Williams/1994デモリションマン | ||
原題 | Demolition man | |
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製作年度 | 1994年 | |
ブランド名 | ウィリアムス | |
メーカー | ウィリアムス・エレクトロニクス・ゲームズ | |
スタッフ | プレイフィールドデザイン:デニス・ノードマン/美術:ダグ・ワトソン/メカニクス:ウィン・シュリング、アルマンド・ズニーガ/ソフトウェア:テッド・エステス、ビル・グルップ/音楽:ジョン・ヘイ/バックグラス画:リンダ・ディール/ドットマトリクス:スコット・スロミアーニー、ユージーン・ギーア | |
標準リプレイ点数 | 3億5千万点 | |
備考 | 米リプレイマガジン誌ピンボールランキング8か月ランクイン、初登場'94年5月号5位、最高順位'94年6月号2位/国内販売:タイトー |
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●ウィリアムス'94年製ピンボール「デモリションマン」の制作のとば口は、当時同社のピンボール部門のGMだったロジャー・シャープのプランニングから。 ピンボール次回作のモチーフとして制作中映画の脚本を各社から物色していたシャープが、シルヴェスター・スタローン、ウェスリー・スナイプス主演でワーナーブラザーズスタジオにて撮影中の「デモリションマン」に目を付けたのが発端でした。 デザイナーとして抜擢されたのはデニス・ノードマン。 '82年のバリー製エレメカ「ラピッドファイヤー」の威風堂々たるキャビネットデザインを手掛けて以来業界でキャリアを重ね続け、「ホワイトウォーター('93)」「ドクターデュード('92)」など独創的なオリジナル台が代表作として突出する彼にとって、映画ライセンス台を手掛けるのは意外にもこれが初めて。 しかもこれもデニスの初仕事であるワイドキャビネット仕様を任されることもあり、高邁心に溢れる彼は逡巡することなく、意気揚揚とこの企画を引き受けます。 デモリションマンのピンボール化が内定となると、デニスはロジャー・シャープを伴ってハリウッドに飛び、撮影中であったワーナーブラザーズスタジオを訪問。 映画に登場する“クリオプリズン”の大掛かりなセットを肌に感じたデニスは、是非“クリオクロー”のギミックをピンボールで再現したい!と野心をたぎらせます。 ワーナー側はWMSやデニス達をVIPとして手厚く歓迎しており、脚本とスチル写真の提供は勿論、映画関係者の祝賀パーティーにもデニスたちを招待しています。 デニスはこの時、ウィリアムスと同じように映画タイアップ商品を企画していた玩具メーカーのマテル社の面々と歓談し、彼ら制作のフィギュアとミニカーを見てカークラッシュのフィーチャーを創案。マテル製デモリションマンミニカーをそのままフィールドデザインに採用することとなりました。 映画でのエキサイティングな4つのアクション場面は、4段階マルチボールのモチーフとして再現。“眼球キャプティヴボール”も、本編の見どころだった目ン玉くりぬき網膜スキャンからインスパイア。 かの「新スタートレック」の出演者でピンボールのヴォイススピーチも担ってくれたトレイシー・コッコーをMCに迎えたプロモビデオも制作。 デモリション出演俳優ではありませんが、筐体に跨り喘ぐ彼女の演技及び演出がなかなかきわどくてセクシーでファニー。 デニスはこのプロモの演出にまではタッチしていませんが、映画の雰囲気を遵守したクールな仕上がりに関しては気に入っているようです。 尚、プロモの劇中デニスと一緒にピンボールをプレイしていて、彼女に電流ロッドでお仕置きされてしまうオヤジは、当時ウィリアムス社セールスマネージャーのジョー・ディロンとのこと。 “なぜガンハンドルグリップなんかキャビネットに付けたかって?映画デモリションマンがガンとウェポンとシューティングに満ち満ちた映画だったんで、銃器を操作する感覚を是非再現してみたかったんだ。マニアプレイヤー達が馬鹿にすることなんて想定内だったから、逆にガンハンドルボタンを使ったマニアックな隠しフィーチャーを、プログラマーのテッド・エステスとビル・グルップとで協力し合って、山の様に盛り込んだのさ。” そうなんです。このデニス・ノードマンの証言の通り、キャビネット側面に取り付けられた、ぐいっ!と握り応えのあるガンハンドルグリップの左右ボタンを同時押しすると、マルチボール時だとJP1回クリア、ミステリー時には追加ボーナス有り……等々、咄嗟の操作で得られる隠しフィーチャーが豊富に盛り込まれていました。 それより、あのグリップはハギングやスライド技の揺らしテクにも便利だった記憶があります。 “過去のライセンス企画としてエルヴァイラがあったけど、デモリションマンでは映画のストーリーラインに沿ったゲーム作りが求められた。それはそれで自分にとってチャレンジだったし、とても遣り甲斐があったんだ。デザインスペースの大きいワイドキャビネット企画を任されるのも初めてだし、より規模のあるギミックを盛り込めることで創作意欲が刺激され、とても鼓舞されるものがあった。映画ライセンスを押し付けられたような意識や企画への倦厭は無かったよ。” この時期のピンボール産業はマネージメントからの映画企画のお仕着せばかりで、デザイナーは疲弊且つ辟易していたイメージがありますが、不遇の時代が永かったデニスにとってはそんな事はなく、会社から仰せ付かった大役の抜擢として尊く拝命していたようです。 ただ、ピンボールゲームとしての評価は当時も今もあまり高くないことは否定できません。 一見してフィールドデザインに魅力が乏しく、『是非ココを狙いたい!』と強く惹かれるようなポイントが見当たらない……。 マグネットでキャプチャーされたボールをガンハンドルグリップで弧を描くようにクレーン操作、5つの枝分かれしたワイヤーランプレーンを選択して通過させる“クリオクロー”ギミックも、ゲームプレイの興奮としてそれほど効果をあげていません。 そのクリオクローで得られる5つのモードも、当時迷走的に乱用されていた時間制ミニゲームスタイル。 他のフィーチャーとの噛み合いや構築を断ち切ってしまうゲームの流れが、プレイヤーの興味を分散させてしまいます。 それと、この機種は「トワイライトゾーン('93)」や「インディジョーンズ('93)」と同じく、[SUPERPIN]仕様。標準キャビネットサイズよりシューターレーン2本分程フィールドの横幅が広い、いわゆるワイドキャビネット台。 今までのピンボール筐体と同じ扱いで稼働させると、殊更日本では電圧不足によりフリッパーの打力が2割程度落ちてしまい、何とかランプレーンには通るものの爽快感は減退。 プレイしていてもどかしさが募ってしまいます。 加えるに、標準キャビネットがあった場所に無理やりワイド台を押し込んだら配置と間隔がギリギリになってしまい、両サイドのフリッパーボタンに手の甲も滑り込ませられない……という、住宅事情の悪い日本のロケーションならではな問題まで発生したというエピソードも。 インカムランキングもあまり高くは無く、国内外のロケーションでは凡庸且つ短命な台として消えてゆきました。 思い返せば、当時のウィリアムスのピンボールは大変にゴージャスでした。 ワイドサイズの映画ライセンス商品「インディ・ジョーンズ('93)」「スタートレック〜ザ・ネクスト・ジェネレーション('93)」など、そのビッグネームに基づく派手やかな機能と仕掛けが満載で、プレイフィールドや筐体からは昂然とした偉容と自信が満ち溢れていました。 しかし、パッケージは大変豪華なのに、これだ!という面白味がどの台にも欠けており、故障が多く、きちんと稼働してくれない。 「デモリションマン」はピンボール産業の迷走と凋落への綻びが顕著に現れた、駄作の一機種である……というのがプレイヤーの平均的評価となります。 しかし、現在になってゲーム性をよくよく鑑みると、興味深い点もちらほら。 7か所あるメジャーショットのアローライト点滅を次々縫い合わせると"コンボ数"が上昇。 10回エヴリでミステリーリット、12回と50回でEx.リット、コンボ数チャンプでネーム入力も有り……等々、今では当たり前のコンボ数加算アウォードスタイルを取り入れたのは、このデモリションマンが最初でした。 更に、4つのマルチボールを終えると[デモリションジャックポット]が右ランプに掛かり、それまで苦労して稼いだ額が再び総ざらえで雪崩れ込む愉悦感。 またメジャーショットレーンが高額化するウィザードマルチ[デモリションタイム]中、スタンダップを完成させると追加のアドアボール発射!最後まで諦めずにギリギリまで粘った結果ウィザードが延長出来るルールは、プレイヤーを大いに燃焼させてくれます。 かように、現在のトレンドにも十分通ずるようなゲーム性の掘り下げが各所に散見。 残念ながら現世代のプレイヤーが現行ロケーションでプレイする機会には恵まれていませんが、そろそろ評価され直してもいい時機が来ているのかも知れません。 そうそう、もうひとつ注目したいのが、超セレブリティな俳優3人が揃った豪華なバックグラスアート。 シルヴェスター・スタローン、ウェスリー・スナイプスは勿論、何といっても白眉は「スピード」でブレイク直前だったサンドラ・ブロックでしょう! 目ぢからのある彼女の美貌はスタローンとスナイプスを食っていると言っても過言でないくらい。 このバックグラスアートを仕上げたのは「ドクターフー('92)」「シアターオブマジック('95)」のリンダ・ディール・ドエインですが、これら原画及びプレイフィールドなどのアートワークを担当したのはダグ・ワトソン。 「ソーズ・オブ・フューリー('88)」の原案者でもあり、「ブラックナイト2000('89)」「ターミネーター2('91)」といったダークタッチでいぶし銀の筆勢を誇るアーティストでしたが、当人はこれまでコラボ経験の無かったデニスから美術担当として直々に指名された際、喜ばしい反面やや不思議にも思ったそうです。 (デニス特有のパーティーシリーズのぶっとんだ世界観はグレッグ・フレーレスと相性抜群だし、パット・マクマホン、ジョン・ユッシーといったコミカルな絵描き屋の方が互いの作家性が活きるだろうに。なぜわざわざシリアスタッチの私のところに……?) 解せない表情を浮かべるワトソンにデニスはこう力説します。 “T2、アダムスファミリー、インディジョーンズ、そして今グレッグとスティーヴたちが取りかかっているスタートレックネクストジェネレーション。今ピンボール産業は映画ライセンス政策の導入が不可欠になってきている。しかし映画ライセンス企画が初めての僕には正直不安がある。そこで、T2やインディジョーンズのアートを完璧にこなした経験者の貴方に、是非今作の美術を担当してもらいたいんだ” こうしてデニスの依頼を引き受けたワトソンの元へ、撮影中デモリションマンの脚本が送られてきます。 何を隠そう大の映画通でもある彼は、スタローン&スナイプス主演SFの新作シノプシスを手中としたことに胸を躍らせ、過去に極秘扱いで渡された「ターミネーター2」の脚本を徹夜して熟読した時の興奮が甦るかと思いきゃ、 “な、なんじゃこりゃ!?こんな酷いシノプシス、よくスタローンが主演を引き受けたな” こんな馬鹿らしい未来が来てたまるか、と言いたくなるようなトンデモ近未来SFだった為、今ならまだ間に合うんだから別の映画に変更しないか……とデニスに苦言を呈するものの、 “スタローン主演という箔は強力だからヒットの可能性は高い” と、スタジオセットのクリオプリズンを見学して既に創作意欲に火がついていたデニスのモチベーションの方を尊重することになりました。 しかし更なる問題は、映画会社ワーナーはともかく、製作側であるジョエルシルバースタジオとの折衝でした。 殊に、豪放磊落というより傲岸不遜で有名なハリウッドの名物プロデューサー ジョエル・シルバーにはデニスもいい印象を抱いておらず、ワーナー主催のパーティーでJシルバーと会った際、 “いやぁーキミがピンボールデザイナーのデニス君か。リーサルウェポンの時のジョウ・カミンコウ君並みの良い仕事ぶりを期待してるよぉ” ……との厚かましい口ぶりに、その場にいたロジャー・シャープと共に思わず苦笑いした、なんてエピソードも。 そんなジョエルシルバースタジオから、ワトソンが提出した「デモリションマン」バックグラスアートの素描3案が突き返され、何の説明もなく描き直しの命令が下されました。 困惑しながらも追加のアート案を描いては送るを繰り返すものの悉く拒絶が重ねられ、ついぞ9枚目のバックグラスアート案が不採用となります。 冷静でプロ意識の高いワトソンでしたが、これでは埒が明かないと流石に音をあげてロジャー・シャープに助けを求め、彼を介してジョエル・シルバーと交渉を試みたところ、十日もかかって真意が判明。 何と悪役サイモンに扮するウェスリー・スナイプスが自分の肖像に難癖をつけており、ワトソンが脚本やスチル写真資料のイメージ通りに憎々しく嘲るサイコパスづらに描いたスナイプスの顔が、当人の不興を買っていたと! スナイプス曰く、 “俺はもっとハンサムなはずだ。美形で凛々しく、尚且つセクシーさが漂う雰囲気で描くべきだ” などとのたもうていたそうな……。 ワトソンは心底閉口しながらもそのご神託を元に、主役のスタローンと同等のサイズ・同等の扱いでMr.スナイプス様を描いたことにより、ようやく11回目のアート案でOKが貰えることになりました。 しかしこの時、メインキャラとして描く予定は無かったはずのサンドラ・ブロックの肖像を、構図のバランスを取るためスタローンと同等サイズで堂々と描きこんだところ、その後「スピード」「あなたが寝てる間に……」の大ヒットで名を揚げたサンドラの肖像ヴァリューが急騰。思わぬ怪我の功名を招くことにもなったのです。 しかし制作の進捗状況は既に逼迫しており、プレイフィールドのアートワークにも悪影響を及ぼすことは不可避に。 フィールドアートの描き込みが寂しくもぎこちない仕上がりとなった上、このままでは最終的なバックグラスの仕上げまでもが納期に間に合わせられない。 それでリンダ・ディールにヘルプを求め、結局バックグラスは彼女がペイントすることになりました。 最初はデモリションマン商品化に反対したものの、それでも、あのスタローンが描けるなら……とデニスと妥結したワトソンでしたが、とどのつまりには自分の手で描く事ができなかった。 その後大ブレイクしたサンドラ・ブロックすら描くことがかなわず、尚更悔しかったそうです。 立場と事情を酌んで全面的にサポートしてくれたデニスには大いに感謝しているものの、彼の口からは未だに当時の屈辱への怨色が隠見されています。 ところで、その後皆それぞれの近況についてですが。 デニス・ノードマンはWMSピンボール部門業績低迷により解雇されるものの、'90年代末頃から2000年代前半にかけて他社でエレメカ筐体を精力的に発表し続け、2005年からはピンボール業界に復帰。スターンは勿論ウィズバン社、ジャージージャック社、ハイウェイ社、スプーキー社、ギズモゲームデザイン社、そして現在籍ディープルートピンボール……等々。腕が立つ上仕事の早いデザイナーとして各社から今日も引く手あまた。 ダグ・ワトソンはその後ビデオゲームのアートワークでその辣腕を振るい続け、ストームフロントスタジオ社のゲームソフトでは「ロード・オブ・ザ・リング」のキャラクターデザインなど、数多くのソフトでのグラフィックを担当。最近ではカリフォルニア州SAEエクスプレッション大学で教鞭を取る傍ら、ハイウェイピンボール社のアートワークにも貢献。 一方、デニスやワトソン達を振り回したジョエル・シルバーは、その遠慮会釈無き素行が災いして数々の映画会社から出入り禁止となり、映画「マトリックス」以降は大きなヒットに恵まれず、スタジオの業績は低迷。 ウェスリー・スナイプスに至っては2008年に脱税容疑で禁固3年の実刑判決を受け、釈放後の彼はハリウッドでは見る影も無く、とんと凋落しましたとさ。 どっとはらい。 |
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