
● 越後線
柏崎から新潟まで、信越本線より海側を走る83,8キロの短絡線。(信越本線柏崎−新潟間は100キロ) 電化されていて114系と新しいE126系がおよそ2時間で結んでいる。ただし新潟発の電車は多いが、柏崎を出る電車は日に10本と少なく、新潟まで行くのは1本(新発田行き)しかない。
海側を走っているといっても、全線車窓から海を見ることは出来ないから、乗っていてもあまり面白い線ではない。どちらかといえば新潟寄りの通学・通勤線の意味合いが強く、柏崎側は完全なローカル線のイメージだ。(駅の規模を見ると一目瞭然)
越後線の歴史 大正元年私鉄の越後鉄道として吉田−白山間、柏崎−石地間が開通し、翌年には全線が開通した。昭和2年国鉄に買収され越後線となる。しばらく柏崎−白山間であったが、昭和26年新潟まで延びて今の形となった。(ちなみに白新線の「白」は白山で「新」は新潟ではなく新発田。計画された頃は柏崎−白山が越後線、白山−新発田が白新線となる予定だった。越後線が新潟まで延ばされたので、「白新線」というより「新新線」というほうが正しくなってしまった。)
● 弥彦線
弥彦から東三条まで17.4キロの短い線。越後線を十字架の縦棒とすると、吉田を中心に丁度横棒のような形をしている。全線電化されているが、洋食器で有名な燕市を通り、上越新幹線の駅もある吉田−東三条間より吉田−弥彦間の方がローカル線色が濃い。だが当初の目的は弥彦神社の参拝客への利便を目的とした線だった。
弥彦線の歴史 越後鉄道の支線として大正5年西吉田(今の吉田)−弥彦間が、大正11年西吉田−燕間、大正14年燕−一ノ木戸(今の東三条)間が開通。昭和2年東三条−越後長沢が開通し、同年本線と一緒に国鉄に買収された。その後東三条−越後長沢間が昭和19年戦争悪化で休止となり、昭和21年復活したが結局昭和60年廃線となり現在の形となった。
撮影日2000,6.11
(ただ今、地図を開いております。しばらくご辛抱の程を。)
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