名古屋'90年代ゲーセン写真館

ゲームハウスTAIYO(名古屋駅太閤通り口)


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●株式会社太陽企業がかつて運営していた《ゲームハウスTAIYO》は、名古屋駅前太閤通太陽ビルにあった、地下1階のゲームセンター。地上1階においては当時も今も《パチンコTAIYO》が同社によって営まれている。

 撮影は1992年頃で、当時ピンボール「ビッグハウス」の他「ジョーカーズ」「F-14トムキャット」「ブラックベルト」「レーザーウォー」が設置。
 但しメンテナンスは劣悪で、故障の少ないビッグハウスとレーザーウォー以外は全くプレイに耐えられるコンディションではなかった。

 ブラックベルトなんかフィールドが一瞬目を疑う程真っ黒で、フリッパーをホールドするとカタカタ痙攣するわ、アッパーフリッパーは脆弱化してまるで役に立たないわで話にならず。
 トムキャットジョーカーズに至ってはエラーメッセージの“ADJUST-FAILURE”を表示して全く稼働しないまま放置……という壮絶な様相を呈していた。

 それらを故障中として止めることもしない。故障だろうが正常稼働だろうが、開店から閉店まで淡々と電源を入れておくことしかしない。
 毎日毎日、稼働させた際にスイッチ・ソレノイドコイル・ヒューズ等々の異常感知の数々を激しい警告サウンドと共に筐体が次々と表示しようが、一切お構いなし。

 そんな昼行燈のような無能の者達が店番をしていたのだ。

 清掃も碌に行き届かぬ程店内は不潔で、真っ暗な店内のビデオゲームはテーブル脱衣麻雀が中心。
 その麻雀コーナー最奥の脇にトイレがあったのだが、これがまたひときわ不衛生。近寄りがたいほど悪臭が酷く、決して利用したいとは思えなかった。


 ある日のこと。胡乱な店とは分かっていながら唯一プレイするに耐えうるコンディションであった「ビッグハウス」を、相変わらず汚い店内で打っていた時の話。

 同機種ではめったに起きないボールスタックが起き、やむを得ず従業員を呼ぶことに。

 対応に出たのは、ぼんやりと覇気も生気も無く、頭も禿げ上がってしょぼたれる齢50ぐらいの小男。
 “鍵無いからね……人呼んでくるからちょっと待って………”

 その小柄の男が何やら内線で誰かを呼び出している。こんな初歩的なトラブルにすら何の手だてもできぬ無力なその人物が、どうやら階上1Fパチンコフロアの従業員に処務を求めているらしい。
 “今人呼んだから。ちょっと待って……”

 ぼそぼそとスプーキーに口をきいたきり、なんとそいつはその場で筆者の目の前で黙り込んで立ち尽くし、ぼけっと待ったまま。

 無言で無表情、且つぼんやりと無聊に佇む小男と向き合う時間の長いこと。
 しかも呼び出された階上の従業員がなかなか降りてこず、何ともバツが悪く居た堪れず、居心地の悪い空気。
 きびきびと近くの灰皿を片付けるとかテーブルゲームを拭くとか、せめて「今業者居なくてホントゴメンねぇー」ぐらいの世間話に口を開けばいいものを。本当に何もできないようだ。

 散々待たさてれてうんざりした頃。ようやく現れたのが、ヒョロッと長身痩躯だがこちらも年齢50ぐらいでオドオドと不慣れな手つきの、気概の無いうらなりの様な別従業員の男。
 最初の小男がビッグハウスのフィールド内で引っかかったままのボールを指差し、それを見たうらなり男が何をするかと思えば、何とピンボールの筐体を持ち上げて振り始めたではないか。

 ガラスを外してボールを取ってください、と咄嗟に進言すると
 “今カギないから”と取りつく島なく、あろうことか筐体の底を持ち上げたままパッと手を放し、ガツンと床に落とすという蛮行を見せるうらなり男。
 それでもスタックボールは降りてこない。

 「あの!ちょっと!!!」と私が声を荒らげる間もなく、そいつは更に、ビッグハウスの筐体をより高い位置に持ち上げ、床に激しく打ちつけた結果。

 バツン!と嫌な鈍い音と共に、プレイフィールドが外れ落ち、そのピンボールは壊れてしまった。
 尚、スタックボールはそれでも引っかかったままであった。

 するとそのうらなり男がくるりと振り返り、“じゃあお金返すから”と何事も無かったかのようにしれっと言い放つ無表情さに、ゾッと走った虫唾は今も忘れられない。

 これ以上関わりたくもなく手にも触れられたくもない為、返金など受け取らず目も合わさず無視して帰途についた。


 そんな度し難い無能な鈍付たちが店番をしていたゲームセンターはもう無いが、同社及び1Fパチンコ店は名古屋駅前の同地に現存。

 その通りに差し掛かると、子供のころ痴漢に遭った場所を通るような気分にも似た悪寒が今も背中に走る。
 前を過ぎるだけで気分を害すし、心底軽蔑しながら店のロゴに一瞥を走らせては足早に通り過ぎている。

 その後《ゲームハウスTAIYO》は2000年代初頭に《ダンシング・サン》へ改名。写真シール機も置くタイトー系列のゲームセンターに改装リニューアルするものの長続きせず、2005年に閉店。

 以後しばらく空き店舗となっていたが、今では地下アイドルライブスタジオになっているらしい。




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(2017年9月4日)