▲ピンボールマシンの筐体 | ▲ピンボールのプレイフィールド | ▲ピンボールのプランジャー |
■“ピンボール”とは、アメリカ発祥の玉打ちゲームマシン。
日本のパチンコ盤面を横にしてサイズも大掛かりにしたようなプレイフィールドで、ボールを盤面へ手動で打ち出すスプリング仕掛けの“プランジャー”や、手前でボールを打ち返すバットのような左右パーツ“フリッパー”によるアクティヴなボールアクションが特徴。
☆18世紀〜19世紀、1930年代ピンボール史詳細は“ピンボール黎明期の創始者たち”で深く掘り下げて解説 |
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▲ピンボールのプレイフィールド下部 | ▲ピンボールの左右フリッパーのアップ |
■アメリカでは1930年代の大恐慌における庶民の娯楽として大々的に席捲。 不景気により街じゅう失業者が溢れ返っていた世相の中、バーカウンターのへりにポツンと置かれていた、僅か1セントで皆が遊べる玉打ち盤“ピンボール”への需要が急騰した。 点数表示化、自動計算機能、ライティングなどの電気化、穴からの蹴り出しやコイルバンパーのボールアクション、ベルやチャイムの鳴物、プライズ化やギャンブル化の払い出し機能、タイトルロゴやキャラクターをカラフルに描いた華やかなバックボックスの考案……等々。 無電源の地味で扁平な玉突きボードだったゲーム盤が、凄まじい勢いで現在でも通ずるような壮麗な筐体仕様へと急進化。 僅か数年で雷霆万鈞たる発展を遂げたことにより、現在のコインオペエレメカ,アーケードゲームマシンの基礎がここで完成したと言っていい。 製造禁止令が発布された戦時中も庶民の娯楽として人気は根強く、'40年代の後半にはボールを打ち返す“フリッパー”が発明。プレイヤーの腕前によって戦況が左右されるゲーム性が芽生える。 '30年代末頃〜'60年代にはギャンブル台に対する法律規制で非ギャンブル台のピンボールまで規制対象に包摂される災難や、ガンゲームや競馬ゲームといったアーケードエレメカの強敵に脅かされるものの、ファンによる熱狂的な支持は失わず、ゲームデザインの洗練が進んだ'70年代にはピンボールへの法規制が各州で解禁。 ついぞアーケードゲームの先鋒として再君臨した。 日本では1960年代頃からデパートの屋上やボウリング場、遊園地、スポーツセンター、空港、ホテルのゲームコーナーに設置され人気となり、1970年代には国内でもアーケードの代表的ゲームマシンに。 スケート場や卓球場、コインランドリーにも自然と置かれ、1ゲーム30円、50円といった料金設定で誰もが楽しめる手軽な娯楽として親しまれるようになっていく。 ドラム式スコア装置やアートフルなバンパーのデザイン等々、ピンボールのイメージアートもこの頃の仕様に由来する。 ゲームセンターなる新手の商売が散見され始めた1970年代後半には、ピンボールはソリッドステイト革命により、スコア表示もサウンドもコンピューター化。 各娯楽場やゲームセンターなどで一等に膾炙される。 |
▲スコア仕様がリールドラムユニットの'70年代ピンボール | ▲'60年代〜'70年代のバンパー |
'70年代末頃から'80年代前半に入ると、「スペースインベーダー」「パックマン」と言った急伸的なビデオゲームの熱狂と台頭によりピンボールが押し拉がれたばかりか、複雑なメカニクスと大掛かりな筐体規模による管理とメンテナンスの困難さがビデオゲームと比べて圧倒的に不利であることが指摘され、ピンボール産業は危急存亡を迎える。 しかし'80年代後半から'90年代前半にかけ、メーカー各社がマルチボール,ジャックポット,ランプレーン及びループレーンデザイン等々をピンボールのゲーム性に導入。 この時点でピンボールはビデオゲームを超えるゲーム性を開拓。筐体の高価さ、ビデオゲームのようなロム交換でゲームの入替が出来ぬ不便さ、メンテの困難さをもはねのけ、'90年代前半には一機種2万台製造の大ヒット作も生まれる。 |
ところが'90年代後半に情勢は急転し、ピンボール産業は急速な衰退を迎る。 主な原因は、景気の良さに飽かしたメーカー同士のナンセンスな覇権争いだった。 「ターミネーター2」「アダムスファミリー」「ジュラシックパーク」に端を発した映画ライセンス路線のコピライト取得争奪に各社が血道を上げてしまい、映画の公開時期に合わせて拙速且つ極端に質の低い粗悪台を次々と乱造。 ディストリビューターやオペレーター、そしてプレイヤーからの信頼をも急激に失ってしまう。 本来なら半年〜1年以上の制作期間をかけていたはずが、敵対メーカーへの嫌がらせや出し抜きの為に、僅か1か月〜2か月で他社のヒット作をそっくり真似たゲーム内容の映画コピライト粗悪台を、原盤を使い回すことにより短期間サイクルで連綿と発表し続けたり。 他社に対抗すべく、撮影中映画のライセンスをプロダクションから片っ端に買い占めてピンボールゲーム化を契約。無駄な予算を浪費したばかりか、映画がクランクアップしたら結局は駄作の大コケタイトルばかりで完成したピンボールは見向きもされず、手痛い損益を被ったり。 新品入荷なのに初期故障が酷く、全く稼働にならない台も珍しくなかった。 かように、ピンボールファンを踏みにじるような運営を何年も続けたことにより各メーカーが自滅。 メーカー同士のメンツをかけた啀み合いから互いに粗悪台を出し続け、その結果として市場を失った。 こんな大失態、60年続いたピンボール史上において前代未聞である。 本来メンテナンスの複雑さやプレイ時間の長さを解決すべき時期に犯した業界の醜態により、メーカーの殆どは閉鎖・撤退を余儀なくされることに。 特に日本のゲームセンターにおいては「プリント倶楽部」や「ビートマニア」といった写真シール機及び音楽ゲームジャンル勃興によるパラダイムシフトの時期にあたり、かつてアーケードの王様だったピンボールは完全に姿を消すことになった。 名門で老舗であった往年のメーカー達は、一様にしてこの時期に潰えている。 這う這うの体でどうにか残ったピンボールメーカーが一社だけとなった2000年代は、正に“失われた10年”とも呼べる市場氷河期。ピンボールのハードや仕様の進化はほぼ停滞。 しかし一般プレイヤーも楽しく打てる反面マニア層もうなる奥行を深めたゲーム性の洗練は水面下で進行。これは2010年代のゆるやかな市場復興へと繋がった。 |
▲スターン社2013年製「AC/DCルーシー プレミアム」 | ▲スターン社2011年製「ローリング・ストーンズ」 | ▲スターン社2015年製「キッス」 |
▲スターン社2012年製「X-MEN」 | ▲スターン社2013年製「アベンジャーズ」 |
'10年代前半に入ると、臥薪嘗胆とばかりに生き残っていたスターンピンボール社が「ローリングストーンズ」「AC/DC」「メタリカ」「キッス」といった、ロック・洋楽をテーマとしたをマシンを発表。 単なるライセンス契約を超え、アーティストとの親密なコラボレートを叶えた提携作群は、ジャンルファン各位において大いに歓待された。 更に、「アベンジャーズ」「X−メン」「スパイダーマン」「バットマン」等々、アメコミファンのコレクターの収集欲を刺激するピンボール機種をも陸続と発表。 それらラインナップにおいては機能と性能、価格差に選択肢をもたせたいくつものバリエーションを、【スタンダード版/プレミアム版/限定版】……といくつものマイナーチェンジ商品として取り揃えるバージョン政策指針を邁進。 新技術の導入と共に丁寧に構築されたゲーム性の高さも評価され、ピンボールマシンの収集家は勿論、ジャンルマニアの好事家を購入層として捉えた商品群が高セールスを獲得。 スターンピンボール社の収益は年々右肩上がりとなった。 この新時代におけるピンボール市場の安定化により、ジャージージャック社、スプーキー社、マルチモーフィック社等々、新規のピンボールメーカーが矢継ぎ早の如く参入。新たな息吹が次々と覇を唱えた。 |
▲スプーキー社2017年製「ドミノズ」 | ▲ジャージージャック社2017年製「ダイヤルド・イン!」 |
現在におけるピンボール産業の課題は、かつてのようにコインオペ産業の定石へとピンボールを返り咲かせること。 まだまだ欧米のアーケードにおいてはかつての王座を取り戻せてはいない。 また、日本におけるピンボールの復権は全くお話にならない状態で、極めて異例的な専門ロケーションが日々プレイヤー達にとっての干天の慈雨として歓迎されているだけで、一般的ゲームセンターでは今も尚全く見かけることが出来ない。 ゲームセンターで異例の入荷があっても、従業員も客も遊び方が分からず、左右フリッパーの打ち方が分からない、ボタン配置も分からない、ピンボールという呼び名も知らない……という、目を覆うような惨状を呈している。 日本国内での20年間もの空白は、あまりにも大きい。 |
▲2000年代の一時期には日本のアトラス社が国内ディストリを務めたことはあったが、オペレーターやプレイヤーへの啓蒙力が乏しく、ピンボール人口増加への寄与は皆無だった。左からアトラス販売のスターン台「ソプラノズ」「ザ・シンプソンズ」「ロードオブザリング」。 |