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- 宇野千代 -

「人間の考えることは、その人の行動によって引き出されることが多い。」 『行動することが
生きることである』
「自分から進んでその中に這入っていくことによって、私は傷つかないことを覚えた。」 『行動することが
生きることである』
「人はその人自身の思っているほど、自分の嫌いな、自分に不似合いな行き方はしないものである。」 『行動することが
生きることである』
「人には信じられないことだけれど、言って見れば、私は、何か困ることがあって、それを少しずつ直して行くのが好きである。」 『行動することが
生きることである』
「人間というものは、一旦覚悟を決めたとなると、どんなことでも出来るものです。」 『行動することが
生きることである』
「人間は自分の可厭(いや)なことは決してしないものだ。」 『行動することが
生きることである』
「人間は、ちょうど自分の見ようとするもの、自分の聞こうとするもののほかは、理解しないものだ。」 『行動することが
生きることである』
「人間は自分の作った観念に支配されるのが好きだ。」 『行動することが
生きることである』
「人と言うものは面白いもので、自分の思っていることを人に話したりするたびに、どうしてもこのことを実行したい、と切実に思うよになる。」 『行動することが
生きることである』
「人はその持っている能力によって失敗する。」 『行動することが
生きることである』
「おかしなことですが、自信のない人間は、褒められた事柄に対しても、また新しい不安を持つものであり得ると言うことです。」 『行動することが
生きることである』
「人間は誰でも、自分が平静であると言う状態を装って、それで生きて行く。」 『行動することが
生きることである』
「人間というものは、他愛もないことであればあるほど、腹を立て、それを止めないことがある。」 『行動することが
生きることである』
「どん詰まりの状態になったときに、私ならどうするのか、と言うことをお話しましょうか。 私なら、自分が最後に下した判断を、絶対に信じる、と言うことです。」 『行動することが
生きることである』
「しかし、一ぺん人に笑われたら、あとは笑われた者の得だ。」 『行動することが
生きることである』
「やりきれない状態と言うものは、その当人がやりきれないと思う分量が多ければ多いほど、やりきれない形になる。平気でいれば或る程度、平気になれるものである。」 『行動することが
生きることである』
「何事をするにも、それをするのが好き、と言う振りをすることである。それは、単なるものまねでもいい。すると、この世の中に、嫌いなことも、また嫌いな人もいなくなる。」 『行動することが
生きることである』
「悪口を言わない、ということは、そう難しいことではない。悪口を言うと、気持ちが悪い。私はただ、気持ちの悪いことはしないだけなのだ。」 『行動することが
生きることである』
「恋とか愛情とか言うものは、そこにないものを見る心の作用のことなのだ。」 『行動することが
生きることである』
「人間と言う動物は、何事にも飽きるものである、と言うことをお忘れなく。」 『行動することが
生きることである』
「真の友だちに対しては残酷になりたい、と私はそんなことを思ったのでした。」 『行動することが
生きることである』
「未練の感情くらい、人を愚かに、そして弱々しくさせるものはない。」 『行動することが
生きることである』
「自分の貧乏なぞに気にしないで、とにかく生きていくチャンスを探しに、一歩前進する、構わず歩き出して見る。そういうのが好きです。」 『行動することが
生きることである』
「人は、自分の好きなことをするためにする少しばかりの苦労は、心にかけぬものである。」 『行動することが
生きることである』
「どんなことでも一生懸命でやっていると、とても面白くなるものです。」 『行動することが
生きることである』

- 梅原 猛 -

「思想は人間を生かし人間に希望を与えるものであるが、また、その思想が時代遅れになるとき、思想は人間を生かすところか、人間を殺すもの、滅ぼすものとさえなる。」 『隠された十字架』

- 澁澤龍彦 -

「欲望を満たそうとする努力こそ、人間が生きている以上避けて通ることのできない、人生の目標だともいえましょう。」 『快楽主義の哲学』

- 寺田寅彦 -

「ばかを一ぺん通って来た利口と始めからの利口とはやはり別物かもしれない。」 『異質触媒作用』
「きのうのうそはきょうはもう死んで腐っている。それよりは百年前の真のほうがいつも新しく生きて動いているのである。」 『随筆集』
「健康な人には病気になる心配があるが、病人には回復するという楽しみがある。」 『KからQまで』
「読書もとよりはなはだ必要である、ただ一を読んで十を疑い百を考えうる事が必要である。」 『知と疑い』
「子供を教育するばかりが親の義務でなくて、子供に教育されることもまた親の義務かもしれないのである。」 『猫の穴掘り』
「頭のいい人は批評家に適するが、行為の人にはなりにくい、凡ての行為には危険が伴うからである。」 『科学者と頭』

- 夏目漱石 -

「智に働けば角が立つ、情に悼させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は住みにくい。」 「草枕」

- 新渡戸稲造 -

「武士道は一言でいえば『騎士道の規律』、武士階級の『高い身分に伴う義務(ノーブル・オブリジェ)』である。」 『武士道』
「もし『武士道』が鋭敏で正当な勇気の感性、果敢と忍耐の感性をもっていなかったとすれば、義理はたやすく臆病の巣に成りさがっていたにちがいない。」 『武士道』
「勇気は、義によって発動されるものでなければ、徳行の中に数えられる価値はないとされた。」 『武士道』
「死に値しないことのために死ぬことは『犬死』とされた。」 『武士道』
「勇気の精神的側面は落ち着きである。つまり、勇気は心の穏やかな平静さによって表わされる。平静さとは、静止の状態における勇気である。」 『武士道』
「ニーチェが『おのれの敵を誇れ。されば汝の敵の成功は汝自身の成功となる』と書いていることはサムライの心情を物語っているともいえよう。」 『武士道』
「嘘をつくこと、あるいはごまかし、等しく臆病とされた。武士は自分たちの高い社会身分が商人や農民よりも、より高い誠の水準を求められていると考えられていた。」 『武士道』
「若者が追求しなければならない目標は富や知識ではなく、名誉である。」 『武士道』

 - 福田恆在 -

「贋物の善より本物の悪の方が、ずっと教育的だといふことを、私たちは忘れてはならない。」 『日本への遺言』
「歴史は作り出すものではない。勿論、作り出したものでもない。歴史が吾々を作り出したのである。」 『日本への遺言』
「自由とは、所詮、奴隷の思想ではないか。私はさう考へる。自由によって、ひとはけつして幸福になりえない。」 『日本への遺言』
「自然のまゝに生きるといふ。だが、これほど誤解されたことばもない。もともと人間は自然のまゝに生きることを欲してゐないし、それに堪へられもしないのである。程度の差こそあれ、だれでもが、なにかの役割を演じたかつてゐる。また演じてもゐる。」 『日本への遺言』
「マス・コミュニケーションといふ機械文明の産物は、それ自体いかに善意に支へられてゐようとも、かつてさういふ習慣のなかつたわれわれ日本人のあひだにもちこまれると、逆にこれほど独裁者に便利な機構はないとおもはれるほど危険なものになります。」 『日本への遺言』
「最も不愉快なことは、人々は表に『マス・コミ』の害を論じながら、裏ではそれを除去しようといふ努力をほとんどしてゐないことだ。」 『日本への遺言』
「新聞はあくまで事実の報道といふ形で、国民を一定の方向へ追ひやることができますが、さらにその限度を超へて、最初から『興論はかうだ、かうだ』と国民の頭上におつけかぶせていくとなると問題です。」 『日本への遺言』
「平和とは..........戦争の事前と事後にある戦争の欠如状態、即ち、戦争してゐないといふだけのことです。」 『日本への遺言』
「自分の気質とかくせとかいふものは大事なものなのであります。それは私たちの、いはゞ生きかたであつて、それを変へろいはれるのは生活が否定されるほどに辛いのです。」 『日本への遺言』
「嫌悪権と同様、日照権も言葉として意味をなさない。日当たりを好むも煙草の煙を嫌ふのも、それは性向の問題であつて、権利、人権の問題ではない。」 『日本への遺言』
「自分だけの正義といふものはなく、正義はつねに主張のうちにある。相手のため、他人のためと言つたところで、どうしても人を強制することになる。」 『日本への遺言』
「民主主義政治の原理は、自分が独裁者になりたくないといふ心理に基づいてゐるのではなく、他人を独裁者にしたくないといふ心理に基づいてゐるのである。一口に言へば、その根本には他人に対する軽蔑と不信と警戒心とがある。」 『日本への遺言』
「人々は悪の摘発に熱中するが、善の推進にはそれほどの情熱を持たない。また『弱者』や『無能者』の救済には力を入れるが、『強者』や『有能者』に対しては、その瑕槿(かきん)すら許さうとせず、彼等の手脚を縛つて、専ら引きずり降し策に腐心する。」 『日本への遺言』
「現行憲法に権威が無い原因の一つは、その悪文にあります。悪文といふよりは、死文と言ふべく、そこには起草者の、いや翻訳者の心も表情も感じられない。」 『日本への遺言』
「教育において可能なのは、知識と技術の伝達あるのみです。なるほど『教育好き』はそれ以上の欲望を起こす。つまり、相手の人間を造つてやらうとする。が、どうしてそんなことが教師に可能か。幼いときから始終子供を手もとにおいてゐる親にもできないことです。第一、子供をかう造りかへたいといふ人間の理想像を、教師はなにを根拠としてどこから拾つてきたのか。また、どんな教師にそんな資格があるのか。教育においていつも変わらぬ原則は、自分が真に所有してゐるものだけしか、子供に与へられぬといふことです。」 『日本への遺言』
「善玉と悪玉とを単純に分けて考へる俗論を警戒せねばならぬ。ことに新聞はその種の道徳的センチメンタリズムと絶縁しなければならぬ。」 『日本への遺言』

- 正岡子規 -

「余は今迄禅宗の所謂(いわゆる)悟りといふものを誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居ることであった。」 『病牀六尺』

- 吉田松陰 -

「死して不朽の見込みあらば、いつでも死すべし 生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし」 手紙から
「かくすれば かくなるものと知りながら 已(や)むにやまれぬ 大和魂」 辞世
「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」 辞世

- 渡部昇一 -

「非常にわかり易い言い方をすれば、『人間らしい』ということは、本人が望むなら乞食になれるということなのだ。大切にされたり、生活を保証されたりすることは、『人間らしい』ことの条件でも何でもなく、それは『家畜らしい』ことの条件であるにすぎない。あるいは『動物園の動物らしい』ことの条件にすぎない。」 『文科の時代』

 


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