チャールズ・ラフスキー設立。 1897年にミズーリ州セントルイスで「チヴォリ・テーブル」を発表、高セールスに気を良くしたラフスキーは翌年シカゴに移転してチヴォリテーブル社を興す。 その後もキューショットタイプのバガテルを続々と生産。代表作は「チヴォリテーブル」「ピジョンホール」「クロンダイクピジョン」「シカゴ」「マンハッタン」など。 特筆は「マンハッタン」で、かのケイリーシーマー社の目に止まり、彼らの手で「リトルマンハッタン(1901)」として製造販売された。 また、ニューヨークと東シカゴにおいて「チヴォリテーブル」「シカゴ」は2人用にバージョンアップして売られていたという。 左端と右端でキューが2本備え付けられ、プレイヤー2人が左と右に座し、それぞれ順番に打ったというのだから興味深い。 ピンボールで2人用機能が一般化したのは、1950年代以降のことなのだから。 尚、1870年代から1880年代にかけて、ニュージャージーのバガテルテーブル屋ジョン・エルソンが手掛け、ベル・風車・板バネシューター搭載台としてパチンコ歴史本に掲載されていた「チヴォリ(1876)」シリーズと、ラフスキーのチヴォリは無関係である。 当時は多くのバガテルメーカー達がチヴォリの名が付いた台を製造していた。 |