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2001.7.18
目覚ましがなり三時半に起床し、野菜ジュースとウイダーインゼリーの軽い食事を摂り四時過ぎに木下小屋を出発した。小屋の横にすぐ登山道の入り口があり、登山者名簿に記入し登り始める。最初はジグザグの登りで起きたての体には少々きつく感じた。エッチラオッチラ登る事1時間、『オホーツク展望』に着き一休みを取る。ここからは多分オホーツク海が見えるはずだが、本日は同じ海でも雲海が一面に広がっていた。その雲海の素晴らしさに感動して先に進む。ここからは『極楽平』と言いその名のとおり楽ちんな平行移動となりさっきまでの荒い息使いから開放される。途中、『弥三吉水』と『銀冷水』二つの水場が合ったが両方とも沢(湧き水ではなかったので)なので飲まなかった。
そこから先はまたジグザグの登りとなり『羽衣峠』に到着。峠だからこの先は下りかと思ったらまだまだ登り、そこから10分で『大沢』に出た。今までの樹林帯とは違いここから先は開けた明るい道となり、可憐な花が次々と現れ疲れた心を和ませてくれる。先ず現れたのがエゾキバイソウで、黄色くてかわいらしい花だ。この花を眺めながら小腹が減ったのでアンドーナッツを食べた。疲れている時のアンドーナッツは最高である。再び力が涌いてきたので先へと進む。ここからはエゾコザクラ、イワヒゲ、エゾノツカザクラ、チングルマ、エゾツツジ、イワギキョウ、メアカンキンバイ、イワブクロ、アオノツカザクラ、ウコンウツギなどが次々と現れてくる。今回は本当に時期がよくお花畑の中を歩いているようだった。 「この土は滑り止めの為に誰かが盛ったのかなぁ?」 と言うと、 「そうねー、自衛隊か何かが来て盛ってくれたのじゃないの」 「それにしても、これだけ盛るとなると凄い量だなぁ」 と、感心しつつ上を目指す。 「あそこに斜里が見えるよ」 「うわー本当だ。あんなところからチャリで来たんだねー」(我輩たちはチャリンコで北海道を旅していた) 「やー俺達って凄いよなー、ここまで漕いで来ちゃったんだからなー」 などと感慨に浸っていると、後ろから『羅臼平』に荷物をデポして身軽なおじさんとお兄さんの二人組が近づいてきた。おじさんに、 「こんにちは。やー、斜里岳が雲の上からきれいに見えますねー」 と言うと、そのおじさんはニコニコしながら、 「あれは北方領土だよ」 だって。「あー、やっちゃったー」。てっきり形が似ているから『斜里岳』だけだと思っていたが方向がまるで反対だった。雲海のため本当の海が見えず、てっきり陸がそちらのほうに続いていると思い込んでいたのが大間違い。思わず四人で大爆笑となった。 コースタイムはここから1時間と書いてあったが、「もう目と鼻の先、そんなにきつそうにも見えないしすぐ着くだろう」と余裕をかましていたら最後の最後で大きな岩場となり時間を食ってしまった。この岩場の手前には『岩清水』があったがこれが摩訶不思議で、岩から水が染み出ているのである。しかもその岩の上にあるものと言えば、『羅臼岳』の山頂に向かう岩場が少しあるだけで水を保水しておくような感じではないのにここからは水が滴り落ちている。本当に摩訶不思議である。 「後ちょっと、後ちょっとだ、がんばれー」 とカミサン(本当は自分に言っているのかな?)を励ましながら登っていると、上から降りて来たおじさんが、 「あの上の岩、おっこってきそうだから、あんちゃんたちもこうやっていつでも隠れれるようにしとったほうがいいぞー。ハッハッハァー」 と笑いながら、近くの岩に隠れるしぐさをした。それから続けて、 「もう少しだ頑張れー」 と言って下っていった。何とも面白いおじさんだ。僕たちはおじさんにも励まされ、9時20分無事『羅臼岳』に登頂した。山頂からの眺望は一面雲海だったが、その雲海の上から見る景色もまた格別である。たまに雲の切れ間から『知床五湖』『知床横断道路』『羅臼湖』などが見え隠れしていた。 「こんにちは、ここいいですか?」 と言って中年夫妻の横に陣取り、山頂でお湯を沸かす。朝飯だか昼飯だか分からないが(時間的には朝飯なんだけど、すでに起きてから六時間たっているからね)ラーメンを作って食べていると、何やら怪しい男の二人組が「こっちの知床峠の方に下りたほうが近いんじゃない」などと言いながら登山道とは違う方向へと降りていった。カミサンと、 「あの人たち危ないねー」 と言いながらラーメンをすする。 頂上で一時間くらいゆっくりと休憩を取り下山した。 「下りの岩場、大丈夫かなぁ?」 と心配していたカミサンだったが、下ってみると案外楽で、あっという間に降りてきてしまった。そこから先は頂上であった中年夫妻との「抜きつ抜かれつ」のデットヒート(?)となる(別に競争していたわけではありませんよ)。『大沢』までは変化に富んでいていいのだけれども、そこから先は長くだれ気味になる。カミサンも大分お疲れでのようで、何回も後ろから「ズルッ」と音が聞こえ、大分足に来ているみたいだった。下山途中カミサンに、 「今日の宿はどうするか?」 と言うと、 「もう疲れたし、木下小屋に泊まろう。それにYH泊まると高く尽くし、食料もまだあるしね」 との答えが返ってきて、今回の閣僚会議はあっさり終わった。 長い長い下りもようやく終わり15時前に無事小屋に帰ってきた。小屋からは話し好きの従業員(後で名前を阿久津さんと聞く)さんが出てきたので、 「もう1泊いいですか?」 と聞くと、 「どうぞどうぞ」 と言ってくれたので本日も『木下小屋』に泊まる事にした。 小屋の外には、若いライダー君が1人いた。話し掛けると、今日小屋に泊まり明日登山するとの事。買出しに行きそうな雰囲気だったから、 「買出しに行くの?」 と尋ねると、 「えー、ウトロまで」 との答え。ラッキー! 「じゃ、ついでに頼んでもいい?」 「いいですよ」 と言う事でビールを三本とチュウハイ1本をお願いした。ありがたやー、ありがたやー。 「今日は登られたのですか?」 と尋ねてきたので、 「はい、羅臼岳に行ってきましたよ」 と答えると、 「昨日、僕達は羅臼平に泊まって今日降りてきたから、どこかでお会いしているはずですね」 僕とカミサンは酒の入った頭をフル回転させて今日の記憶を思い起こしたがなかなか出てこない。するとカミサンが、 「もしかして、羅臼の頂上から反対方向に降りていった人たちですか?」 と言うと、 「そうです。あっそうだ、君達も青い同じ帽子をかぶっていたでしょ」 「そうです、そうです」 やっと、お互いの記憶の接点が見つかった。教授と生徒は地形学の研究をしているため、登山道とかと関係ない山の色んな斜面を登っていたらしい。それが僕達には「怪しい人たち」に写ってしまったようだ。僕が、 「そう言えば今日、雪渓の所に土が盛ってありましたけど、あれは滑り止めの為に自衛隊か何かが盛ってくれたのですか?」 と言うと、一同ゲラゲラ笑い出した。教授がお腹を抱えながら、 「あれは『モレーン』と言いましてね、雪渓の上部に溜まった雪解け水が流れ落ちた時にですね、土も一緒に流すんですよ。そうすると下の雪渓には土だけ残りああ言う物が出来てくるのですよ」 「なるほど、やーこれは一つ勉強になりました」 と頭をかきながらお礼を言う。「聞くは一時の恥じ、聞かずは一生の恥」まさにこのコトワザどおり聞いておいて良かった! |