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◎富山港線

 富山岩瀬浜間8.0キロの短い電化路線。富山市の北、日本海までに広がる工業地帯の足と物流のための鉄道だが、モータリゼーションの波と港及び工業の中心が富山港から新湊の富山新港に移ったため昔の面影はなくなってしまった。

 大正中期に神通川上流の水力発電が発達し、富山市北部に化学・金属工業が興った。それにともない東岩瀬港が開発され、富山市と東岩瀬港を結ぶ鉄道の必要が高まった。そこで富岩鉄道株式会社が作られ大正13年富山口と岩瀬港(今の岩瀬浜)が開通した。始発駅が富山口だったのは飛越線(のちの高山本線)の富山駅乗り入れルートが決まっていなかったためで、決定後富山−富山口が開通した。その後、岩瀬埠頭(現在の富山港)の建設にともない富山市が敷設した日曹工場前(今の奥田)までの貨物支線を借り受けた。昭和16年戦争の激化と共に富山電気鉄道(今の富山地方鉄道)に統合され、昭和18,6,1更に国有化された。線路は残っているが貨物線は昭和18,6,1廃止された。

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撮影日2001,04,29


◎氷見線

 氷見線は北陸本線高岡から日本海に面した町氷見市まで16.5キロのこれも短い非電化路線。かつての越中国の中心を通り、周囲に遺跡旧跡等が多く。また越中国府駅から雨晴駅までの間は海際の風光明媚なところを走る。しかし、氷見線は能町の貨物ターミナル、新湊への貨物支線など伏木工業地帯や海岸沿いの工場地帯への輸送をになう役割が強い。

 歴史は古く明治33年中越鉄道株式会社によって建設された。当時は鉄道建設ラッシュで能越鉄道の七尾−高岡間、輪島鉄道の輪島−高岡間、七尾鉄道の七尾−氷見−高岡間と申請が相次いだがいずれも却下され、結局中越鉄道氷見−高岡間の氷見線と高岡−城端間の城端線が免許を得て工事が始まった。まず明治33,12,29高岡−伏木間が開通した。明治45,4,4島尾、大正1,9,19氷見まで軽便鉄道として開通した。その後大正7年能町から新湊まで開通させたが大正9,9,1全線国に買収され、城端(城端−高岡間は現在の城端線)−伏木間を中越線、伏木−氷見間を氷見軽便線、能町−新湊線を新湊線と呼ばれることになった。大正11,9,2伏木−氷見間の軽便線の呼び名を廃止し氷見線となる。現在の形になったのは昭和17,8,1のことである。
 なお大正11年「改正鉄道敷設法」で氷見から羽咋まで延長し七尾線と連絡させる計画が立てられたが実現しなかった。新湊線は昭和26年旅客扱いを廃止し、貨物専用線となった。

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撮影日2001、04.29


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