各名門ブランド ピンボール・リスト

Gottlieb Pinball/1978

ヒット・ザ・デック

原題Hit the Deck
製作年度1978年
ブランド名ゴットリーブ
メーカーD.ゴットリーブ&カンパニー
スタッフデザイン:ジョン・オズボーン/美術:ゴードン・モリソン
標準リプレイ点数ファーストリプレイ7万点、セカンド10万、サード16万
備考製造台数:375台/「ネプチューン」「ポセイドン」と同機種
※ようつべに動画あるよ!⇒GO!
▲バックグラスのアップ。サイケが流行った'70年代前半の、細長いにょろにょろ絵はもう卒業。グラマラス&ガチムチのセクシー路線へ戻っている ▲フィールド下部。……特に言うことないわ
▲フィールド上部。こんなにトップレーンやホールがあるのに、シューターレーンに戻せるボールフローがない ▲キックアウトホールとスポットターゲットを斜辺ショットで
▲モールディングバー近辺。インストラクションカードが当時のまま! ▲バックボックス。流行のデジタル表示…?と思って近づいてみるとドラムという、消費者を食ったマシン。しかも10万のケタ越えはライティング表示ときた

― COMMENTS ―
●このマシンはゲーム性の点ではこれといって特筆できることは少ないです。

 例えばプレイフィールドデザインが稚拙でボールフローがとてもつまらなかったり、アートもありきたりだったり、当時の最先端フィーチャーだったアウトホールボーナスやマルチプライアもなし。
 トランプカードを全部点けるような、まるで'50年代〜'60年代のような凡庸なフィーチャー編成に魅力は感じられません。

 ひとつ挙げるとするなら、リールドラムの数字の印刷が、当時ピンボール仕様の新機軸だったデジタル体だったこと。
 本物のデジタルではありません。ドラムにデジタルっぽい数字が書き込まれてるだけ。
 黒地に赤なので遠くから見るとソリッドステイト台と見まごうばかり。でもソリステではなく、しっかりアナログエレメカ

 当時シカゴのビッグフォーたちがこんなしょーもないことしてる間に、ソリステデジタル台の発表は他のマイナーメーカー(ミルコ社やアリード社)や他国(セガjp)に先を越されていました。相変わらずの保守派ぶり。

 尚、ヒットザデック同機種兄弟版・海外輸出用として「ネプチューン」「ポセイドン」というモデルがありますが、こちらはリプレイの代わりにボール数が増える“アドアボール”ルールが導入されていたそうです。
(追記:2016年10月)

 本機種デザイナーのジョン・オズボーンは、'72年〜'84年にかけてゴットリーブプラントに献身していたエンジニア。

 最たる代表機種として、極北的なバイレベルプレイフィールド台「ホーンテッド・ハウス('82)」が非常に有名ですが、ホーンテッドよりよっぽど気色悪い独特のムードが忘れ難い前作「ヴォルケーノ('81)」や、小洒落たアートとサウンドが魅惑的な「ピンク・パンサー('81)」もなかなか無視できない仕上がり。


 “僕がゴットリーブに居た時代?まさにエレメカの黄金時代さ。ソリッドステイトの勃興、市場の肥大化、そして凋落まで。本当に凄まじかった。馬鹿げてるくらいに楽しくて、且つ悲愴なまでにおぞましい世代だったよ”

 そう後顧するオズボーンの証言を拝聴すると、ゴットリーブは非常に古格的で頑迷なピンボールメーカーで、そこが彼らの強さでもある反面、補いようのない弱点でもあった様相が浮かび上がってきます。

 同社は極めて保守的且つ旧態然とした一族経営の会社で、マネージメント部門は上から下までゴットリーブファミリーで占められていました。
 普通の企業だと優秀なら10年も勤めていれば経営陣に入れるはずが、ゴットリーブの場合は25年献身してやっと一族でない者がマネージメントを任される……というていたらく。

 “ゴットリーブの食堂では女性コックをずーっと勤めてくれていたリズおばさんって方がいてね。ポークチョップ、ステーキ、フライドチキン、シチュー等々。ランチタイムには彼女の手作りで家庭的な食事に皆がありつけたのだけど、彼女への給料は驚くほど少ないんだ。朝早くから午後までずっと社食のキッチンで立ち回ってくれているというのにね。男尊女卑の旧態然とした古い思想が、当時からしても色濃く残っていた会社だったんだよ”


 同社のエンジニアリング部門は常に機密の厳守が徹底されており、他社に企業秘密の漏洩が無きよう、入室プロテクトがとても頑丈に張り巡らされていました。
 オズボーンは既にケーブルランニングテスト、設計図テスト、新台プレイチェックやフィーチャーの精査を担当していたにもかかわらず、デザインデビュー前までは工場内にすら入れてもらえなかったそうです。

 ある土曜日の朝にメディア取材が入り、社内ツアーに彼も帯同。それでもウェイン・ナイアンズは彼を一切中に入れようとしません。
 しかしドア付近まで近寄った時に漂う、ピンボール工場独特の匂い!
 木の薫り、真新しいプラスチック、コットンワイヤー……。正に'70年代ゴットリーブエレメカ台の匂いがぷんと立ち込めており、強烈なときめきと興奮を抑えられなかったことが今も忘れられない…と後年に語っています。


 その後オズボーンはもう一人の先輩格エド・クリンスキ先生がデザインした過去の台を「グリッドアイアン('77)」として2プレイヤー版に仕上げ直すリワーク作業を経た後、ついにウェインから
 “お前も一度シングルプレイヤー台あたり作ってみるか”
 と、フィールドデザインデビューの機会を与えてもらえることになりました。

 “ついに俺のデビューだ!よーし、今までにない新しいゲームを世に送ってやるぞ”

 それで初めて手掛けたのが、今作「ヒット・ザ・デック」だった訳です。

 しかし出来上がったのはポスト(ピン)とロールオーバーだらけの珍妙なプレイフィールドによる、単調なボールアクションの台。
 社内では“ポスティー”と揶揄され、商品化は保留。ヒットザデックのフィールドは一旦棚に上げられてしまうことに。

 力み過ぎて空回りしてしまったこの失敗を習作とし、次作「ストレンジ・ワールド('78)」からようやく自分が納得のゆく仕事が出来るようになったそう。

 結果、オズボーンの台としてはストレンジワールドの方が先に発売されるという順次逆転が起こったものの、時は'78年というピンボール隆盛期。あまりの景気の良さに負け、同社は結局「ヒット・ザ・デック」を海外市場の日和見として「ネプチューン」「ポセイドン」を含め、3バージョンも製造して世に送ることとなりました。


 またオズボーンによると、'70年代当時は海外輸出がシェアの多くを占めており、特に1機種で3本もコインスロットを変えねばならぬドイツ版の仕様変更は、殊更面倒だったそうです。
 2コイン1プレイのコインスロット、ワンコインで2〜5ゲーム仕様、はたまたワンコイン9クレジット!何てコインスロットも。

 なぜこうなったかというと、4人プレイ筐体のオーダーが大量に入るドイツ特有の事情。

 本国と違ってピンボールを規制する法律が少ないドイツは、メーカーにとって有り難い輸出国のお得意さん。
 且つ、ピンボールは必ず多人数でプレイするという意識がアメリカ人以上に強く、その独特の国民性により、ゴットリーブも同国出荷版には手間暇かけて仕様変更を施していたのです。

 今からすると、'70年代の筐体がドラムユニット1人用、または2人用、更に4人用……と同じプレイフィールドでタイトルもアートも変えてプレイ人数バージョンを複雑化させていた煩雑な業務が奇妙に映りますが、このオズボーンの証言を鑑みると、当時の事情が少し見えてきた気がします。


 また、以前本機種ヒットザデックにおける
 『わざわざリールドラムスコアユニットで!? デジタル風数字体仕様だって(笑)』
 という子供だましに失笑した私でしたが、オズボーンの苦悩を察することにより、何となく腑に落ちた気がします。

 “他国・他社ではもうソリッドステイト化が始まっているというのに、ウチの会社は古臭い体制ばかり拘って、いつまでたってもIC化に踏み出せない!どういう料簡なんだ情けない……”

 ドラムなのに、デジタル風の数字体。自社の旧弊ぶりにしびれを切らしていた彼は彼なりに、そんな風刺めいた反抗心を世に示したかったのかも知れません。


▲ジョーカーのキックアウトホール。ダイレクトに狙えない配置の上、トップレーンに打ち出すという定石ボールフローすら配せていない ▲プレイフィールド全景。戦略の練れるボールフローがなく、ムダが多過ぎる ▲中部左端3連ロールオーバー。
▲左リターン付近 ▲フィールド上部右のバンパー&ロールオーバー。ホントなんも言うことないわねこの機種 ▲右側はリターンレーンが無かった

(2012年9月24日)
(2016年10月26日)