各名門ブランド ピンボール・リスト

Bally/1977

イーヴル・クニーヴル(ソリステ版)

原題Evel Knievel (SS)
製作年度1977年
ブランド名バリー
メーカーバリー・マニュファクチュアリング・コーポレーション
スタッフデザイン:ゲイリー・ゲイトン/美術:ポール・ファリス
標準リプレイ点数ファースト13万2千点/セカンド16万4千点
備考製造台数:14,000台/ようつべに動画あるよ!⇒GO!
▲バリーのエレメカ&ソリステダブルヴァージョン台、イーヴルクニーヴルでござい!原色のプレイフィールドカラーはクニーヴルの衣装カラーリングそのまんま ▲フィールド右上のトップレーンリエントリーコースに設えられたスピナー
▲左側にもスピナー。この時代の定番ね ▲バックグラスのアップ。リアルタッチに描いたクニーヴルの肖像。アート担当は「プレイボーイ」のポール・ファリス
▲トップホール。S-U-P-E-Rレターは時間制ライトチェンジ。この頃としては斬新。尚スペル完成でスペシャル獲得 ▲中央スポットターゲットでもSUPERレターは完成可。でも位置的に危険なのでトップホールで点けよう
▲左端ドロップターゲット。バリーのドロップは分厚くてなかなか手強い ▲右端スポットターゲット。尚C-Y-C-L-E完成でアウトレーンにスペシャル点灯
▲バックグラス。デジタル数字のスコア表示。キレのあるベル音とカウント処理。ソリッドステイト時代の幕開け! ▲フィールド下部。アウトホールボーナスは満タンにして2X倍額で。基本ですわ。

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ゴットリーブ'78年製「ピラミッド」の解説でも論じたとおり、この時期はリールドラムスコアからデジタルスコア表示へ、ピンボールが進化する端境期にあたり、各メーカーでは同じゲーム・同じプレイフィールドでエレクトロメカニカル版とソリッドステイト版の、両バージョンをほぼ同時に製造・発売することに苦心していました。
 それはバリー社も御多分に漏れず。今作「イーヴル・クニーヴル」も、エレメカドラム版ソリステデジタル版の双方が存在する、分水嶺的ピンボールマシンです。

 バリーにおいてソリステシステム開発及びエレメカとの両ヴァージョン生産プロジェクトを指揮したデザインチーフは、過去にウィリアムス「アポロ('67)」「OXO('73)」などを手掛け、バリーに移籍して間もない時節のノーム・クラーク
 当時の両社の業績を考えればウィリアムスよりバリー時代の方が処遇が良かったはずですが、のちにクラークはウィリアムス時代の苦労の方がずっと得るものが多く、仕事も楽しかったことを振り返っています。

 そんな時代に生まれた「イーヴルクニーヴル」ですが、エレメカ信仰が根強いオペレーター需要に応えて両ヴァージョンをリリースしていたゴットリーブとは、若干事情が異なっていました。

 先ず'77年1月に旧態エレメカ版を僅か150台程度生産して売り上げや評判を伺い、その5か月後の6月に入ってから14,000台もの大入りヒットとなったソリステ版製造に着手しています。

 この5か月のタイムラグ。実は同社にとって試験期間の日和見であり、本格ライセンス購入企画及び実在の著名人の名を冠したモデルの発表という、初めての試みによる世間の反応を、さぐりさぐり伺うための時間差でした。

 今でこそライセンス政策が日常となったピンボール市場ですが、その存在自体を違法とする州も少なくなかった当時。
 非行やギャングのイメージが強かったピンボールに、何と浅ましくも著名な時の人の名前を初めて乗っけた訳で、また世間の激しい反発と締め上げに喘いだりしないか、恐る恐るのリリースだったのです。
 尚「ウィザード!('75)」「キャプテンファンタスティック('76)」の肖像許諾については元々PinballWizardに縁のあるアーティストに絡めて軽く洒落を効かせた程度のつもりで、大がかりな商業プロジェクトの態勢を取っていた訳では無く、同社はまさか'70年代後半のピンボールブームの嚆矢となる程の大ヒット作になるとは思っていなかったようです。


 ところで、アートワークの元となったイーヴル・クニーヴルという人物。

 今の日本では殆ど忘れ去られていますが、当時のアメリカでは各メディアに出ずっぱりの、押しも押されぬバイクスタントの大スターでした。
 彼の身に着けるファッションなどの嗜好はそのまま世の流行となり、放った言葉は名言暴言問わず片っ端からマスコミに拾われては大仰に報道。
 言わば今でいうレディーガガ、少し前のマドンナやマイケル・ジャクソンのような、'70年代のアメリカ流行のファッションリーダーを担うアイコン的存在でした。

 尚、『イーブルニーブル』『アベルナイベル』等日本語表記が今日ですら定まっていませんが、彼の生涯を追ったドキュメンタリーがYouTubeに上げられていたのでそれをヒアリングしたところ、“イーヴル・クニーヴル”と表記するのが適切のようです。


 バリーはピンボールに大スターの名を冠する政策が、巨万のセールスをもたらす威力があることを改めて感じた反面、本人にまつわるスキャンダルに振り回される危険性も多大であることを、本作で思い知ることになります。

 例えば、1977年に地元シカゴでクニーブルのビッグイベントが予定されていましたが、映画「ジョーズ」にあやかって数体のサメを水中に放ったプールを飛び越える大仕掛けのリハーサル中、クニーブルはハンドル操作を誤ってカメラマンに激突。相手を失明させ、自分は腕を骨折したため、ショーは全てキャンセルという事態に発展。
 オマケに動物トレーナーの管理が悪く、サメたちを死なせてしまうという失態の上塗りまで報道されてしまいます。

 シカゴでのショーのスケジュールぴったりにマシンをリリースさせるはずだったバリーは、ここで当てを外してしまいました。

 しかし度重なる不祥事報道もなんのその、「イーヴルクニーヴル」のソリステ台は飛ぶように売れ、'77年のバリーマシンの中では「エイトボール」と比肩する大ヒット作となりました。


 先ずクニーヴル本人の満艦飾衣装のイメージ通りな、華やかな原色プレイフィールドカラー。ポール・ファリスによる、当時の誰が見てもその人と分かる明晰なバックグラス肖像アート。勿論グラマラスな美女を配置するのも忘れてはいません。

 ゲーム性も十分高く、当時バリーのセールスマネージャーのポール・キャラメーリ
 『クニーヴルの絶大なネームヴァリューが高インカムを保証します。しかし決して安易に名前を借りたつもりはありませんよ。我がバリー社最高のゲーム性を誇る仕上がりとなりました。プレイヤーたちの腕の鳴る、腕が試されるエキサイティングな攻略パターンは、なんと35通り!』
 ……などとオペレーターたちに喧伝していたそうですが、それは満更大げさではありません。

 パッシヴ(弾く性能の無い)バンパーを両脇に構えてスキルプランジをよりスリリングに演出したトップホール
 アウトホールボーナス2X⇒エキストラボール⇒スペシャル、とゾクゾクッとヴァリューがのし上がるドロップターゲット5バンク
 左右に1本ずつ用意したスピナー付きリエントリーレーンズ。右でも左でも、こまめにホールディングして、狙え狙えトップホール!
 そしてバイクがスタントジャンプするバックグラスアニメイトと連動してS-U-P-E-Rレターを移動チェンジする中央ターゲットのアローライト。綴り完成スペシャルに釣られてワンクッションで哀れアウトレーン行き。自滅するプレイヤーが続出!?

 大スターの名前を借りた以上、出来た台がもしつまらなかったらピンボールの名折れ。そんなプレッシャーに挫けず、名前負けしない優れたプレイフィールドデザインの秀作を、彼らは見事世に送りだして見せたのです。


 この「イーヴルクニーヴル」の確かなセールスが同社セレブリティースターモデルシリーズの試金石となり、その後バリーは「プレイボーイ('78)」「キッス('79)」といった、クニーヴルをさらに上回る爆発的連続メガヒット記録を次々打ち立ててゆくことになります。
 メディアへの悪態も多かったクニーヴルですが、そんな彼が自分らのプロジェクトを快諾してくれたことに、バリー社は心より恩義を感じたことでしょう。

 ……ただ、ソリステ版出荷さなかの1977年9月に、クニーブル本人が自分を誹謗する記事を書いたライターにケガを負わせる傷害事件を起こして逮捕された時には、さすがのバリー側も頭を抱えたみたいですよ。

▲トップレーンの左ロールオーヴァー[C]のアップ ▲フィールド全景。大阪のロケーションでは当時のインストカードが状態良くキチンと残されていた ▲今度はトップレーンの右ロールオーヴァー[Y]をアップで
▲左リターン付近のアップ。いかにも'70年代風セクシーギャルがスリングシールドに ▲こちらも美女。ただエレメカ版ではクニーヴルの愛車のスポーツカーが描かれていたのにソリステ版では省かれてしまった ▲最後は右リターンのアップで。やっぱりグラマー美女

(2015年7月23日)