各名門ブランド ピンボール・リスト

Alvin G./1993

ミステリー・キャッスル

原題Mystery Castle
製作年度1993年
ブランド名アルヴィンG
メーカーアルヴィンG
スタッフウォーリー・ウェルチ/マイケル・ゴットリーブ
標準リプレイ点数
備考ようつべに動画あるよ!⇒GO!

― COMMENTS ―
アルヴィンGことAlvinG.&Co.社は1990年に設立、3作の標準キャビネット台及び3作の変形台を発表した、近代ピンボール社のあだ花的なメーカーです。

 アルヴィンG.の「G」は、Gottliebの頭文字。

 そう、かのバリーと双璧の歴史的ピンボールの名門、ゴットリーブ一族の立ち上げによる新たなるプラントとして発足。
 社長は、'74年に他界したピンボールの父デヴィッド・ゴットリーブの子息アルヴィン。副社長兼デザイナーは孫にあたるマイケル

 1984年に閉鎖されかけたゴットリーブプラントを買い取って立ち上げるプリミアテクノロジー社設立業務には口出しせず、マンディアル社スレン・フェスジャン及びエンバシー社ギル・ポロックという、どちらもゴットリーブ時代に苦楽を共にした、信頼できる賢者2人に一任。
 会社の実権がコカコーラ社に移った頃合いから、ゴットリーブファミリーは既にピンボール産業の出資と経営からは手を引いていたのです。

 そんなゴットリーブ一族が、名家名門の名に懸けて、一度は手放したピンボールメーカー大手の座の奪還に挑んだ、純血且つ新進気鋭のプロダクション。それがアルヴィンG社でした。


 トップツーが純血であるばかりにとどまらず、経営布陣やデザインクルーの面々も、ちょっとしたピンボール産業の紳士録のような顔ぶれ。

 会計担当のジューン・ディーラ、ソフトウェア担当のトム・デフォーティス、品質管理のマイク・ソーヤーアドルフ・ザイツのシニア&ジュニア親子エンジニアコンビ、20年のベテランキャリアを誇るサービスマネージャーのエド・シュミット
 皆往年のデヴィッド時代のゴットリーブ社に献身してくれた、旧知の精鋭メンバーでした。

 そればかりか、プリミアから抜けて来てくれたセールスマネージャーのロン・ザーラー。バリー及びバリーミッドウェイで10年腕を振るったチーフデザイナーのウォーリー・ウェルチ。バリーミッドウェイとデータイーストで経験を積んだソフトウェア&エレクトリカルエンジニアチーフのリー・マーシャント。同じくデータイースト出身のサウンドコンポーザーのロン毛兄さんカイル・ジョンソン、「アースシェイカー!」を最後にウィリアムスから移籍してくれた美術担当ティモシー・J・エリオット
 更に、のちにプリミア'95年製「スターゲイト」のドットディスプレイエンジニアとなるヴィセンニャ・ジョーダン(女性名かと思ったら写真で見ると大柄の黒人男性)、カプコン'95年製「ビッグバンバー」のメカニクス担当となるジョン・ボイドストンの名前も。

 これだけ多士済々たるスタッフ陣営ならば、さぞ名モデルを残したかというとさに非ず。
 アルヴィン製のマシンはただ一度たりとも業界誌トップピンボールランキングに上がる事なく、たった4年の活動期間を終え、1994年に倒産してしまいます。

 '91年〜'93年と言えばピンボール好景気の花盛り。
 にもかかわらず、各マシンのセールスはどれも500台前後と、他社の10分の1以下に伸び悩み続け、設立3年目にしてアルヴィン社は製作基盤の全般的な見直しを余儀なくされました。

 しかしその改善後のリリースとなった「ダイナソーズ・エッグ」「ミステリー・キャッスル」「パンチィ・ザ・クラウン」の'93年後期連続発表の3機種は、いっぱしな標準キャビネットの仕上がりだった「ワールド・ツアー」と比べて明らかに密度が後退した、拙速的な低予算作。
 ゲーム性も決して芳しくはなく、オペレーターとプレイヤーからの信頼性の喪失は、ここで決定的となりました。

 話は'91年発表の第1作目「AGサッカーボール」に遡りますが、このピンボールは言わば対戦型筐体で、プレイヤー同士がヘッド・トゥー・ヘッドで向き合って互いに打ち合うという、特殊筐体モデル。
 保守的なピンボール市場でこのような異端機種自体敬遠されてしまいますが、それ以前に深刻だったのは、作り手の技術的な問題による初期故障の頻発
 この未熟な失態こそ、オペレーター側にとっての新規メーカー第一印象を最悪なものに堕してしまう要因となりました。
 処女作AGサッカーのつまづきが、アルヴィンにとってその後の抗しがたい逆風となったのは否定できません。

 しかし、ピンボール好景気前夜の設立という時機に恵まれたはずのアルヴィンGの失策は、あまり同情できる悲劇ではありません。
 一から作り上げた念願のピンボール部門一作目が出来た頃には、既にデコとWMSに食い荒らされた市場がすっかり干上がり、干ばつの前になすすべもなかったカプコンピンボールとは訳が違います。

 一発アイディアのようで実は過去に幾度も手垢がついていた対戦型ピンボールを、アートやテーマを変えたヴァージョン違いとして商品のあたまかずを増やしたり。ノンフリッパー仕様をリデンプション台で出したり。それでもダメなら西部劇やトランプの伝統的テーマでオールドファンになびいてみたり。
 まるで、'30年代や'70年代にまかり通った時代遅れのピンビズ政策。
 それを'90年代でも通用するだろうという見通しを勘定したご商売は、素人目で見ても苦しい前途は想像がつきそうなもの。

 「とにかくコストダウンが難航を極めた。ゴットリーブ時代と同じ手法が通じなかった」

 マイケルは後にそう述懐していますが、懐こい笑顔の人たらしぶりを発揮して映画会社との交渉術に長けたゲイリー・スターンのデコピンライセンス商法や、トランスライトの創案や実写バックグラス、ストリートレベルシリーズなどの戦略を自ら発案してプリミアを引っ張ったギル・ポロックと比べ、アルヴィンとマイケルにはそういったピンボールビジネスの商才が感じられません。

 また、トップやスタッフが純血たるゆえに、古格と旧態にしばられ、新しい発想と才覚の確保を怠ってしまったのかも知れません。


 当時日本でのアルヴィンピンボールの評判はどうだったのでしょうか。

 国内ではサッカーネタのコンテンツが当たっていたテクモが、商品政策の一環として「AGサッカーボール」をディストリ発売。
 しかし前述のようにゆゆしき初期故障が原因で、ロケーションでは短命に終わっています。

 次に「ワールド・ツアー」が一台だけ輸入され、都内テクモの直営店でロケテストという形で設置されましたが、
 “アートやテーマは魅力的で、作り手のやりたいことは分かるけれど、きちんと実現化できていない”
 ……というのがおおむね当時のプレイヤーの評価です。

 筆者は当時旅客で上京した際このロケテスト台にありつける機会に恵まれましたが、その店舗のキツキツ設置状況が窮屈だった上、当時はアミューズメントブーム最盛期真っ只中の、店内ラッシュで大混雑。
 今では想像つかないかも知れませんが、
 “ただ今店内が大っ変混雑しております!プレイなさらない方はすぐにご退店ください!!”
 ……と従業員の絶叫アナウンスが轟く喧噪ぶり。
 さらにワールドツアーのサウンドボリュームがなぜかゼロにされていて、とても良い環境とは言えないプレイとなりました。
 結局「えっ今トワイライトゾーンのロケテストもタイトーの店で出てるの?じゃあそっち行くー!」
 という話になり、僅か30分でプレイを切り上げてしまった記憶があります。

 そしてお話はようやく本件「ミステリーキャッスル」に至りますが、これが日本のどこのロケーションでどういう状況でプレイしにいたったのか殆ど覚えていない程印象に残らぬ、中身の薄いピンボールでした。
 描きこみの寂しいアートワーク。訴求の乏しいフィールドデザイン。主人公がおらず目的すらはっきりしないテーマ性。
 大幅コストダウン体制が図られた直後の一作とのことですが、それは単なる荒削り低予算策であることが如実に露見した粗雑な仕上がりであったことばかりが記憶に残っています。

 ただ、ゴシックホラーをテーマとしたサウンドやドットグラフィックがなかなか怖い雰囲気を醸せており、ヘタウマな素人っぽさがむしろ天然のうすら寒い狂気を呼び起こすことに奏功。
 ひとかどのホラー映画より撮影の大雑把な投稿心霊動画の方が生々しくて気色悪いのと同じ作用と言ったところでしょうか。
 今見ると安っぽさが別次元の面白みを抽出していて、これはこれで楽しそうです。

 ところで、
 “子供向けリデンプションに寄り過ぎてゲーム性が極めて低い”
 と当時酷評されたアルヴィンGの次作「パンチィ・ザ・クラウン」についてですが、現在キレイにレストアされた台に希少価値が付き、海外では同時期他社の約2〜4倍の額で取引されているようです。

 よって、唯一日本にまとまった数が輸入されたアルヴィン台の「AGサッカーボール」
 国内の業者の倉庫に未だ残っていたなら、ピカピカに仕上げてチューンナップすれば歴史的資料価値が上がり、今後コレクター評価が見直されるかも知れませんね。


(2015年9月12日)