FORMER EASTERN EUROPE

 

POLAND Polish Radio Warsaw

 

 アジア向け放送がなく、受信が難しい局で した。深夜のアフリカ向けは比較的良好に受信で きましたが、私は深夜DXはあまりやらなかったので、 もっぱら冬期に1530JST9675kHzで英語放送を苦労しながら聴いていました。ISはショ パンの「革命のエチュード」の冒頭部分。私も「革命のエチュード」のレコード、買いました。

Listen to: Polish Radio Warsaw (African Service in English 1976)


 こちらは国内向け中波1503kHzの終了時です。IDは出ていませんが、ポーランド国歌が流れているところが聴けます。

Listen to: Polskie Radio (closing down with the national anthem)


P

GERMAN DEMOCRATIC REPUBLIC (Radio Berlin International)

 

 1970年 代半ば頃にはチャイムで東ドイツの国歌の冒頭を演奏したISを使用していまし た。一時、アジア向けの英語放送をよく聞いていました。1630JST21465kHzでした。でも、 内容はあまり魅力のあるものではありませんでした。いずれにしても社会主義の宣伝機関だったわけですから。
  東西ドイツ統一、東ドイツの消滅と同時に放送局のほうも消滅しました。

Listen to: Radio Berlin International (S.E.Asian Service in English 1976)

 東ドイツの国内向け放送 "V.O.DDR" については、ドイツ語放送であることや内容が単調なことなどからほとんど聴いたことがありませんでしたが、19835月 の受信音が残っていました。ISが 流れたあと、午前0時から の深夜 番組が始まるところです。

Listen to: Voice of DDR (in German)

 

 

CZECHOSLOVAKIA RadioPrague)

 

 トランペットのISがとても好きでした。社会主義時代のマーチ「左へ前進」の一節です。 こちらはアジア向け放送が16301730、 それに2330に オンエアされていまし た。163021700kHzでよく聴いていました。リスナーズク ラブに入っていたので、雑誌やスライドフィルムなどをもらった記憶があります。

 社会主義体制崩壊後のIS は、ドボルザークの交響曲第9番 「新世界から」の第一楽章の主題のモチーフとなりました。「左へ前進」から 「新世界から」へと、象徴的な変化でした。  し 

Listen to: Radio Prague (Afro-Asian Broadcast in English 1975)
Listen to: Radio Prague Interprogramme (multilingual service to Europe)

Listen to: External Service of Czech Radio (Ident Signal of 1995)

 チェコスロ ヴァキアの国内向け放送のうち、スロヴァキアのブラチスラヴァ局の受信音で す。1983年の もの。ISが 流れたあと、朝の番組が始まるところです。

Listen to: Czechoslovakian Radio Bratislava (Opening with IS; 1983)


 チェコ スロバキア国営ラジオのHvezdaネットワークの長波272kHzも、北アフリカで良好に受信できました。ニュー スの際にインターバルシグナルが流れていました。

Listen to: Czechoslovakian Radio Hvezda (in 1982)


 

HUNGARY Radio Budapest)

 

 70年代半ばにアジア向け放送が突如開始されて日本でも安定して受信できるようになった ため、ときどき聴いていました。193015160kHzで英語放送が良好でした。コルネット演奏によるISが印象的で、当時ブラスバンド部に所属して いた私は、このISを合 奏できるように後輩を指導しました 笑。

 開 始音楽は、ベルリオーズの「ラコッツィ行進曲(ハンガリー行進曲)」。その後ハンガリー 政府は国際放送そのものの規模を縮小し、アジア向け送信はハンガリー語のみで行われるようになりました。残念です。

Listen to: Radio Budapest (Asian Service in English 1978)

 国内向けハンガリー語番組の開始部分ではハンガリー行進曲が全曲流れ ます。長い録 音なので途中をカットしてパート1と2に分けて紹介します。

Listen to: Budapest I (Domestic Service in Hungarian s/on)
Listen to:
Budapest II (Domestic Service in Hungarian s/on Part I / Part II)
 

 

ROMANIA Radio Bucharest)

 

 チャウシェスク大統領による圧政とは裏腹 に、明るいイメージのあるISが 印象的な放送局 でした。75年当 時、アジア向け放送は一日数回放送されていましたが、0000JST15250kHzがもっとも良好 でした。開始音楽はエネスコ作曲の 「ルーマニア狂詩曲第一番」の一部。印象深いメロディーです。現在も同じ曲が開始音楽に使用されています。ただし、演奏はシンセサイザー に替わっていま す。

Listen to: Radio Bucharest (Asian Service in English 1975)

 R.Bucharestの国内向け放送の 1982年当時のS/onに際しては、ISの あとID、そ して合唱による国歌(当時のもの)が流れます。国歌は5番まで歌われていますが、ここで紹介する ファイルでは、途中でカットしてあります。

Listen to: Radio Bucharest Domestic Service s/on (recorded in 1982)

 

 

BULGARIA Radio Sofia)

 

 75年当時はアジア向け放送がなく、朝のアフリカ向け放送を聴くしかなかったように記憶 しています。0605か らのアフリカ向け英語放送、9580kHzは時にとても強力に受信できました。強力な信号に興奮してテープレコーダーをまわしたものです。複数のISを 持っていて、一つは国内向けと共通のもの、そしてもう一つはオーボエの演奏による海外向け独自のIS(これは現在も使われている)で す。
 国内向け番組は、ブルガリア語で24時間 放送しています。ISは毎正時に出ます。現地時間の午前0時に国歌が演奏されます。

Listen to: Radio Sofia (African Service in English 1975)
Listen to:
Radio Sofia (Bulgarian to S.America 1975)
Listen to: Radio Sofia (Bulgarian to Americas 1977)
Listen to: Bulgarian Radio (Domestic Service "Horizont" in Bulgarian)

 

 

YUGOSLAVIA Radio Beograd)

 

 R.Beogradの名称でアジア向けにも英語放送がありました。故チトー大統領のも と、ユーゴスラヴィアがまだ統一連邦国家だった頃のIS70年 代)は「インターナショナル」。英語放送は0030JST15240kHzが良好に受信 できました。ISに続 いて突然番組が始まりました。ほとんどといっていいぐらい、マイクのガタガタというノイズが入っていたのが記憶に 残っています。その 後、ISが2 回変更されて今日に到っています。

Listen to: Radio Beograd (English Service 1975)
Listen to:
Radio Yugoslavia (English Service 1983)

 旧ユーゴスラヴィアの国内放送各局の中には美しいISを流す 局がいくつかありました。
 コソヴォ自治州の州都Pristinaからの放送は、毎正時にフルー トのISを流していました。1413kHzのラジオ第一プロ グラムを1983年に北アフリカのチュニスで受信した録音です。

Listen to: Radio Pristina (1983)
 

  Pristinaの終了時にはインターナショナルが流れました。

Listen to: Radio Pristina  (closing down with the International)


 旧ユーゴス ラビア北部のVojvodina自治州の州都Novi Sadからの放送も、チュニジアのチュニスで良好に受信できました。周波数は1269kHz。この局の放送終了時には、インター ナショナルが流れました。

Listen to: Radio Novi Sad  (closing down with the International)


 旧ユーゴスラビアのクロアチアからはRadio Zagreb11134kHzで良好に受信できました。放送開始を録音することができませんでしたが、放送終了の録音はとれました。クロアチア共和国国歌で放送を終了しています。このクロアチア共和国国家は、ユーゴスラビアが解体されて以降も、クロアチア共和国の国歌として引き 続き採用されています。

Listen to: Radio Zagreb 1  (closing down with the anthem of Federal Republic of Croatia)
 

 旧ユーゴス ラビアのマケドニアからはRadio Skopje810kHzで安定して受信できました。この局も放送終了部分の録音が残っています。マケドニア共和国国歌で放送を終了していますが、この 曲も 現在のマケドニア共和国国家として引き続き歌われています。

Listen to: Radio Skopje  (closing down with the anthem of Federal Republic of Macedonia)


 

ALBANIA Radio Tirana)

 

 76年当時高校生だった私は、よく「社会主義国の英語放送ツアー」を楽しんでいました。 2300から0100JSTの時間帯に:R.Tirana=2300R.Prague=2330R.Bucharest=0000 R.Beograd=0030を 聴いていくのです。ツアーの始まりはアルバニアのR.Tirana。今思えばよく もまぁあんな退屈な内容を聞いていたもの だと驚きますが。英語放送の11985kHzは、直前に放送 されていた同局のロシア語放送終了後に聞こえました。ロシア語放送にかかっていたジャミングが、 英語の時間になると パタリと止みました。生の国際政治に触れる思いでした。トランペットで演奏されるISの持つ独特の雰囲気は、今も忘れられません。

 IS、開始音楽ともに、アルバニアの革命歌「片手にライフル、片手にピッケル」の一節。70年代半ばまでは、英語放送は北京中継されていたため強力に受信できました。

Listen to: Radio Tirana (External Service in English 1975)
Listen to: Radio Triana (External Service in Russian - soon jammed)

 放送の終了時に は「インターナショナル」が流れました。ここにアップ してあるのは、中国語放送の終了 時。Fjodor Berovaさんのアナウンスに続いてインターナショナルが流れています。1988年、14330kHzでの受信です。

Listen to: Radio Tirana (External Service in Chinese closing with the International)

 国内向けは、ISなしで、 いきなり国歌で の開始でした。

Listen to: Radio Tirana (Domestic Service in Albanian signing on. 1982)
Listen to: Radio Tirana (Domestic Service in Albanian signing off with the national anthem)

 

 

********************************** 

インターバルシグナルページのトップ へもどる