」とあざけ笑った若者も,彼らが老年に達する時は,それなりに成長した東南アジア諸国の貢献に支えられて,豊かな老後を送るべきだと思う。そうなるように,今,ODAのツールを有効に使うのである。

だから,ODAをやるからには,確実に彼らが成長への過程を経て行くよう,細心の戦略が必要になる。援助だけを受けて倒れられては困るのである。これをODAの調整弁である貧困削減や弱者救済だけに使っていると,ODA所期の目的が達せられず,いつまでたっても日本は援助を続けなければならない,今,弱者を助けた,と言う満足感は残るが,若者に未来はない。メインバルブと調整弁の間を上手く調整しながら,被援助国の経済成長に期待すべきだ。もっと直接的に表現するならば,今出来る間に借款を官民とも発展途上国につぎ込んで,相手が確実に経済発展の方向をたどるよう仕向け,若者が老年に達する頃には,その貸し金から得られるフルーツを楽しめ,と言いたい。


3.JICAが弱者救済のみに走ると成長の素材がなくなる

あるJICAの中堅マンと話したことがあった。彼が言うのは,「日本のODAの大きな枠組みの中で,JICAは弱者救済に特化された機関として機能しても良いのではないか」。確かに彼の言う通り,ODAの主体は,財投枠も含めた年間400億ドルを超す大規模なもので,国際機関への出資金もあわせると,JICAの実施している事業は,金額的には小さいもので,それがどちらの方向に動こうと,ODAの目的そのものを阻害することはないように見受けられる。しかし,彼はJICAの重要な機能を見逃している,それはODAの最上流を占めるJICAの重要な役割である。

実際には,JICA案件と円借款案件の連携が必ずしもうまくいっていない,と言う人もいる。しかし,インフラ案件の中で,円借款や国際金融の対象案件が,ODAの最上流に位置するJICAの影響を大きく受けている。それは,必ずしも開発調査の結果のみならず,世界中に散らばって直接先方政府とコンタクトしているJICA専門家や現地事務所,場合によっては協力隊の隊員の情報が,円借款案件形成の大きな助けとなっていることは見逃せない。

案件形成というのは,大変な努力と時間を必要とする。従って,JICAの活動と円借款等によるプロジェクトの実施の間には,タイムラグがある。だから,JICAが今,弱者救済へ大きく舵を取ったとしても,日本のODA全体にはすぐには影響しないだろう。しかしそれはじわじわと効いてくる。おそらく数年のうちに,資金協力をやろうと思っても,適切な素材がない,あるいは,先方政府が要求してきても,それの有効性を判断するに十分な資料がない事態が訪れることを予言する。

JICAの大きな流れは変えられない,とすると,政府としてはこの変革に対処するための手だてを早急に打って置く必要があろう。弱者救済へ舵を取ってしまったJICA自体は,調査の案件の選定に大きな制約を加えられている。従って,経済成長への援助手段を,的確に確保するためには,予算の上流にいる各省庁が考える必要がある。もしJICAが弱者救済の方向へ向かうなら,逆に,経済成長を支える方向に特化された調査機関の設定が必要になる。実際問題,エネルギー,運輸,通信などの主要インフラの調査については,専門家集団を動員しやすい,ある分野に特化された公的機関の役割が重要になってくるだろう。

発展途上国の経済成長には一定のパターンがある。経済成長の原動力は,あくまで外国の民間投資である。民間投資の流れが円滑に進むまでには,公的資金による空港の整備,道路の整備,通信の整備,電力の確保,と進み,この時点で民間によるホテル投資が起こり始める。このようにして外国人が活躍できる物理的な場が確保されたならば,法の整備と相まって,一気に外国投資が活性化し,経済成長を促す条件がそろうことになる。このときに果たすODAのインフラ整備の役割は,極めて重要である。これが,我々日本人の次世代の生き延びる重要な舞台となるはずである。

以上

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