個人撮影で撮らせていただいているなかで、めぐうささんはとても面白い被写体だ。心理的なコンディションが顔に出るタイプらしく、撮り慣れたかどうかより、そのときの御機嫌しだいで撮れる表情が違っている。
 いまどんな心理状態なのか、それは私の知るところではない。個人撮影をさせていただく方と写真以外のことで関わることは、まったくと言えるほど無い。せいぜい時候の挨拶をかわすメールを送るくらいなものだ。
 しかし、何度か撮っていたら赤の他人ではない。沈んだ表情をしていれば励ましたくもなる。とはいえ、プライバシーに立ち入るほど親しくしているわけでもなく、気遣う言葉を投げかけたところで、かえって迷惑になるかもしれない。冷たいようだが、私は事情を聞かなかった。
 私も素人とはいえ写真撮りである。できることなら写真で励ましてあげるようにしたい。そう思いながら頑張って撮った一枚を、無理なお願いながら心の師に御批評いただいた。
「気持ちはわかるけど」
 ということだった。気持ちだけ先走って、完成度は低かったようだ。
「さっちんを撮ったのと他の人を撮ったのとで差がありすぎる。さっちんを撮り慣れているからというだけではないでしょう。何なんだろう?」
 そう言われてみれば、まったくそのとおり。大きなショックだが差が出た原因は、わかっている。それを認めたくないが認めなければならない。
 さっちんは放って置いてもカメラの前で自分をアピールする。さっちんを撮った写真の出来が良いのは、まったくさっちんの力なのだ。完成度の差は自分の未熟さということだ。結局その写真はアップしなかった。
 いつかは私も見る人を喜ばせる写真を撮りたいものだ。それは誰が見ても美しいと思え、しかも気持ちが伝わる写真だ。そのどちらが欠けても鑑賞に値する作品とはいえないだろう。
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