各名門ブランド ピンボール・リスト

WILLIAMS/1979

フラッシュ

原題Flash
製作年度1979年
ブランド名ウィリアムス
メーカーウィリアムス・エレクトロニクス・インク/ウィリアムス
スタッフデザイン:スティーヴ・リッチー/美術:コンスタンティーノ・ミッチェル/メカニクス:ジョン・ジャン/サウンド:ランディー・フィーファー、スティー・ヴリッチー
標準リプレイ点数不明
備考製造台数:19,505台/ようつべに動画あるよ!⇒GO!/各写真は吾妻社の店舗ネバーランドの許可を得て撮影
▲フィールド上部。'70年代前半と比べてアートの変革性が明らか!但しゲーム性にはまだ大きな変化がない ▲ヒロイックファンタジー風バックグラス。ピンボールもこの時節から明確な主人公の存在をアートに打ち出してきた
▲フィールド中部左5バンクドロップターゲット。点数稼ぎにしろEx.&Sp.にしろ、ここが一番重要と見た ▲フィールド中部ドロップ3バンク。ここも狙い目だけどワンクッションアウトレーンが怖くてなかなか
▲キャビネットの写真も1枚撮ってみた ▲フィールド下部。スーパーフラッシュ点灯時にはドロップに5万点がかかる

― COMMENTS ―
●近年にしろ1979年当時にしろ、ひとつの機種が開発されるには、先ず最初の原案はピンボールの親会社がキャラクターや映画ネタの企画を持ってきて(特に当時はコロンビア映画社がゴットリーブの実権を握っていた)、プレイフィールドデザインはフリーランスにオファーし、プログラムも外注でソフトウェア開発してもらう……等々、アウトソーシングを多々含むピンボールの製作は、全体像の俯瞰やコントロールに難航を伴います。

 しかし当時のウィリアムスは、ピンボール部門の組織化の実現に向け、社内で大々的な改革を敢行。

 チーフデザイナーのスティーヴ・コーデック総指揮の元、若手デザイナーたちの招聘、美術部門の設立、開発、生産、広報・宣伝・営業、全てウィリアムスの手の内で把握できるよう編成されてゆきました。
 コストの引き締め、秘密の保持、納期の厳守、質の巧拙によるダメ出し……等、全てをコントロール。同社製品のクオリティは火を見るように格段と上昇してゆきます。
 '80年代の同社のただならぬ強靭さはソコにあったようです。

 ピンボール業界においてこうまで大々的な編成は珍しいそうで、その昔唯一ユナイテッド社(1942〜1962)が同様のピンボール生産の組織化に挑んだことがあったぐらいで、それほど前例がないことなのだとか。
 不思議なことに、かつてのユナイテッドと同じ住所の同じビルにそん時のウィリアムス本部が入居していたそうな。創設者リン・デュラントの残留思念でもあったのかしら。

 それはいいとして、特筆すべきはスティーヴ・リッチーのウィリアムスへの入籍。当時閉鎖されてしまったアタリのピンボール部門にて、ちょっと変わったワイドキャビネット台を手掛けていた彼を招き入れたコーデックは、斬新なニューマシン「フラッシュ」のデザインを彼に任せます。
 作画に迫力のあるヒロイックファンタジーのテーマ性、ピンボール業界初のバックグラウンドサウンド、これも初めての試みである鮮烈なストロボフラッシュの演出など、画期的な新機軸を取り入れた同マシンは、一万九千台以上もの製造ユニットを記録。彼のウィリアムスでの初仕事としては申し分のない大ヒット作となりました。

 さて今になってゲームをプレイしてみると、トップレーンの完成でボーナス倍率アップ、ドロップターゲット完成の積み重ねでスピナーキックアウトホールのヴァリュー多段階上昇、更なる完成でエキストラやスペシャルの点灯……という、非常に伝統的でシンプルな編成。
 その一方で際立つのが、当時同社が開発した“デュアルサウンドシステム”なる、荒々しいBGサウンド
 効果音というより超音波のような二重和音の波動が猛々しく唸り続けるそのサウンドは、ヒットやシュートの度に音色が変化。1ボールで粘れば粘るほど音が鋭角に張りつめてゆくその緊張感たるや!あと1回の完成でエキストラが!スペシャルが!などとプレッシャーと戦うプレイヤーのテンションを沸点まで高めてくれるのです。
 当時、ピンボールと言えばソリッドステイト化されてはいたもののBGMはなく、“ブッブッ”“ピロリロ”と単音ビープを連発させるのが関の山だったのですが、この「フラッシュ」によるBGSは、ピンボール史のサウンド面に格段の進歩をもたらせました。
 これまでのPINアートには見られなかったヒロイックファンタジー調濃厚アートにもテレビゲームへの対抗心がありありと伺えるし、ドロップ完成時にイナヅマ型フレーム内盤面下ストロボフラッシュが稲光る演出にもハッとさせられます。
 ……だって1979年と言ったら前年発売の「スペースインベーダー」のブレイクイヤーですもの!負けてらんないもんね。

 ところでスティーヴ・リッチーはその後「ファイヤーパワー('80)」「ブラックナイト('80)」「ハイスピード('85)」「ターミネーター2('91)」等、発表のつどピンボール史を塗り替えるような金字塔作を発表し続けましたが、'96年にはWMS/ウィリアムスの経営不振により同社を去っています。
 その後古巣のアタリに戻ってしばらくビデオゲームの開発に携わった後、フリーランスとしてスターンの「ターミネーター3('03)」を手掛けてピンボールデザイナーに復帰。
 スターンとは「24 -TWENTY FOUR-('09)」を最後に契約が打ち切られるといった紆余曲折はあったものの、現在では正式にスターン社へ招かれ、ウィリアムス時代に師弟関係のあったジョージ・ゴメスらと共に、チーフデザイナーとして辣腕をふるうことになりました。
 この今回の「フラッシュ」の時のSコーデックのような立場という訳です。

▲トップレーンへ通じる左レーン2本。その気になればサイドフリッパーで連続ループ可能 ▲フィールド全景。リッチーさんってこの頃から稲妻が好きだったのね ▲右奥スピナー。たもとには星型ロールボタンも3連
▲左リターン近辺のアップ。 ▲右ホール。Ex.ライト点灯時は勿論、1万点ヴァリューが点いた時はひたすら狙いたいポイント ▲右リターンのアップ。ゲッタウェイ風q字シューターも画期的

(2011年7月22日)