各名門ブランド ピンボール・リスト

Data East/1987

レーザー・ウォー

原題Laser War
製作年度1987年
ブランド名データイースト
メーカーデータイースト・ピンボール・インコーポレイテッド
スタッフデザインクルー:ジョー・カミンコウ、クラウデ・フェルナンデス、ルー・ルドルフ、ドン・スオルネ/美術:マーガレット・ハドソン(ハドソン・グラフィックス)、ケヴィン・オコンナー(オコンナー・アソシエイツ)/ソフトウェア&サウンド/インクレディブル・テクノロジーズ/コスチュームデザイン:スーザン/音楽:デヴィッド・シール
標準リプレイ点数不明(140万ぐらいだったかな)
備考ようつべに動画あるよ!⇒GO!
▲銀のスロープとワイヤーレンが滑空するフィールド上部。 ▲中央ホールのボールロックをつかさどる黄スポットターゲットアップ。因みに各ターゲットは直接ヒットの他ホール1回シュートでも進捗する
▲バックボックス。実写バックグラスは他社からのイタダキだが、プレイフィールドや雰囲気などの調和感があって全体像はなかなかよろしい ▲フィールド下部。左アウトレーンにキックバック有り。再点灯はリターン+ランプレーン
▲赤スポットターゲット3バンクのあぷ。各スポットTはボールロックの他マルチ中に狙うとスペシャルのチャンスも ▲バックボックスにある“Digital Stereo”のナウいロゴ。この頃のデコ台のサウンドは本当にキレイだったが、時代が下るにつれ音響が悪化していったのが誠に不思議だった

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1987年に発表された、データイーストピンボール社(現:スターンピンボール)の記念すべき第1作目
 あの'80年代後半から'90年代前半にわたって、良くも悪くもPINアーケード界における台風の目となった“デコピン”の処女作がコレです。
 社名から判断できるように、同社はアクの強い作風で知られた日本のビデオゲームメーカーのアメリカ法人ですが、直接的な業務や経営に日本のデコはタッチしていません。
 ただし遊び方ハウツーマニュアルの店頭無料配布やメディアへのパブリシティなど、国内のディストリビューターとして日本でのピンボール普及に大きく貢献しました。

 データイーストピンボールの創立者はゲイリー・スターンで、彼の父はウィリアムス社経営経験もありシカゴコイン後年のオーナーでもある、資産家のサム・スターン
 尚サムは旧スターン(シカゴコイン)社閉鎖時の'84年に他界しています。


 では記念すべきデータイーストピンボール社デビュー作「レーザー・ウォー」の代表的なフィーチャー解説を。

【ボールロック】左奥・中央奥・右端にある赤・黄・青のロックホール。それぞれのたもと各々カラーの3連スポットターゲット完成で、ロックライト点滅。

【マルチボール】ボールロックしてアナザーボールをプランジすると即2ボールマルチスタート。この時3箇所のロックホールどこでもいいので2個ともロックすると、同じ手順で3ボールマルチへ。但しこの時ボールロックは時間制。

【ジャックポット】3ボールマルチ中はランプレーンを通せばジャックポット獲得。これはマルチ中のターゲットヒットで10万〜100万まで上昇。

【スペシャル】3マルチ中、ジャックポット獲得前に8枚以上のターゲットを当てればアウトレーンスペシャル点灯

【ランプヴァリュー】ランプヴァリューは各ボールスタート時に、10万点/ボーナスホールド/エキストラボール、のどれかがランダム決定される。3か所のロックホール全部に放り込んでからランプレーンにシュートすれば獲得。

【トップレーン】W-A-Rの3本トップレーン完成ボーナス倍率UP。レーンチェンジ可。MAX5倍。さらに完成でEx.リット

【フィールド倍率】ランプレーンを間髪いれず2連続で通すと一定時間フィールド倍率2倍。さらに立て続けで連続シュートで3倍、4倍、と上昇。5回目成功ではなんと10倍に。


 先ず「レーザーウォー」の完成度についてですが、新参メーカーの第1作目としては申し分無い程高水準でした。
 金属製スロープワイヤーを多用して伸び伸びと打てるプレイフィールド、スピナーとロックホールの配置、多段階マルチとジャックポットの奥行き、ボールロックと絡めて狙えるランダムヴァリュー……。
 それらベースとなるゲーム性に加え、美しい音響によるステレオサウンドや、セットを組んでコスチュームモデルたちをスタジオ撮影した実写バックグラスアートも加わり、ウィリアムス製のマシン以上に洗練されたモデルのニューデザインは、新たな時代の到来を予感させました。

 デコ創設当時の同社のチーフデザイナーであり、今作でもデザインを手がけたジョー・カミンコウは、レーザーウォーとルールが酷似するウィリアムス製「スペースシャトル('84)」の原案者でしたが(NASAのライセンスがスムースに取れたのも彼の功績とのこと)、前作「ディフェンダー('82)」と同じく自分のオリジナルアイディアが先輩デザイナーの手柄になる雌伏に不満を感じたのか、ウィリアムスがいよいよこれからという時節であるスペースシャトルの発表直後に同社を去り、カクテル台PINメーカーとして知られるゲームプラン社に移籍しています。
 そして彼はゲームプランにおいて、フィールド盤面窓にネッシーが3段階表現で姿を現す渾身の自信作「ロク・ネス・モンスター('85)」のプロトタイプを開発しましたがその矢先、不運にもゲームプラン社は事業撤退
 不遇の続くカミンコウに転機として訪れたのが、ゲイリー・スターンとのデコピンボールの運営だった訳です。
 尚、他にもエド・セブラのような旧ゲームプラン移籍組がデコに目立つのは、元々ゲームプラン社自体シカゴコインスタッフの独立でスタートした会社だったから。ゲイリーに知れた顔ぶれで話が早かったようです。

 しかしデコ創設間もないレーザーウォー開発当時、まだデータイーストピンボール社にはプラントがなく、現在の社屋に越す前のオフィスビルのフロアで強引に製造していたため、ラインワーカーも指導する側にとっても、物凄く大変な仕事と作業量だったそうです。
 「正に“愛”ね。あれはゲイリーたちにピンボールへの献身的愛情がなければ絶対にこなせない難業だったわ!」
 と同社幹部のシェリー・サックスは当時を後顧しています。

 そしてその5年後に発表した「リーサルウェポン3」で同社は初の1万台製造ユニットを超えるピンボールセールスを記録。
 出す品は多かれ少なかれ荒っぽいものの、ウィリアムスに並ぶピンメーカーとして最大手にのぼりつめたことは、皆さまもご承知の通り。その後の紆余曲折と零落はもっと大変でしたけど。

 尚、ジョー・カミンコウのその後の履歴も追ってみると、デコ創立後からセガ傘下時代まで13年間にわたって同社エンジニア及びデザインチーフを務めたのち、'99年発表の「サウスパーク」を最後にゲイリーのカンパニーを退社。
 その後彼のライセンス取得ゲーム開発の手腕を買ったカジノゲームスロット大手IGT社が彼を招聘し、今も同社ゲームデザインヴァイスプレジデントとして第一線で活躍中。ピンボール業界へのカムバックも未練もないようです。

▲フィールド全景。赤青黄は「ハイスピード」の真似っぽいが、フィーチャーは「スペースシャトル」の血を色濃く引いている ▲左奥ホール入り口の左スピナーのあぷ。赤バンク完成でボールロック! ▲ワイヤーランプレーン出口。リターンではなく右フリッパーに向けてポイと放られる
▲ランプレーン入り口あぷ。ジャックポットにエキストラにフィールド倍率にキックバックリット……通せば絶対何かイイことが起こるのだ ▲中部右あたり。ワイヤーレーンの動線をとらえてみました ▲トップレーン&バンパー地帯あぷ。

(2011年8月23日)