名古屋'90年代ゲーセン写真館

ゲームコーナーはるみ(塩釜口駅前)

▲塩釜口駅前にかつてあった《ゲームコーナーはるみ》及び居酒屋はるみ。撮影は取り壊し直前である2000年春頃。因みに現在ではコンビニをテナントするマンション“シャトーはるみ”が建っている
▲はるみの店内。ピンボールは3台あったが、タイトーからの貸し出しはジャンクヤードだけで、ジュラシックパークとリーサル3は他の業者からのものと思われる
▲左は塩釜口駅A番出口前から撮ったはるみのショット。右は「ジュラシックパーク」のスリングショット。よく見るとスリングショットのラバーが輪ゴムバンドで代用されている

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●名城大学のお膝元[塩釜口]駅前にかつて立地していた《ゲームコーナーはるみ》は、'80年代当時からの土着の匂いが色濃い1ゲーム50円ゲームセンター。

 同ビルお隣には《コインランドリーはるみ》、《居酒屋はるみ》、そして別棟1Fにはもういっちょう《ゲームコーナーはるみ》が店舗を構え、そしてその2Fには《プールバー ピーターラビット》が開店……という、なんとも醇俗な経営者の気風が感じられる学生向けの往年的レジャースポット。

 '90年代の時点で既に各プレイヤー達から時代錯誤感を失笑されていたと思う。


 同店舗へ初めて来店したのは1994年頃で、キャプティヴボールが引っこ抜かれた「インディージョーンズ(Williams'93)」と「リーサルウェポン3(DataEast'92)」という、非常に凡庸且つアグリーなラインナップだった為、以後筆者は歯牙にもかけず、軽蔑交じりに一切無視していたはずの店舗であった。

 ところが2000年に入り、タイトー店舗から消えたウィリアムス製「ジャンクヤード('96)」の所在を希求して同社名古屋支社に問い合わせてみると、このはるみへの移設情報を入手。
 着の身着のまま、おっとり刀で駆け付けたところ、愛しきジャンクヤードの設定が好き放題にいじくられていて唖然とした

 標準リプレイは比較的十分優しい2000万設定。
 にもかかわらず、はるみ変更リプレイ設定は1st.500万、2nd.1500万。なぜわざわざセカンドリプレイを設けるか。
 さらに1ゲームが5ボール設定に変更されていた。
 ご丁寧に誇らしげなテプラまで随所に貼り付け、堂々と設定改変を主張している。

 ちょっと上手い人が打てば、当然2時間程ですぐ10数クレジット以上の余財を蓄え込んでしまうというもの。延々終わらない。

 恐らく比較的新しいピンボールが入荷したことに喜んでプレイしたものの、自分の腕では難し過ぎると感じた店のオーナーが、得手勝手な判断でそんな設定にしてしまったのだろう。

 当時は店側の無知に呆れたが、それはそれでロケーションの鯔背な気立てを物語っていて、ゲームコーナーはるみならではの仁侠溢れるサービス……と取れないこともないだろう。


 ところで、この名古屋のタイトーにたった1台配給された「ジャンクヤード」。
 数奇な運命を辿り、現在は何と埼玉県ふじみ野市のゲームセンター《バイヨン》に設置されている。

 '97年4月の発売当時、ジャンクヤードが最初に設置されたのは尾頭橋の《ゲンロクゲームズ》
 ピンボール凋落期にもかかわらず新品のぴかぴかの同機種が、壁にポスターまで貼られて入荷していたのは大変にインパクトがあった。

 ジャンクヤードはゲーム性に多少の粗は目立つものの、ボールアクションとボールフロー、ストーリーテリングや世界観は十二分に魅力的で、当時筆者は同店舗へは足しげく毎週通った。

 その後タイトー系列店舗での移設が何度か繰り返されたのち、'99年に椛蝌a運営・栄の店舗《サーカスサーカス》に貸出設置。
 しかし残念なことにメンテナンスが非常に悪かった為、こちらが真摯に改善を進言したところ、店長職の人物が大人げなく激昂の上、撥ね付ける対応を取った。
 そこでこちらは搦め手でゆくべく会社本部側と連絡を取り、折衝の上ピンボール管理の改善に努めたが、結局ジャンクヤードは撤去されてしまう。

 そして翌年2000年。そのジャンクヤードはこのゲームコーナーはるみに、多少いじくられながらもどうにか姿を現してくれたのだった。

 マジックバスランプレーンのスイッチが物理的に作動しなくなるトラブルが起きた際、頼りなさそうな学生バイト従業員相手に不安だったが、誠実をもって説明したところタイトーに伝えてくれたようで、後日無事修理されていた。

 暇そうな学生客がプレイもせず格闘ゲームの椅子に座り込み、タバコを吹かしながら筆者のピンボールプレイをもの珍しそうに眺めている、何とも居心地の悪い光景が今でも印象に残っている。

 結局その年の夏、“はるみ”の旧態的な娯楽施設全ての建物の取り壊しが決まり、ゲームコーナーも居酒屋もカラオケ店もコインランドリーもプールバーも、総じて閉店。
 この時タイトーは所有する中古ピンボールの在庫売却を進めており、ジャンクヤードには関東の業者の買い手が付く。
 そしてそのジャンクヤードは現在、埼玉の《バイヨン》で余生を過ごしている。

 バイヨンのジャンクヤードには、大袈裟でも冗談でもなく、筆者の汗と手垢と思念がこもっているのだ。


 さて、塩釜口駅前《ゲームコーナーはるみ》は、前述した通り2000年夏にビル解体と共に閉店

 現在同所在地にはセブンイレブンをテナントするマンション“シャトーはるみ”が建っているが、この界隈にははるみの他にも最盛期6軒程のゲームセンターが日々しのぎを削っていた。

 中にはゲーメスト誌出張ゲーム大会が開かれる《Play Hard 50》、セガの直営店《ハイテクセガ八事店(後年AGスクエアシオガマ)》といった有名店もあり、他の名古屋のゲーセンタウンである名駅や栄、星ヶ丘ともまたテイストの異なるメッカとして、名古屋塩釜の街は学生ゲーマー御用達の名を轟かせていた。

 それらの賑わいも2000年代に入ると潮が引くように雲散霧消。
 現在塩釜口駅前に残っている現役のゲームセンターは、往年の雰囲気を色濃く残す《スペースシャトル》一軒のみとなった。


▲モールディングバーはともかく、ガラス内側インストカードへ直にテプラを貼る店側の厚顔さに閉口。この設定変更を名案とでも思ったのだろうか
▲専用ラバーを取り寄せずに市販のゴムでスリングラバーの代用をした結果、当然すぐに切れてフィールドを散らかす始末。スリング内側にボールがしょっちゅう食い込むトラブルも頻発したはず。浅はかな店だ
▲こちらはゲームコーナーはるみの別棟。プールバーが流行ったのは'80年代後半頃なので、その時節の開店と思われる


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(2018年9月17日)