各名門ブランド ピンボール・リスト

Stern Pinball/2018

プライマス

原題Primus
製作年度2018年
ブランド名スターン・ピンボール
メーカースターン・ピンボール・インコーポレイテッド
スタッフプレイフィールドデザイン:デニス・ノードマン/ヴォイススピーチ:レス・クレイプール/美術:ゾンビ・イエテイ、ゾルトロン
標準リプレイ点数3,000点
備考スターン2015年製「ウォー・ネリー!」及びスターン2016年製「ザ・パブスト」と同フィールド/100台限定製造/メーカー希望価格7,995$/13トラック収録

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● デニスノードマンは、いわゆる駿足長阪の人。次々と新しい場所に飛び込んで自分の腕と可能性を試してきた過去がある。 きっかけは、シアトルのピンボールショーに招待され、デニスとグレッグが何年振りかで顔を合わせた時。グレッグはミッドウェイ社を解雇された直後。何かやろうということになった。 当初は一から構築するのではなく、スタムピンボールをやろうということで、「コンチネンタルカフェ」が俎上に上った。別に深い意味は無く、そこに壊れたコンカフェがあったから。 久し振りに創作意欲に火が点いて、とめどなくアイディアを話し合った。朝食の時も、帰りの飛行機の中も。何十個も候補が上がった中で残ったのは、'30年代〜'40年代に汎用されていた、果物の木箱(フルーツクレート)のラベル。オレンジや梨、桃の木箱にカラフルなアートワークが描かれていて、コレクターもいる。'50年代のピンナップ・アートは2人とも大好きだしね。 それで「スイート・ジューシー・メロンズ」というタイトルを思いついた。グレッグに話したら意気投合。小5みたいだよね。ジューシーなデカメロンが嫌いな人なんていないだろ?これが始まりだった。 コンチネンタルカフェは4台手に入ったので、4台だけの限定カスタマイズすることになった。この時点ではスターンで量産される予定も目論見も無かった。資金なんてないし、採算度外視で作ることにしていた。 でもこれを作る過程で、才能ある有志が次々名乗りを上げてくれたんだ。マーク・ウェイナとケン・ウォーカーMark Weyna and Ken Walkerがいなければ何も完成しなかった。 元は2人用だけど、1人用にしたかった。アートワークが盛り込めるし、スコアリールを2人分入れたくなかった。Steve Charlandに協力してもらった。彼はとても頭が良くて、でも物事をとても分かり易く説明できる人。 初めてジューシーメロンを披露したミルウォーキーではケリー・イミングKerry Immingに世話になった。彼は2人目のスコアリールを除去する為の簡単な配線を提示してくれたんだ。更に“ソリッドステートシステムなら、これ全部実現できるよ。俺がエレメカからソリステに変換するよ”と言ってくれて、キャビネット内に全て収められるようモジュラー・ハードウェア・システムを構築してくれた。Whoa, that's great! この時点でルールもプレイフィールドもアートワークも定まっていた。グレッグが選んだBGM。ケリーが入れてくれたサウンド。ゲームが生き生きと呼吸し始めた。特にケリーがデザインしたサウンドボードは素晴らしい出来だった。 ウィズバン社として完成したジューシーメロンを、グレッグが出入りしているスターン社に持っていき、量産の話を持ち掛けた。ウィズバンの部品票をスターンの部品票に細かく変換し、毎週ミーティングを開き、ジョージゴメスも前向きにプロジェクトを進ませ、価格設定を実現した。 グレッグフレーレスとデニスノードマンは永年のパートナーというイメージがあるが、ずっと仕事していなかったし、ずっと会っていなかったという。 「スケアードスティッフ」制作中にデニスがWMSを唐突に解雇された後、グレッグは1999年までWMSピンボール部門に残った。1999年末のピンボール産業壊滅後、グレッグは全くピンボールから距離を取っていた。 2006年にイリノイ南部で「Tilt, The Art Of Pinball」っていう大きなショーがあって、そこでジョンユッシーとポールファリスと一緒に講演を頼まれた。別口でデニスも招待されていた。そこで久しぶりに会って、奥さんを交えて食事やドライブで一緒に過ごし、ピンボールに対する距離感もデニスとの距離感も埋まった。 その後2009年。シアトルのピンボールショーで、多くの有志がカスタマイズ台を展示していて、自分も何かやるべきだ!と奮起させられたんだ。そのショーでは自分をしたって、尊敬して、たくさんの人が囲んでくれた。自分こそピンボールで何かやらなければ。そのタイミングでは、本当に自分は失業中だったしね。フリーランスのピンボールアーティストになるべきだ。 翌朝デニスと朝食を取りながらアイディアを話し合った。自分の所属や会社の枠組みにとらわれず、何かプロジェクトをやろう、とね。でも何を作るかは漠然としていた。 デニスは2006年にイリノイ州北部のショーで一目見て気に入った古いウッドレールEMジャンク台「コンチネンタルカフェ」を購入した。バックグラスが割れていた。“これを出発点にしよう” ビジネスにつながることは考えておらず、また一緒に、久しぶりに没頭して、ピンボールがクリエイト出来ることがエキサイティングだったんだ。 デニスとのコンビも、ピンボール愛も復活した。帰りの飛行機でもアイディアが奔出した。やりたいことがたくさん沸き過ぎて、120歳まで生きないとね、とまで言えるようになった。帰宅してからスプレッドシートにアイディアを書き出した。それが6月のこと。7月にはデニスがジューシーメロンのプランを明確化。あとはトントン拍子。 同じ年の10月のピンボールエキスポまでには木箱のデザインがつくられて、大まかなコンセプトが仕上がった。 でも展示品を見て、みんな“何じゃこりゃ”って言ってたね。ご健在だったスティーヴコーデックですら『訳分からん。何しとんじゃお前らは』って言ってたし。確かにノリと勢いと成り行きだ。でも激賞してくれる人もいっぱいいて、それがエキスポから帰った後の原動力となった。 このカスタマイズ台の制作が決まって、先ずグレッグは旧友マークウェイナに電話し、制作陣に加えさせた。誰だったかな、ケンウォーカーを紹介してくれたのは。シカゴのTeamEMってところのケンウォーカーが、ジャンク同様のコンチネンタルカフェをきちんとした稼働品にした。分解する前に、先ず動いてくれる状態じゃないといけないから。 それからケンとマークとデニスとで打ち合わせを始めた。このプレイフィールド、そのまんまは頂けないよねってことになった。 デニスは勿論プレイフィールドデザイナー。彼が刷新し、現代的で遊びやすいものにした。 EMのオリジナルから構造を取り出して新しいものが作れる。 ウェインナイアンズは勿論尊敬しているし、敬意がある。でもガッブルホールが中心に3つもあるから、今だと厳しいよね。 そういったものを排斥したり、新しいものを追加したりした。デニスはすぐに取り掛かり、ホワイトウッドをカットしてくれた。顔見知りの材木屋から材料も仕入れた。 CNCルーターが無かったんだけどパットローラーの工房にあったことを思い出し、つかわしちくり、と連絡を入れたら、いーよー、一式ここにあるから好きに使いなよ、と言ってくれた。 【https://myemail.constantcontact.com/Update-from-Jersey-Jack-Pinball-Midwest-Campus.html?soid=1104524641178&aid=NgoieIODUyk】 因みに。この時そのパットローラーの工房は、ジャージージャック処女作「オズの魔法使」の開発ラボ[ジャージージャック・ミッドウェストキャンパス]となった。 10年以上ピンボール業界から離れていたのに、外部からいきなり飛び込んだのに、たくさんの人たちから歓迎されて、協力してもらって、また働くことが出来てとても光栄で幸せなことだ。スターンの仕事もしながらジャージージャックの仕事もしている。ネリージュウシーメロンは3年費やしている。 今度はケンウォーカーの紹介で、ケリー・イミングと出会えた。彼はその時古いエレメカピンボールをソリッドステートに変換する新手のピンボール事業をやりたがっていたところだった。そこでグレッグ達が持っていた「ソーラーシティー」をソリッドステート化してみせた。これはいけると踏んで、彼にプロジェクトに入って貰った。ソリステなら音楽もつけられる。 4台ではもうからないのでは、と会議して話し合ったが、儲けるより失敗して大金を失わないことを優先して、4台だけ作ることにした。 しかしこのプロジェクトを拡大したり続けたりするビジネスモデルにすることに対しては慎重だ。良いチームとスポンサーが日知用となるだろう。 しかし完成したプロトタイプ4台は十分な完成品で現代的。プロダクションにかかれるのでは。 ジャージージャックとスターンに話を持っていった。 運の要素が強い時代のゲーム性になっている。プレイフィールドのレイアウトは'50年代というより'60年代のものとなっている。しかし当初のものよりはずっと親しみやすいゲームになっている。3つのガッブルはロストと引き換えに200点稼げる。 尚かつてのガッブルは1球ロストと引き換えに、高額積み立てボーナスやスペシャルが貰えた。ウィリアムス1964年製「サンフランシスコ」がガッブル搭載機種の最後。 Whoa Nellieの最高得点はデンバーのショーでプレイされたもので、約7400点だった。 最初のボールで4,000点を出したので、10,000点を出すと思ったのですが、7,400点を出して終わりました。 私たちは、このゲームを購入した人たちに、このスコアを上回ったら必ず教えてくれるようお願いしている。 スコアがインフレしている現代において、良いゲームが2500点というのは興味深い。 レトロ回帰というのは採点にも当てはまりますね。 パーツ専門店:ピンボールライフのテリーから称讃の言葉を貰った。 アダルトに溺れる可能性もあったゲームだが、言い匙加減で描かれている。子供にも見せられるけど、大人が見たらニヤつくアートワーク表現が素晴らしい。直接的なエロは避けた。今のピンボールでは失われたアートだ、と。この評価もとても嬉しい。 バックグラスが先で、プレイフィールドは後。 ウィリアムス以前はバックグラスを基底にしてテーマを定めていった。 バックグラスアートを最初に完成させることはできないが、その後キャビネット、プレイフィールド。制作工程の最後にまたバックグラスに戻って、テーマを完成させていった。 だが今回はバックグラスを完全に完成させてからプレイフィールド制作に入った。 デニスもグレッグも。ロイパーカーを意識し、敬愛している。彼のアートに登場する人物はいつも本当に楽しそうだった。人々の笑顔笑顔笑顔。銃口を向けられているようなものではなく。楽しそうに見えるものは、プレイする者も楽しいものだと期待する。 ウィズバン・ピンボールと言う社名も気軽に命名した。 これが成功して、こんな辺鄙な方向性にも市場がある、需要があると分かって、スターンで今後も作られてゆくことを期待している。ウィズバンがスターンの子会社になれたらいいと思っている。ただスターンでフルタイム雇用でスティーヴリッチーの機種を手掛けなければならないし、デニスもゲリー・ステレンバーグと仕事をしている。 これが量産されて売れたならこの上ない報いと喜びだ。200台以上売れたら感涙モノだよ。この3年間血と汗と涙の結晶なのだから。 GF:テリー(『Pinball Life』の経営者、デズワルテ)と出会ったのは、デニス・ノードマンと『Whoa Nellie!』大きなジューシーなメロン。テリーはデニスの店に出てきて、私たちが何に取り組んでいるかを見ました。彼は、WNBJM Tシャツ、バックグラス、その他のブランド商品を含むWhizbang Pinballの付帯製品の販売を開始しました。アートプリントを始めると、テリーと再び仕事をするのは自然なことのように思えました。 私は大物アーティストではないが、自分のキャリアはとても誇りに思うし、今の状況とジューシーメロンの仕事と出来にはとても満足している。スターン生産分では既に100人ほどの購買者が見込まれそうなんだ。 PM: Whoa Nellie は Whizbang のデザインなので、The Pinball Arcade を制作している FarSight Studios のスタッフと話をすることを検討しましたか? 彼らにとって、Wha Nellie のエミュレートされたバージョンを作成し、それを The Pinball Arcade で提供することは非常に簡単です。 そうすれば勢いは続くだろう。 そこから事態がどのように発展していくのかを見るのも興味深いケースになるだろう。 実際、そのようなゲームの売上が増加する可能性があります。 GF: 期待してますよ。 いくつかの事前協議を行ってきました。 (ケン・ウォーカー) 2009年の夏の終わりに、ケン・ウォーカーの元へ、デニスと名乗る人物から電話が入る。カスタムゲームを作りたいのでメカエンジニアを探している、と。  聞き覚えのある声だったので、あのデニスノードマンか?と訊いたら、そうだと。二つ返事で承諾した。  私は2004年にピンボール好きになった新参者。でもエキスポでマークペナーチョと一緒に歩いていたデニスを見かけている。  デニスとグレッグの話は早く、9月の土曜の朝に、早速ピックアップトラックでコンチネンタルカフェをピックアップトラックでケンのガレージに運び込んだ。 「でも、これつまんないね」ウェインナイアンズには申し訳ないが、この時代の機種としてもコンチネンタルカフェは傑作ではない、という意見は3人で一致した。ただ、ゴットリーブ製1950年代の回路図としては扱いはかなり簡単だった。 秋に差しかかり、隣家の大木の落ち葉がプレイフィールドに落ちて来るような状況だったそう。 一緒に居るグレッグはグレッグと呼んでいて最初苗字は知らなかったが、後で自分も持っている、地下室に置いてある「フロンティア」の絵を描いたフレーレスと知って焦りながらも興奮した。 Whoa Nellie, Big Juicy Melons で、デニスとグレッグから「うぉーネリー、そのブツデカイね!」の構想を教えてもらった。  なんつークダラナイ、でも面白いテーマ性。また戦前戦後の果物木箱のアートを見せて貰った。 実際に、巨乳ガールのイラストを用いたデザインが当時の木箱に多用されていたことを知る。 エキスポで再会して、その木箱がキャビネットには勿論、レグ代わりの台座になっているのを知ってまたビックリ。 2009年のEXPOの後、マーク・ウェイナがWhizbangチームに加わりました。 マークは『Scared Stiff』でデニスとグレッグと一緒に仕事をしていた。 制作はスロースターティングだった。初期に話し合っていたアイディアの大半は没になったが、ある時点でデニスに閃きが合って、優れた構成のホワイトウッドをカッティングした。その間、ケンと、マークと、ケンの友人クリス・エドラー3人で、マシンを2人用から1人用に改造したり、コンチネンタルカフェの部品やワイヤーハーネスを剥がしてホワイトウッドに移す工程を始めていた。 マークは底板を取って調整。クリスとケンはツキイチでデニスのところに赴いて配線作業を続けた。状況を聞きつけたロジャーシャープも助言をくれた。 100%稼働する完成まで、みんなで心血を注ぎ、心を砕いた。 やがてケリー・イミングとの共同作業もスタート。 彼はCANバスシステムをピンボールマシンに応用した。高い技術力と応用力は天才。まさに私たちが求めていたものだった。 彼のおかげで、大変な再構築過程を省いて、信頼性の高いソリッドステート版のWhoa Nellieを作ることができた。 彼のシステムは標準的な部品とプロセッサーを使っている。 メインハーネスはなく、代わりにボード間のイーサネットケーブルを使用している。 もっともっと色々大変な作業があったが省略。2011のエキスポの為、ソリステ版とEM版両方のジューシーメロンを仕上げた。グレッグはバックグラス、キャビネットの大枠、プレイフィールドのアートワークを仕上げた。キャビネットの詳細はデニスが完成させていた。 デニスは素晴らしいデザイナーだ。 Whoa Nellieのプレイフィールドのレイアウトは天才的だ。 彼はコンチネンタル・カフェの良い要素(スプリット・ターゲットやゴブル・ホール・ドレイン中のボーナス・ホールドなど)を残しつつ、レイアウトはまさに彼独自のものだ。 その他の要素、例えば追加得点リール用の台紙、1点得点用のカウベル、リプライ用のシンバルなどは、ゲームのテーマに合った素晴らしい小さなディテールだ。 特に注目すべきは、果物の木箱と、果物の入った古い木箱のような「新しい」キャビネットのコンセプトだ。 Current Avg. Value: $ 5278 スターン・アーティストのZombieYetiは過去にこのバンドのアートワークを手がけており、バンドとスターンを結びつけ、このリメイクを実現させるのはそれほど難しいことではなかった。ゲームのアートワークはZombieYetiとZoltronによるもので、とても印象的だ。 このゲームは限定100台のみ製造され、さらにバンドメンバーとそのマネージメント、アーティスト用に8台が追加された。ゲームの価格は7,995ドル このゲームはスターンの公式ルートでは販売されない契約ゲームとみなされるため、スターンのウェブサイトには掲載されていない。パブスト缶クラッシャーもそうだった。 通常、スターンのタイトルは数ヶ月前にリークされるが、プリムスのタイトルは多くの人にとってサプライズだった。 13曲+α Les Claypoolによるヴォイスアクトは100トラックほど。 Primus: Welcome to this Worldプライマスはゾンビイエテイことジェレミーパッカー&ゾルトロン主導により、彼らの熱意が実った、ジェーシーメロンリテーマのプロジェクト。プライマスはサウスパークのテーマ曲が高名である。https://youtu.be/mQ3X3LbS_VU?si=-LUKnWYnvYIYubJz Primusピンボールは、最大108台の限定生産で、100台が販売され、8台がバンドのメンバー、2人のアーティスト、ライセンス会社に提供されます。価格は7,995ドル プランジャーロッドにインパクトはあるが、打ちにくい。 ステッピングモータースコアリール スターンのサイトでも宣伝されていたが、販売はプライマスストアから成された。https://clubbastardo.themerchcollective.com/ 100台限定の稀覯機種の為、ピンサイドコムではプライマスに触れたい、入手したい人の為の設置ロケリスト、オーナーリストまで作成されている。 プライマスのプロデュースはウィズバンやデニス,グレッグ達の管掌から離れ、はスターン・ピンボールのジェレミーパッカーが指揮を執った。PrimusのメンバーであるLes Claypool、Tim "Herb" Alexander、Larry "Ler" LaLondeがマシンにそれぞれサインしている。 アップグレードされたKenwoodサウンドシステムも付属。 パブストブルーリボンビールも伝統的なブランドネームである。こちらのアートはダーティー・ドニー・ギリース。ちょっとした競作となっているのも面白い。傷みやすい木製台座の代わりに通常の金属レグが用いられている。スターン側も商品発表しているが、代わりにパブスト・ブリューイング・カンパニーにクレジットされている。ヘビーメタルバンドRED FANGによる音楽。私たちのブランドの本質を捉える素晴らしい仕事をしています」と、パブストのCMOであるダン・マクヒューは述べています 2021年5月にも新コードが追加。プライマス?すべてのPrimus所有者は、DJミキサー機能を含む最新のコードバージョン(v1.04.0)で最新であることを確認してください。 ゾルトロンのウィキペデイア https://en.wikipedia.org/wiki/Zoltron Limited to 100, plus eight special editions for those involved Modified Whoa Nellie layout Price: $7,995 Features Includes 13 full songs バンドのサインが入ったすべてのマシンには、エプロンにレーザーエッチングされた番号のプラカードが付いています Powder-Coated Metal Armor, Backglass Frame & Legs in “Green Naugahyde” Bullseye Targets score 5 points for side hits, 50 points for center hits Bullseye Targets score 200 points for center hits when lit ゾンビイエテイはローティーンの頃からプライマスを聴いていた。とても奇妙な音楽、奇妙な世界だった。 その後何年も何年も経ち、プライマスのアートを描いているゾルトロンからプライマスの仕事をしないか、ライヴ用ポスターを描いてくれないか、という夢のな仕事を貰えた。 この時、丁度ジッドウェア/ジョンポパデュークに依頼され、ピンボールアートの仕事を受けるのも始めた頃だった。プライマスのピンボール企画をジッドウェアにも推挙した。そんな余裕は全くない会社だったのだが。 アイアンメイデンがリリースされた後の時節、プライマスのマネージメントのジェイソン氏と話し合いが始まり、ゾルトロンもジョディーダンクバーグ(ゴジラ企画を奪い取った張本人としても有名)に紹介した。私たちは雇われ、後はプライマスピンボール企画に猪突猛進だ。 20年ほど前、ゾルトロンはレス・クレイプールの家に遊びに行き、酒を飲み、彼の家にあった新品のサウスパークピンボールに夢中になって遊んだ。担当したサウスパークのテーマを許諾した特典で進呈されていたもの。 プライマスピンボールではイエテイはスターン側と、ゾルトロンはプライマス側と交渉・パイプ役を果たした。 プライマスはツアー中で多忙でナーバスを極めていたはずなのだが、メンバーは電話で気さくに対応してくれた。 レスにアートワークのイメージを聞いたところ、彼は「フリズル・フライ・アシッド・トリップにしたい」と言ったんだ。ほら......。君をインサイド・ワールドに連れて行きたい」みたいなね。 ? それだけだった。文字通り、それが唯一の方向性で、僕たちはそれが気に入ったんだ。それで、やることに同意して、1週間後にラフスケッチとストーリーボードのピッチを持ってきた。バンドはそれを気に入ってくれて、僕らは走り出したんだ......。 ? 最初から最後まで、これ以上ないプロセスだった。 ? ウィリー・ウォンカのボートに乗って、不思議の国のアリスを経由してプリムスに行く...。






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