名古屋'90年代ゲーセン写真館

ドラッピー名鉄レジャック店(名古屋駅)

▲'97年頃の撮影。この時は比較的静かで落ち着いてプレイできる場所に設置されていたが、後年はあちこち場所移動が激しかった

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●2000年以降の晩年は見る見るうちに客入りが萎み、テナントスペースを明け渡してゆく姿は目も当てられなかったが、'90年代の《ドラッピー名鉄レジャック店》は、レジャックビル全体を、とても華やいだ空間に演出していた。

 落ち物パズル、大型体感、メダルゲーム、UFOキャッチャー、格闘ゲーム……。
 各ジャンルブームも年ごとにのべつ幕なしに到来していた業界黄金期でもあり、名古屋駅前の同店への人入りは、朝から晩まで老若男女が踵を接するようであった。
 週末の夜にはごった返すほどの混雑ぶりを見せ、ゴージャスなメダルゲームコーナーなどは行くだけで楽しい雰囲気に浸れたことを思い出す。

 名鉄東宝などの近隣映画館に入ると、上映前のCMで“映画の後はゲームシアター・ドラッピーへ!”と、バニーガールコスチュームのモデルを起用した同社のスポットまで流れていた。当時レジャック店はドラッピー他店と比べて売上は桁違いの額まで奔騰していたそうだ。

 カフェや小規模のボウリング場、フラワーショップ、カプセルホテル等、レジャックビルの他の入居はパッとしないテナントばかりだったが、ドラッピー及び世のアミューズメントブームの恩恵を受け、ビル全体が千客万来の様相を呈していた。

 そんな最たる隆盛期の'92年頃、暗くて古びた店内を改装する際、臨時休業すればいいものを日々営業を続けながら店内敷地半分ずつの突貫工事を強行したために、その混雑ぶりは更なる凄惨を極めた、そんなこともあった。
 当時の新台「アダムスファミリー」「ターミネーター2」の真後ろで、プレイ中の筆者の足を引っ掛けるようにして人の往来が激しかったことが、とても煩わしかった記憶がある。

 後年はカプコンの失敗作「ピンボールマジック」が入荷されたが、店員の中でキャプティヴBを抜き取るバカが定期的に湧いて出るため、その都度呼び出して説教したのも思い出深い。

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(2012年3月25日)