サイトで写真を公開することには様々なリスクがあるにも関わらず、しょせんは自己満足の世界に過ぎないというのか「発表」したうちに入らないらしい。各種のコンテストで「未発表」が応募条件になっていても、個人サイトで公開したものも未発表とみなしてくれる場合がある。
 どうしてそういう扱いなのかはわからないが、たしかに私のサイトも自己満足の集大成と見られても仕方ない。誤解を恐れずに言えば、サイトを閲覧してくださる不特定多数の皆様のために写真を撮っているつもりがないからだ。見て欲しい人は他にいる。撮らせてくれるモデルさんたちの周囲にいる人たちだ。
 ちかごろ、私はコンテストというものに関心が無くなった。誰のために撮影した写真かと問われれば、審査員の先生のためではない。
 あるモデルさんは、私が撮った拙い写真を実家に送っているそうだ。
「おじいちゃんが喜ぶんです」
 という一言が、私にとってはなによりの御褒美だと思えた。
 写真の楽しみ方は人それぞれあっていい。自分の引き出しにそっとしまっておくような、自分のための写真を撮るのもかまわないと思う。しかし、写真は撮る人と写る人の思いを伝えるものだから、自分以外の誰かに見てもらわないと作品として完成しないだろう。
 いままで私はエロスの表現を避けてきた。あられもない姿をして写真に撮られるモデルさんにも家族がいる。そして友達もいるだろうし恋人もいるかもしれない。そうした周囲の人たちが見ても納得できるほど高い芸術性を表現できる自信がもてなかったからだ。
 個人撮影に彼氏を連れてくる素人モデルさんもいるのだが、私としてはけっこうリラックスできる。ミニスカートを履いた人をローアングルで撮るなどというのも彼氏が立ち会っていればこそ出来ることだ。
 撮影の最後に彼氏との2ショットを撮って差し上げることもあった。サイトでは公開しない写真ではあるが、良いのが撮れて喜んでもらえるとこちらも嬉しい。
 本来、写真とは見る人を喜ばせるものだと私は思う。だがしかし、悲しいことに心ない人がカメラを手にする場合もある。盗撮はいうに及ばず、たとえモデルとの合意があって撮影した写真であっても、その写真を見て怒りや悲しみを感じる人もいるだろうと容易に想像できるような品位のない写真が、ネットの世界に流れ出る現実は痛ましい。
 私は同好の諸氏に問いたい。
   あなたの写真を見て、誰かが悲しみませんか?
   あなたの写真を見て、誰かが憤りませんか?
   あなたの写真を見て、誰かが後悔しませんか?
 上記のうちいずれかに該当するなら、その写真は作品とはいえない。サイトには公開せず、自分の引き出しにそっとしまっておいて欲しいものだ。
 写真の作品としての評価は、誰に見せたいかという動機から分かれてくるものと考えても良い。誰に見せたくて撮っているか、それは必ず写真に写る。自分のためだけに撮られた写真には、撮影者の心映えしか見えてこない。飽くなき美の探求が見えるならともかく、劣情しか見えないような写真は見苦しい。
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