鶴舞公園〜The History


明治39年(1906年)
11月13日公園用地買収費、追加予算(増額修正127,836円)可決。
12月3日公園設計計画議決。
明治40年(1907年)
月日不明公園用地買収完了。
1月26日県に公園設計計画申請手続。
8月20日精進川改修工事の浚渫(しゅんせつ)土砂で盛土、埋め立て着手。
8月21日県より公園設計計画の許可指令を受ける。
明治41年(1908年)
1月20日公園施設を43年度より45年度までの継続事業(100,000円)可決。
2月10日県より共進会会場用地として公園地の無償貸付の申し入れがあり、市会はこれに同意。
3月15日再び精進川改修工事の浚渫土砂で埋め立て続行。年末まで45,000立坪。
10月10日第10回関西府県連合共進会、地鎮祭挙行。
11月10日公園事業41、42両年度事業に更正。
明治42年(1909年)
月日不明県は愛知県立医学専門学校並びに県立病院(現在の名大病院)の新築移転先として、公園敷地の一部割愛を要求。
3月27日市外御器所村から公園地のみ切り離し、市域編入可決
5月5日奏楽堂建築工事起工。(施工:清水組)
11月19日鶴舞(つるま)公園告示。96,558坪(約31.9f)
明治43年(1910年)
3月16日共進会開催6月13日まで。会期90日間の観客人数263万人に及ぶ。名古屋開府300年記念の噴水塔(設計は工学士の鈴木禎次。施工は木村善一)が会場正面を飾り、聞天閣、奏楽堂、鈴菜橋が建設された。聞天閣が材木組合より寄贈。
10月10日愛知県の病院並びに学校建設のための土地収用公告。
10月16日噴水塔が共進会より寄付。
11月27日愛知県に病院並びに学校建設のため18,406坪(約6.1f)を割愛。
明治45年(1912年)
月日不明公園計画が再検討され、45年度より9ヶ年継続事業として公園事業に着手。
大正4年(1915年)
2月27日動物園設置の意見書が市会に提出される。
大正7年(1918年)
4月1日動物園開園。3,242坪(約1.1f)
大正8年(1919年)
2月12日八幡山一部買収費(11,235円)追加予算可決。
2月26日八幡山公園敷地拡張の件、可決。
大正9年(1920年)
年月日不明公園建設ほぼ完成。
大正10年(1921年)
2月25日動物園拡張に関する建議が提出される。
大正15年(1926年)
1月28日22号公園として都市計画化決定。
6月14日猿面茶席及び松月斎を県へ無償貸付申請。
8月6日県より上記2件の譲渡通知。
昭和2年(1927年)
3月15日昭和天皇御成結婚記念として公会堂建設の地鎮祭挙行。
9月18日名古屋新聞(現:中日新聞)20周年記念として普選記念壇建設の地鎮祭挙行。
昭和3年(1928年)
4月2日公会堂建設工事起工式。
6月23日普選記念壇竣工。
6月24日加藤高明伯銅像建設会社より銅像寄付、除幕式挙行。
12月22日御大典奉祝名古屋博覧会へ参考館として名古屋木材商組合が鶴々亭を建築、寄付申し入れ。
昭和4年(1929年)
1月22日鶴々亭受納。
10月30日猿面茶席移築の地鎮祭挙行。
昭和5年(1930年)
年月日不明春の池埋め立て。
5月14日青年団令旨碑、地鎮祭挙行。
8月8日公園事務所新築。
9月30日公会堂竣功。
11月22日青年団令旨碑、除幕式。
12月13日名古屋市連合青年団より青年団令旨碑、寄付申し入れ。
12月26日東海美術協会より美術館寄付。青年団令旨碑受納。
昭和7年(1932年)
4月29日運動場に観覧席を設け、陸上競技場に改装。
昭和8年(1933年)
4月26日庭球場2面開場。猿面茶席及び松月斎を移築設置。
昭和9年(1934年)
9月9日奏楽堂取り壊し。
昭和10年(1935年)
11月30日動物園東山公園移転問題が市会で可決。
昭和11年(1936年)
8月14日奏楽堂再建工事着手。
12月22日奏楽堂がモダンな姿(←時代を感じる表現…)で竣功。
昭和12年(1937年)
3月19日動物園廃止を告示。
3月24日東山動物園の開園に伴い、付属動物園閉園。
7月28日猿面茶席が国宝に指定、告示。美術館建設。
昭和17年(1942年)
8月27日聞天閣を東山の忠霊塔奉安殿に移築のため解体。
9月5日美術館を倉庫として中川運河堤に移転のため解体。
12月15日公園事務所を秋の池に移築。
昭和19年(1944年)
4月28日金属回収により加藤高明伯銅像を供出。戦時中、陸上競技場、八幡山古墳及び吉田山は高射砲陣地として陸軍に接収され、園内の大木はほとんど伐採または切断された。花壇や芝生広場は食料増産のため耕作地にかわった。
昭和20年(1945年)
1月3日猿面茶席、松月斎、吉田庵及び解体保管中の聞天閣の材料が空襲により焼失。
3月12日浮見堂が空襲により損壊。
昭和21年(1946年)
9月進駐軍が公園の主用地域約46,000坪(15.2f)接収。
昭和24年(1949年)
月日不明高明山に児童園開設(ここで言う児童園とは池の茶屋北の休憩場。滑り台などの遊具は最近なくなった)
昭和25年(1950年)
5月第5回国民体育大会挙読場としてスタヂアム建設工事着工。
9月スタヂアム竣功。
昭和26年(1951年)
10月1日接収解除。
昭和28年(1953年)
4月接収解除。
昭和29年(1954年)
12月酒勾の滝(竜ヶ池の滝のこと)竣功。
昭和30年(1955)
3月接収中、埋め立てられていた胡蝶ヶ池南半分が復元。鈴菜橋も永久橋にかわり(現在では元の橋名の“鈴菜橋”に落ち着いた)、水禽舎、猿舎、四阿建設。
6月1日復興祝賀式挙行。
8月27日朝日新聞社より青銅製の「鶴の噴水」が寄贈される。
昭和31年(1956年)
2月15日公会堂が接収解除。
6月17日朝日新聞社より青銅製「亀」が寄付される。
昭和32年(1957年)
11月2日朝日新聞社より青銅製「巣ごもりの鶴」が寄贈される。
昭和33年(1958年)
9月13日旧制第八高等学校創立50周年記念の「伊吹おろしの碑」建設、除幕式。
昭和34年(1959年)
9月26日伊勢湾台風により園内の大木やヒマラヤ杉並木等に甚大な被害を受ける。スタヂアム一部損壊。
昭和35年(1960年)
9月第二室戸台風により立起木に再び被害を受ける。
昭和37年(1962年)
月日不明スタヂアムとりこわし。
10月1日鶴舞公園振興協会経営のベビーゴルフ場開場。
昭和39年(1964年)
月日不明スタヂアム跡に野球場建設。噴水塔改修工事。バラ園拡充
昭和42年(1967年)
7月15日普選記念壇の五箇条御誓文、園銘板復元。
昭和44年(1969年)
5月10日奏楽堂改修工事竣功。
昭和45年(1970年)
5月勤労会館竣功。
昭和46年(1971年)
5月20日公園事務所、鉄筋コンクリート造竣功。公会堂西園路規制。
昭和48年(1973年)
3月地下鉄3号線(現:鶴舞線)建設工事のため噴水塔解体。
昭和52年(1977年)
3月18日地下鉄3号線開通とともに噴水塔復元。
昭和53年(1978年)
8月普選記念壇改修(ベンチ設置等)。
昭和54年(1979年)
11月3日国際児童年記念「子供の広場」開場。
昭和55年(1980年)
3月31日陸上競技場夜間照明施設設置。
5月15日「緑化センター」開館。
10月1日公会堂大改修完了。庭球場全天候型コート(テニスコート)へ改修。
昭和56年(1981年)
3月31日庭球場夜間照明施設設置。
4月3日北花壇に彫刻「踊り子」(ヴィナンツォ・クロチェッティ作)設置。
昭和57年(1982年)
3月正面広場改修(正面花壇等)
昭和58年(1983年)
4月27日「鶴舞グリーンプラザ」開館。
8月陸上競技場改修(観覧席)。
昭和59年(1984年)
3月31日北花壇改修(縁石等)。
4月1日鶴舞中央図書館新装開館。
昭和60年(1985年)
1月竜ヶ池浚渫。
3月バラ園改修(縁石等)。
3月31日野球場夜間照明施設設置。
10月10日噴水塔ライトアップ開始。
昭和61年(1986年)
3月10日「あじさいの散歩道」竣功。
4月9日南花壇に彫刻「ベアトリーチェ」(フランチェスコ・メッシーナ作)設置。
5月27日「鶴舞公園噴水塔」及び「鶴舞公園普選記念壇」が名古屋市指定文化財に。
7月29日「踊り子」ライトアップ開始。
平成2年(1990年)
3月3日「鶴舞公園」が“日本サクラ名所100選の地”に指定。
平成9年(1997年)
4月2日奏楽堂が公園築造当時姿に復元。