和歌山線は関西本線王子から紀勢本線和歌山まで87.9キロの電化路線。紀ノ川沿いに走り、吉野、高野山、沿線の古跡と見るべき所が多い。しかし関西は私鉄王国で、近鉄や南海の路線が縦横無尽に通り、なおかつ近代化され本数も多いために、電化はされているもののローカル線にあまんじている。

 和歌山線はもともと3つの私鉄によって明治後年に開通したもので、かなり複雑な歴史がある。明治24年3月大阪鉄道が王子−高田間を開通させた。(ちなみに大阪鉄道は今の関西本線の湊町−奈良間を既に開通させていた。) 高田−葛(今の吉野口)は明治29年5月、同年10月葛−五条・五条−二見(後の川端、今の大和二見とは異なる)を南和鉄道により開通。明治31年4月紀和鉄道が五条−橋本間(五条−南和鉄道接続点までは両鉄道共用)。同年5月紀和鉄道は和歌山(今の紀和)−船戸(仮、後に廃止)。明治32年6月船戸(仮)−船戸、明治33年8月船戸−粉河(仮)、同年11月橋本−粉河(仮)間が開通しだいたい今の形になった。
 その後明治36年3月紀和−南海連絡点(今の和歌山市)。この5月紀和鉄道は関西鉄道に譲渡された。(大阪鉄道は既に明治33年関西鉄道に譲渡済み) 明治37年12月、南和鉄道が関西鉄道と合併され、全てが関西鉄道となる。明治40年10月国有化され関西線となり、明治42年王子−南海接続点(接続点から紀和までは南海鉄道)・大和二見−川端間を和歌山線とする。
 ずっと下って昭和36年7月田井ノ瀬−東和歌山(後の和歌山)間が貨物線として開通。昭和47年旅客業務開始。昭和49年田井ノ瀬−紀和、昭和57年大和二見−川端が廃止され(昭和57年まで貨物線として使用)ようやく現在の形に落ち着いた。なお電化は昭和55年五条まで、全線完成は昭和59年である。
 元々和歌山線は大阪と和歌山を結ぶつもりで出来た線だが、南海鉄道が路線を引いたため存在価値が薄くなってしまった。国鉄は阪和線を買収しようやく南海鉄道と対抗する大阪直通の路線を持ったが、この阪和線の駅として出来たのが東和歌山駅で、やがて玄関駅の地位を占めるようになり和歌山線も終始駅を旧和歌山から変更した。

 運用も複雑で全線を走る電車は少なく、和歌山−高田間が主で105系が使われている。高田からは王子を経由し関西本線でJR灘波や大阪に乗り入れていて211系が使われている。その他、和歌山・五条・王子から桜井線に入り奈良まで行く電車も多い。

撮影日2001,03,24

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