ジャスパー.H.シンガーは19世紀後半のサルーンバガテル全盛期に後発組メーカーとして市場へ参入。他社には無い発想とアートデザインでバガテル産業に更なる活況をもたらした人物である。 Mレッドグレーヴ側と提携して互いのパテント使用を共有。位置変更可能なピンやスピニングメーター等を考案、モダンバガテルのプレイフィールドデザイナーとして名を上げた。 シンガーは1846年オハイオ州生まれ。南北戦争勃発前の暗雲を機に、彼の一家はニューヨークへ移り住む。 ニューヨークではボードゲームメーカーを生業としていたシンガーだったが、自社商品が惰性化し始めた為、もっとアクティヴで新しいゲームジャンルを新規開拓出来ないかと考えあぐねていたところ、市場がとても賑わっていたバガテルの開発を思いつく。 1889年にオリジナルデザインのバガテル「バガテルボード」で市場へ参入。パテント取得にも成功した。 1880年代から1890年代にかけ、当時人気だったMレッドグレーヴ社のバガテル台を模倣する形で、ボット兄弟社の「ガームテーブル」、JMブランズウィック社「バガテルテーブル」、カランダー社「パーラーバガテルボード」、リーゼンフェルド社「トップバガテル」「イングリッシュバガテル」「パーラーバガテル」等々がサロン業界でしのぎを削っていた。 しかしスプリングシューターの常用により特許取得者であるレッドグレーヴと揉めるメーカーもいれば、シューターの仕組みを僅かに変えて訴訟を避ける小手先技を駆使するメーカーも散見。 バガテル市場は活況が過熱した乱戦期に入っていた。 そんな中、シンガーはスプリングシューターの使用許諾をレッドグレーヴへ正式に申請した。 しかも面白いことに、シンガーオリジナルアイディアであるスコアヴァリューのインジケーターをレッドグレーヴ側も使えるという交換条件で、スプリングシューター使用契約を成立させたのだった。 レッドグレーヴ社製バガテルは家具としても違和感なきよう、シックで格調高い趣を旨として作られていたのに対し、ボードゲーム畑出身のシンガー発想によるバガテルのデザインは漫画的、且つカラフルで鮮やか。 インジケーターの針や★型風車スピンの仕掛けによるフィールド上ボールアクションが動的であるのみならず、海、岩礁、鳥やイルカ達などの花鳥風月、色彩豊かな模様、燃え上がる炎を描きこんだアートワークが人目を引いた。 この創造性の柔軟なシンガーとレッドグレーヴとの提携により、双方のバガテル製品は活況し、見た目にも華やぐこととなった。 シンガー製バガテルの代表作は1889年製「クックー」。 当時の定石バガテルフィーチャーである入賞ホールを全て排斥するという大胆な発想で、代わりにプレイヤーの持ち駒と言えるピンを盤面上のどこか好きなところに挿し、それにヒットさせるとビッグポイント。 風見鶏の如く変化する中央のスピニングアローはミステリースコア。更にフィールド下部スコアリングポケットもプレイヤーが位置を決めてはめ込んで措定するという、レッドグレーヴや他社が思いつかぬようなゲーム性が突出していた。 またルールが独特であるが為、インストラクションの文面が盤面に印字されていたのも当時としては画期的であった。 「クックー」及び「ウォーラー」はシンガー製バガテル定番台として20世紀初頭頃まで好評を博すが、やはり時代の趨勢と己の高齢には彼も抗えなかったようだ。 1910年頃になると、シンガーもバガテルテーブルの製造を打ち切っている。 |