新戦力紹介


新人選手
[19]唐川 侑己 からかわ ゆうき
投手/181cm・76kg/右投右打
 成田小3年から『成少フォックス』で野球を始め、以来投手一筋。小6時に県大会8強。成田西中では3年時に『成田選抜』でKボールの全国大会にエースとして出場して準優勝。成田高では1年夏からで背番号18でベンチ入りし、1年秋の関東大会から背番号1。2年春のセンバツで小松島戦で5安打10奪三振で完封し、一躍注目を集める。3年春のセンバツでは初戦敗退も延長12回を2失点完投。夏は県大会5回戦の延長14回、同大会で28イニング目での初失点が決勝点となり敗退。、甲子園出場を逃したが、3試合で35奪三振と力を見せ付けた。甲子園では計3試合に投げ3完投、1完封、30イニングで4失点。
 広島との重複指名の末、獲得した地元・千葉の逸材。中田翔内野手(北海道日本ハム1巡目)、佐藤由規投手(東京ヤクルト1巡目)と共に『高校生BIG3』と称された。多くの専門家が理想的と口を揃える美しいフォームから、最速148キロの切れ味抜群の速球とカーブ、スライダー、フォークを投げ込む。柔軟な股関節を生かして踏み込みが深く、球持ちも非常に良いため、リリースポイントが打者に近いのも大きな武器。高校生離れした抜群の制球力も評価が高い。高校入学時には特別目立つ選手ではなかったが、1年冬に室伏広治選手を輩出した陸上部でトレーニングを積み、才能開花。体力と柔軟性がアップし、投球時のステップ幅が6歩から7歩に広がった。高校時代は8割がストレートで、練習試合ではストレートのみに限定した試合も少なくなかったという。クイックやフィールディングなどには課題を残すものの、順調に育てば間違いなく日本を代表する投手になれる存在である。
[51]植松 優友 うえまつ まさとも
投手/183cm・80kg/左投左打
 北天満小5年で一塁手としてソフトボールを始め、天満中では軟式野球部で一塁手。金光大阪に入学後に投手に転向した。1年秋から背番号17を付け、控え投手としてベンチ入り。2年夏の府大会決勝では大阪桐蔭に敗れたものの、中田翔内野手(北海道日本ハム1巡目)から3三振を奪い注目を集めると、続く大阪秋季大会でも中田を完璧に抑える。3年夏は府大会決勝で大阪桐蔭と再戦し、三度中田をノーヒットに抑えた上で勝利。甲子園では初戦敗退も、中田を13打数無安打に抑えたことで『怪物キラー』の異名を取った。
 スリークオーターから最速144キロの速球とカーブ、スライダーを投げ込む本格派サウスポー。その投球スタイルから『和製ランディ・ジョンソン』との呼び声も高い。金光大阪入学後に横井監督に見出され投手に転向。当初はフォームもコントロールも滅茶苦茶だったが、昼休みにシャドーピッチングを続けるなど地道な努力の結果、2年時には140キロを超える速球と高校生離れしたスライダーでプロのスカウトからも注目される存在になった。強豪チームや強打者との対戦、緊張やプレッシャーを楽しめる性格は間違いなくプロ向き。一方で甲子園での試合前日、熱発したチームメイトの世話を2時間おきに続けるなど、心優しい性格も持ち主でもある。投手転向から3年と日が浅いだけに、まだまだ伸びしろも十分。将来の左腕エースとして大きな期待がかかる。
[60]阿部 和成 あべ かずなり
投手/182cm・72kg/右投右打
 小学1年から軟式野球を始め、小5から投手。田隈中時代に軟式野球で県大会準決勝進出。大牟田高では1年春から登板し、夏からエースとして活躍。2年秋に県大会優勝、九州大会準優勝で、創部60年のチームを春夏通じて初の甲子園に導いた。センバツでは1回戦・佐野日大戦に先発し8回1/3で7失点(自責点0)で敗退。3年夏は県大会4回戦で敗れ、春夏連続の甲子園出場はならなかった。
 細身ながらしなやかな腕の振りから最速143キロの速球とカーブ、スライダー、チェンジアップを武器とする本格派右腕。コントロールと投球術、フィールディングや牽制にも定評がある。ドラフト4巡目指名ながら、阪神などが外れ1巡目候補としてリストアップしていたことからも、その豊かな将来性がうかがい知れるだろう。強気なピッチングを身上とするようにマウンド度胸は満点で、負けず嫌い。キャッチャーとサインが合わなくても、決め球は譲らないという頑固さもあり、いかにも投手らしい性格をしている。成瀬のつけていた“出世番号”である背番号60をつけるのは球団の期待の表れだろう。次代の投手陣を支える存在になるべく、まずはファームでじっくり基礎作りに努める。
[20]服部 泰卓 はっとり やすたか
投手/174cm・72kg/左投左打
 小学1年から野球を始め、5年から『江南パワーズ』に所属。江原中から本格的に投手となる。川島高では2年秋からエース。3年春の県大会は4強、夏の県大会は3回戦で優勝した徳島商に敗れ、甲子園出場はならなかった。駒大では1年秋からにリーグ戦に登板。4年秋には3試合連続完封など、大学通算11勝7敗の成績を残した。05年にトヨタ自動車入社。06年アジア大会で代表入りし、銀メダル獲得に貢献した。07年の都市対抗では初戦に完封するなど8強入りに貢献し優秀選手に選出。日本選手権ではエースとして4試合に登板し、先発した3試合は全て完投。防御率0.93で悲願の初優勝の原動力となり、MVPを獲得した。
 外れ1巡目ながら北海道日本ハム、西武との競合の末に獲得した、社会人No.1ピッチャーの呼び声高いサウスポー。最速145キロのカーブ、スライダー、チェンジアップを武器とする。直球のアベレージは130キロ台中盤だが、見た目以上に伸びがあり、変化球の切れ味も抜群。リリースポイントの見難いフォームも特徴で、制球も良く、テンポ良く低目を徹底的に突く投球で打者を打ち取っていく。投球術にも優れ、調子の良し悪しに左右されず必ず試合を作れる能力は特筆もの。トヨタでチームメイトだった佐竹投手は「服部さんは(07年に)先発して3点以上取られた試合がない」と証言する。その結果、07年は19勝1敗という驚異的な成績を残した。起用法は流動的ながら、即戦力として1年目から先発6投手に割って入ってローテに定着する可能性も十分。中継ぎなら勝ちパターンでの登板が期待される。
[28]根本 朋久 ねもと ともひさ
投手/178cm・77kg/左投左打
 和田小4年のときに『和田少年スポーツ団』でソフトボールを始め、白沢中学で本格的に野球を開始する。帝京安積で一塁手から投手に転向し、1年秋からベンチ入り。3年夏は背番号10ながら中心投手として県大会16強。横浜商大では2年春からベンチ入り。神奈川大学リーグ通算10勝のうち9勝を4年生になってから挙げ、4年夏には日米大学野球で日本代表入り。秋にはリーグ最優秀投手に輝いた。
 最速142キロの速球とスライダー、カットボール、チェンジアップ、スクリューを武器とするサウスポー。大学3年までは無名の存在だったが、カットボールを覚えて急成長。4年春のオープン戦で大阪経済大を相手に17奪三振、5安打完封、立命大戦では15奪三振、3失点完投で、一躍ドラフト候補に躍り出る。その後も速さのあるカットボール、縦のスライダーで三振を量産し、『ハマのドクターK』との異名も取った。社会人入りが内定していたが、「高いレベルでやるのが目標」と秋のリーグ戦後にプロ入りを志望。即戦力として期待される一方で、伸び盛りなだけにこれからの更なる成長も大いに期待できる、まさしく逸材のサウスポーである。
[30]伊藤 義弘 いとう よしひろ
投手/177cm・76kg/右投右打
 飯倉中央小3年でソフトボールを始め、原中では軟式野球部に所属。東福岡では3年夏に甲子園出場し、2回戦敗退。國學院大では梅津智弘投手(広島)と2本柱を形成した。150キロ近い速球で注目を集めるがドラフト指名はなく、05年にJR東海に入社。06年に都市対抗出場の原動力となると、07年には王子製紙の補強選手として都市対抗に出場し、王子製紙のベスト8進出に貢献した。
 最速153キロの速球に縦のスライダー、ツーシームを武器とする本格派右腕。制球には課題を残すものの、強気に内角を攻める投球スタイルなどマウンド度胸は満点。牽制やクイック、フィールディングにも定評がある。1巡目の服部とは大学時代も同じ東都リーグ、社会人でも同じ東海地区でプレーしてきただけに、良きライバルとして相乗効果も期待される。昨年は主にリリーフを任され、プロでもリリーフ専門となる見込み。150キロの速球に高速シュートと縦のスライダーを駆使する投球スタイルは、メジャー移籍した小林雅英投手を髣髴とさせる。首脳陣の期待も高く、近い将来には背番号30が再びマリーンズの守護神として君臨する姿が見れるかもしれない。
[24]下敷領 悠太 しもしきりょう ゆうた
投手/184cm・74kg/右投右打
 小学3年から『神路バッファローズ』で野球を始め、『大阪鶴見シニア』では3年夏の全国大会でベスト8。上宮では一塁手兼投手として、2年春の府大会優勝。3年夏の府大会では準々決勝で大阪桐蔭の西岡剛内野手に一発を浴びて敗退するなど、甲子園出場は果たせなかった。法大からは投手に専念し、4年秋は6勝を挙げて9季ぶりの優勝に大きく貢献。ベストナインを獲得した。リーグ通算は13勝。06年に日本生命に入社すると、春の京都大会で完封するなど1年目から先発投手として活躍。06年の日本選手権では準優勝に貢献し、敢闘賞を受賞した。
 130キロ前後の速球にスライダー、シンカー、チェンジアップを駆使するアンダースロー投手。地を這うような低さからホップする球筋の直球に横滑りするスライダー、沈むシンカーと、高低を立体的に攻める正統派サブマリンだ。渡辺俊介投手との対比で『世界で二番目に低いリリースポイント』との声もある。中学時代に日本生命の野球教室で勧められサイドスローに転向。その後、徐々に腕を下げていき独学で今のフォームを作り上げた。いまや希少となったアンダースローだけに、身近に最良のお手本がいるのは更なる成長に大きなプラスとなるだろう。ただ目指すは『渡辺俊二世』ではなく『下敷領一世』。サブマリンの競演が実現すればマリーンズの新たな武器となり、魅力にもなるだけに、大きな期待がかかる。
[121]池田 健 いけだ けん
投手/175cm・75kg/右投右打
 小学校入学後にリトルリーグで野球を始める。高校は青藍泰斗に入学し、中心投手として挑んだ2年夏の県大会では準決勝で文星芸大付戦に敗退。しかし142キロの速球を投げ込み、注目を集める。2年秋の県大会は初戦で途中登板し、敗退。3年春の県大会は2回戦で文星芸大付の佐藤祥万投手(横浜4巡目)との投手戦の末、0−2で敗れた。3年夏の県大会は準決勝の宇都宮南で延長15回まで投げ抜いたものの、サヨナラ負けで甲子園出場はならなかった。
 
[122]宮本 裕司 みやもと ゆうじ
捕手/182cm・85kg/右投左打
 御坊商工高校から摂南大学に進学し、大学2年の秋に内野手から捕手に転向。阪神大学リーグの2部と3部でベストナイン3回、MVP1回を受賞した。一部上場企業に就職が内定していたが、四国アイランドリーグ創設を知りトライアウトを受験。合格し高知ファイティングドックスに入団。1年目の05年には好守の要として優勝に大きく貢献し、初代リーグMVP、ベストナインにも選出された。四国リーグ3年間で通算267試合に出場し、打率.283、15本塁打、106打点、32盗塁の成績を残した。
 
[123]小林 憲幸 こばやし のりゆき
投手/180cm・80kg/右投右打
 川口高から城西国際大に進学し、地元のクラブチーム『全浦和野球団』でプレー。四国アイランドリーグが創設された05年に大学を休学して、徳島インディゴソックスに入団した。1年目から抑えとして活躍し、05年は優勝争いに貢献。06年には11セーブを記録して最多セーブ賞を受賞した。四国リーグ3年間では通算112試合に登板し、7勝5敗23セーブ、防御率4.13の成績を残した。
 
[124]白川 大輔 しらかわ だいすけ
内野手/172cm・74kg/右投右打
 尽誠学園では外野手として活躍し、05年秋の県大会に優勝。四国大会に出場した。07年に高知ファイティングドッグスに入団。香川県出身で、四国リーグ史上初めて『出身県と異なる球団に所属する四国出身選手』となった。高知入団後に内野手に転向。シーズン後半にはスタメン出場の機会も増え、61試合に出場し打率.211、10打点、1盗塁の成績を残した。
 
[125]大谷 龍次 おおたに りゅうじ
外野手/178cm・77kg/右投右打
 小学2年の時に野球を始め、当初のポジションはサード。樟南高では3番センターと主力選手として活躍するも、甲子園出場は果たせなかった。卒業後は軟式の日立製作所厚木に入り、春先からレギュラーを獲得。中心選手の一角として活躍した。
 

新外国人選手
[46]ウインストン・アブレイユ Winston Abreu
投手/188cm・77kg/右投右打
 コティア高から94年にドラフト外でブレーブスに入団。01年にパドレスに放出されるとその後は球団を転々とするがなかなかメジャー昇格を果たせず、プロ14年目の06年にようやくオリオールズでメジャー初登板。デビューから4試合続けて無失点に抑えるもその後は打ち込まれ、7試合で0勝0敗、防御率10.13の成績に終わった。07年はナショナルズと契約し、26試合に登板、0勝1敗、防御率5.93の成績を残した。メジャー通算は2年間で33試合に登板し0勝1敗、防御率6.81。
 K-Rodことフランシスコ・ロドリゲス投手(エンゼルス)やマーク・クルーン投手(巨人)を彷彿とさせるフォームから、最速98マイル(約158キロ)を投げる速球派右腕。直球は打者の手元で微妙に変化し、さらにスライダー、シンカー、チェンジアップと多彩な変化球も持つ。3Aでは06年に46試合に登板し9勝4敗1S、防御率2.48、07年は37試合で3勝0敗5S、防御率1.20と、ここ2年で急激に成績を伸ばしている。特筆すべきは奪三振率で、3Aでは06年に10.74、07年に14.10という驚異的な数字をマーク。課題とされる制球力も、3Aでは与四球率が06年に2.76、07年に3.44と改善。メジャーでも昨年の与四球率は2.67だった。日本でも当然リリーフでの起用が予定され、新ストッパーの有力候補として期待される。
[49]ブライアン・シコースキー Brian Sikorski
投手/185cm・93kg/右投右打
 ウエスタンミシガン大から95年にアストロズに入団。00年にレンジャースでメジャーに昇格し、10試合で1勝3敗の成績を残した。01年シーズン途中に千葉ロッテに移籍。来日1年目は結果を残せなかったが素質を評価されて残留すると、02、03年はセットアッパーとしてフル回転の活躍を見せる。しかし監督交代による体制一新により04年に戦力外となり、巨人に移籍。巨人でも04年、05年とチーム最多登板の活躍を見せるが、またしても監督交代により戦力外となる。ウェーバーにより東北楽天が獲得するも、本人は帰国を希望。東北楽天は「日本の他球団と契約しないこと」を条件に自由契約とし、06年はパドレス、インディアンスでプレーした。07年シーズン途中に東京ヤクルトに入団して日本球界復帰。リリーフの一角として活躍したが、オフには残留交渉がまとまらず自由契約となり、千葉ロッテへ移籍。5年ぶりの復帰となった。
 

移籍選手
[126]田村 領平 たむら りょうへい
投手/178cm・85kg/左投左打
 大洋にドラフト1位で入団しアンダースローから通算9勝を挙げた田村政雄氏を父に持ち、幼稚園の頃から父親とキャッチボールをしていたという。市和歌山商から02年にドラフト8巡目で阪神に入団。06年に一軍キャンプスタートとなるなどポスト井川として期待を集めたが、一軍登板がないまま06年に戦力外通告。トライアウトを経て、育成枠での入団が決まった。