ファーム皆勤賞を頂戴したその日に、k-oka先生に言われたことがある。
「表現手段に溺れるな」
 そのとき私が持っていた新型カメラは広角側に画角が広がった。その分だけ幅広い表現が可能になる。しかし、その性能に溺れてしまうことがないようにとの警句だった。
 いや、それだけではあるまい。ファームで会得した技術に溺れて、初心を忘れたりしてはならないと私は思った。そもそも写真は気持ちを伝えることが出来るものだ。むしろ技術は表現の手段でしかなく、大事なのは気持ちの有り様なのだ。
 tenten撮影会にグラビアアイドルが出演したとき、私も参加したことがある。いつもならば写真好きばかりが集まるアラジン先生のスタジオに、アイドルの熱心なファンたちが集まるというので、どことなく空気が違う。アイドルのファンというと、秋葉原系のお兄ちゃんたちを思い浮かべる人もあるだろうが、この日集まったのは穏やかに温かく見守る様な人たちで痛々しい雰囲気は微塵もない。それでどのように空気が違うのかというと、彼らにとっては写真の技術など二の次だということだ。好きなアイドルと同じ時間を過ごす楽しさを写真におさめることが目的なのだということがわかる。だから高価な機材を自慢したり、それほど巧くもない写真を「作品」などと言い張ることもない。写真を撮るという行為は手段であって目的ではないということを、私は彼らから改めて教わった気がする。
 言うまでもなく私は素人だ。いくら写真が下手でも、仕事ではないのだから誰かに大きな迷惑がかかることはない。だからこそ大事なのは、技術より気持ちの有り様なのだ。
 あるとき、アラジン先生を囲む酒席に自分の写真を持っていって見て頂いた。そのうちの一点を「これ、いいね」と言ってくださったので、自席に戻って気分良くその写真を眺めたら後ろから声がかかった。
「それ、構図が良くないしね……」
 先生のスタジオに出入りする写真仲間の一人だったが、頼みもしない御講評を拝聴させてくださる。何人かモデルさんも同席していたなかでカッコイイところを見せたかったのかもしれない。いましがた先生に褒められたばかりの写真に対する酷評を聞きながら、私は失笑を堪えるのに必死だった。
 あとでその写真仲間のサイトを見て思ったのだが、確かに巧いけれども心が見えない。それに引き替え、アイドル撮影会に来たファンの写真には巧さを感じさせなくても、優しさが滲み出ていたし、なによりアイドルの表情が和んでいるのが印象的だった。
 結局のところ、素人である私にとって他の人が撮った写真の評価は「好きか嫌いか」で、良い作品であるかどうかは二次的なことになる。どちらが好きかと問われるなら、ファンの愛情がにじみ出た写真の方が好きだ。
 私は一人のアイドルを撮り続ける趣味を持ち合わせておらず、いろいろな人を撮りたいと考えている。また、巧く撮れるようになりたいとも思っている。しかし、何処の誰を撮るにせよ忘れてはならないことがあると思う。よそのお嬢さんを撮らせていただくのだから、大事に撮ろうという気持ちだ。それは写真を撮り始めた頃から思っていることであり、その初心を忘れてはならないと、いま自分に言い聞かせているところだ。
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