島の歴史
ハワイ諸島の最初の定住者は、ポリネシア人だった。ひとつは、紀元500年ごろ、と言われており、もうひとつは紀元1200年頃と言われている。マルケサス諸島にいたポリネシア人は、渡り鳥の行き先を突き止めようと、航海に出て、イ−スタ−島、ソシエテ諸島、ハワイ諸島へと移っていった。

食文化
ポリネシア人の食の文化の中心は、「タロイモ」だった。彼らは、水田栽培技術を持った、農業民であった。

階級性
先住ハワイ人の社会は、階級性があった。最高位のアリイ、そして、カフナ、マカアイナナ。 一番下は、カウパという被差別階級があった。カウパは、おそらく戦争捕虜だと考えられている。 彼らは隔離生活をさせられていたそうだ。アリイは、首長階級で、そのアリイの中でも、アリイ・ヌイで、この人は王様とも呼ばれる権威者であった。 最高位のアリイでは、血統を守るために、兄弟同士の結婚もあったらしい。 カフナは、神官階級で、祭祀や祈祷師といった聖職者の他に、住宅やカヌ−を作る人もカフナであった。 マカアイナナは、圧倒的多数を占める、平民階級だ。

信仰
ハワイの人々は、自然の中に神を見ていた。 海、火山、溶岩、森林、虹などに神の表情を見出し、動物や植物や岩などの形をとって現れる「アウマクア」と呼ばれる祖先の守護霊を見ていた。ハワイを中心とした、ポリネシア人達の社会の信仰は、4大神だ。カネ(太陽、真水、全生命の父)・ロノ(収穫、雨、平和の神)・ク(戦争、森の神)・カナロア(海)の神々だ。天地創造の神々として崇められていた。

 

カプの廃止
当時、ハワイではカプと呼ばれる禁令制度があり、人々の行動を束縛していた。カプというのは、タヒチの言葉でタプと呼ばれ、英語のタブーの元となった言葉である。カプは、主に性に関するものが多く、食事や生活に関して事細かな決まりがあった。
★食事に関するカプ
・女性は、豚・バナナ・ココナツ・サメ・アカエイ・マンタエイ・クジラなどの
 られた食べ物を食べてはいけない
・調理は全て男性が行う
・男女が同一の獣の肉を食べてはいけない
・男女が共に食事をしてはならない
★生活に関するカプ
・夫はクク
(妻が布を織る家屋)の他に、食事をとる家屋を夫婦別々に
 建てなければならない
・男女は寝るための家屋には共に入ってよいが、そこで飲食することは禁止される
・ムア
(男性が食事をとる家屋。祖先崇拝、人生儀礼、豊饒儀礼などの儀式も行われる)
 への立ち入りは許されない
・寺や神殿として機能する場では男性のみが礼拝を行い、女性の出入りは禁じられる
 カプを破った者は、もしくは神への生け贄という厳しい罰を受けたと言われている。
 数世紀に渡って、続けられてきたカプでたが、
1819年カメハメハ二世の決断により
 廃止された。それと共に古代宗教も禁止され、にキリスト教や西洋文化が入って
 きたことから、ハワイ固有の文化は次第に衰退していった。


フラの種類
フラは、その物語の内容によって、フラ・カヒコ(古典形式のフラ)とフラ・アウアナ(新しい形式の自由なフラ)の2種類に分けることができる。 カヒコの物語が、多くの宗教的意味を持つ神話、伝説、神への賛歌を起源とし、時代背景をふまえた王朝への賛歌、大地と自然への詩、などハワイの歴史と文化のいろいろな要素を含む一方、アウアナの物語は、主に男女の愛の要素を含み、その詩はいわゆるハワイアンソングである。我々がテレビ、観光などでよく目にする、ムームーをつけ、ウクレレ、ギターの音楽にあわせて踊るフラは、アウアナである。 どちらも詩の意味を理解し、心をこめて踊られることに違いはなく、ハワイの住民から愛されている。しかし、外国人の視点から見ると、カヒコは伝統のフラ、アウアナは観光のフラ、と分けることができる。この違いは、二つのフラが持つ歴史の違いによるものである。

 

 

フラの歴史
フラは、前にも述べたように、タヒチから持ち込まれたものだといわれている。 そして、ハワイの伝説によると、ハワイ島の南東部のプナ地区で初めて踊られたとされている。 フラの歴史は、ハワイ島から始まった。  フラは神話の中にもその起源や、神々がに興じている様子を描かれているフラは、もともと神への礼拝の儀式の際に、男女の踊りとして奉納されていたものだった。それが、本来の踊りであるカヒコである。 カヒコは、神聖であり、勇壮であり、また厳粛でもあった。 そのため、神殿(ヘイアウ)儀式では、精神の修養、訓練を重ねた特別な男性しか踊ることを許されていなかった。 ここからもわかるように、フラは立派な宗教儀式であるだけでなく、神話や物語の伝承という役割も担っていた、きわめて重要なものだったのだ。
豊漁や豊穣の願いを神に託すために、多くのチャント(詠唱、メレ・オリともいう)が詠われた。 しかし、古来のハワイに文字がなかったため、その神話、伝説などの物語を継承するのに、フラの踊り手(当時は)はチャントを発達させ、さらに、詩に韻をつけて覚えやすくした。その韻をつけた言葉をメレ・フラ(メレとは詩という意味)といいここから、フラに多様な物語性が生まれていった。 フラの物語の多くにはカオナという隠れた、裏の意味があった。その意味の多くは男女関係に関することであり、アウアナが持つ物語が誕生する1つの起源であったと思われる。 以上に述べたことの大半は、フラ自身によってその歴史が伝説として語られている。 歴史的な証拠は一切なく、実際のところ、はっきりとは言えない。 フラがヨーロッパの世界に認知され、はっきりとしたことが言えるようになるのは、18世紀のクック船長のハワイ訪問からで、当時盛んにフラが踊られていたことが記録されている。 古代から、伝統的に踊られてきたフラであるが、その後19世紀の前半、キリスト教の宣教師達により、「野蛮で、淫らなもの」とみなされ、教会と関係の深かったハワイ王室によって、フラを公の場で演じることは厳しく禁じられた。 キリスト教の宣教師達は、自然崇拝が布教の邪魔になると判断したのである。これにより、ハワイの伝統文化は暗黒期にはいる。(このような現象はポリネシアのいたるところでおきた。)しかし、その間も教会の目が届かない所ではフラは継承されていた。 19世紀後半に即位したカメハメハ5世や、カラカウア王が、ハワイの伝統文化の重要性を認識し、先住民の文化を取り戻すため文化復興の運動がおこる。王はフラの復興に力をいれ、フラを奨励し、完全に復権した。 この流れをくんでいるのは、もちろんカヒコである。 また、もう一方で19世紀後半になると、欧米からの音楽や楽器が導入され、その結果として、従来の打楽器のリズムのみで踊るカヒコとは違い、ウクレレなどの楽器の演奏でメロディと共に踊る新しいスタイルのアウアナが発達した。アウアナは、英語混じりのハワイ語の歌詞、もしくは全て英語だけの詩に併せた踊りとしても発達し、ハワイの観光開発と併せて繁栄し、現在も続いている。 フラのその後(福田) 1970年代頃から、ハワイの先住民族の意識が高揚し、ハワイアン・ルネッサンスという運動となり、政治権力、文化、芸術、宗教などの広範囲に及ぶ変化をもたらした。アウアナの繁栄により、やや影が薄くなってしまったカヒコも復権し始め、フラ全体としても大衆化した。 それに加え、プロダンサーの養育も行われた。今現在では多くの生徒が、クムフラ(先生)から振り付けやステップ、カオナを含むチャントの内容、背景、また発音など、フラ・ハラウ(フラ道場)でフラを熱心に学んでいる。 伝統的な踊りの復元や、伝統的な手法に基づいた新しいフラの創造も盛んに行われている。 これからも、フラはポリネシアン文化の象徴として、また、ハワイの住民のアイデンティティとして、踊られ続けるに違いない。

ウクレレ
ウクレレはハワイの民族楽器であり世界に広く普及している。その起源については、西暦
1879年、ポルトガル人がハワイにやってきた時に、ブラーギニア(あるいはカバキーニョ)というポルトガルの民族楽器を持ち込んだのが原型であるという説が有力である。一方ではブラジルから持ち込んだカバキーニョが起源という説もある。ウクレレの語源は「ウク」=「のみ」、「レレ」=「飛び跳ねる」の意味を持つ。長い航海の末ようやくハワイにたどり着いた移民たちが喜びのあまり歌い踊っている様子(あるいは演奏の手の動き)をみた原住民が「のみが跳ねているようだ」と語ったことに由来するというのが有力な説である。なお現在ではウクレレのことをUkeという愛称で呼ぶこともある。


ハワイの動植物
ハワイは海底火山の影響で形成されました。 むかしは海底に沈んでいたのです。島ができた当初は動物も植物もいませんでした。後に鳥がやってきました。 鳥は小さな虫や植物の種をもってきました。 また、ときどき風にのって小さな種や胞子がとんできました。 そういうわけで、ハワイに昔からある植物のほとんど(シダ科の植物、レフアなど)は、小さな種をもっています。海流にのって流れ着いた生き物もいます。 ハワイのトカゲがそうです。 トカゲは木などの漂流物にのってやってきました。ヤシの実も海流に流されてやってきたのではないかといわれています(学者によってはヤシはポリネシア人が持ち込まれるまで、ハワイにはなかったといわれています)人間がハワイにやってきたのは1500年前になります。 ポリネシア人でした。彼らはアウトリガーカヌーを自由にあつかい大海をかけめぐっていたのです。 彼らがこのハワイに着いたとき、哺乳類といえば、コウモリとモンクアザラシくらいのものでした。 両生類にいたってはまったくいませんでした。植物も多くの種類がいたわけではありません。 ハワイの代表的な植物(例えばハイビスカス、プルメリア、タロイモ、パパイヤ、パンダナス、カバ、パンの実など)のほとんどは、当時ハワイにはなかったのです。それらはすべて、ポリネシア人のもちこんだものです。 ハワイ州の木に指定されているククイナッツでさえ、ポリネシア人のもちこんだものです。 ハワイの動植物を3種類に区別する方法があります。 ひとつはハワイに昔からあった「自生種」。 ふたつめはポリネシア人にもちこまれた「ポリネシア外来種」。 そして最後はキャプテン・クック以来、つまり西洋へのコンタクトの後、持ち込まれた「近世外来種」です。 ハワイのユニークなところは、その自生種のうち
90%は固有種ということです。 つまり、ハワイに昔から生息していた90%の動植物は、ハワイにしか生息しない珍しいものなのです。数で言いますと、8800種の固有種をハワイは有しているのです。 なぜ、そういうことがおきたのでしょう?それは、マイヤーの「創始者効果」(創始者原理ともいう)で説明されます。 ハワイに来た動物、植物の数は多くありません。そのため、元の集団から少数が隔離された状態になります。 少数の種は、小さなグループの中で繁殖を繰り返します。こういう条件では、進化率が早くなるのです。 そのため、隔離された小さな集団は、進化を繰り返し、違う種になります。 たとえば、ロベリア(サワギキョウの仲間)はたった1種類の種から100種類の違った種を生みました。 ミツスイという鳥も、もともとは1種類だったのですが、現在は50種類が知られています。 ただし、ハワイ原産の動物植物の多くは、現在絶滅の危機にさらされています。すでに1000種以上が絶滅しました。 オアフ島の低地で、ハワイ原産の生物を目にすることはまずありません。最初のポリネシアン(ハワイアンの祖先)がハワイに到達したのは約2千年前で、彼らは26種の食料、繊維、灯火用油脂と医薬用植物を持ってきた。動物は豚、犬、野鶏、ラットを伴った。これらの動植物が増えてハワイ固有のフロラ(植生)を破壊し、ファウナ(動物区)にも大きな変化が起こった。 その後1787年にキャプテン・クックがハワイ諸島に到達し、サンドウイッチ諸島と名づけてから、人の往来と共に山羊、羊、牛など大型の草食家畜が導入されて放牧と、外来害虫の食害、農耕、開発や住宅建設など、人間活動による森林破壊で次第に貴重な固有植物が失われて絶滅に瀕する種が少なくない現状を迎えている。

ハワイの鳥
ハワイには105種類の鳥がいました。 ハワイにはもともと15種類ほどの鳥しかいませんでした。 しかし、その鳥が進化をくりかえし、105種類に増えたのです。 後にポリネシア人がハワイにやってきました。 ポリネシア人は鳥を食料のために捕獲します。 結果、35種類の鳥が絶滅します。ジェームス・クックがハワイに来て以来、西洋とのコンタクトが多くなります。 西洋のマントを見たハワイ人は、鳥の羽を使い豪華絢爛なマントをつくります。 ビショップ博物館に展示されている、「マモ」というマントには45万羽の羽が使われ、8万羽の鳥が犠牲になったそうです。また、西洋人のもってくる動物や植物が、昔からいたハワイ固有の動植物の生息地を奪っていきます。 鳥に関していいますと、150種類の鳥が外国からハワイにもちこまれたのです。 その鳥がマラリアをもってきたのです。 伝染病に抗体のない、ハワイの鳥は「木からばたばたとおちるように」、死んでいったのです。 そのため、現在、ハワイ固有の鳥を見つけるのは、かなりの労力をつかいます。 


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