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我、かく戦えり!
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フォーミュラフォードイタリア選手権参戦記-
1997年3月24日〜4月2日ペルージャ(マジョーネサーキット)
 
<3月24日(月曜日)出国>
12時20分、アリタリア航空789便にて出発。約14時間のフライトの後ローマへ到着。国内便に乗り換えボローニャへ。深夜、市内のホテルへ到着。
<3月25日(火曜日)イタリア競技用ライセンス取得>
朝9時半、イタリア競技用ライセンス申請のため、マウロ・マルティニ氏(元全日本F3000チャンピオン)に連れられ市内病院で脳波の検査を受ける。
午後はマルティニ氏とピザを食べた後、スポーツクリニックで身体機能検査。全ての検査結果を受け取り一路イモラサーキットへ。
簡単な手続きの後、念願のイタリア競技用ライセンスを取得。(マウロに感謝!)
<3月26日(水曜日)サーキットヘ>
午前、ライセンス申請などでお世話をして頂いているマウロ・ペローニ氏(元イタリアF3ドライバー)の会社へ挨拶。マシーンに貼るスポンサーステッカーを貰う。
午前の内にボローニャを発ち、列車にて夕刻、サーキットのあるペルージャ近郊、マジョーネへ到着。
早速、サーキットへ行き、ヘンリー・モロー氏をはじめ、スクールスタッフと再会。
<3月27日(木曜日)練習走行>
朝、レース用マシンと対面。シート合わせの後、昨年のスクール受講以来、約1年振りに感触を確かめながら11周マシンをドライブ。
日本のそれとは違い、エイボン製のバイアスタイアを使用していることもあり、とてもスリッピーでスリップアングルを大きく取る感じ。(滑らせながら走る感じ)コーナーリングでは“ロック・トゥ・ロック”。
また、コースのミュー(摩擦係数)も低く、バンピーでブレーキング、ターンイン時にはフレームに両肘を固定しステアリングをロックするありまさま。(全身あざだらけ)
資金不足のため、この日の走行はこれで終了。(走行量に応じてサーキットの使用料などがかさむ)
走り足りなさそうなもの欲しげな目付きでコース脇から他のドライバーの走行を見ているとヘンリー・モロー氏から声がかかる。
「ヒロ、走る準備をしなさい」「金は必要ないよ、なぜなら君は走行時間が少ないから」と。
ヘンリーのご好意で5周のラップを重ね、スクール卒業時を少し上回る程度のタイムをマーク。(まだまだ行ける!)
サーキット近くのレストランで他のドライバー達と昼食。昼間っからみんなワイン飲んでます。(--;;
昨年、今年とシャノンレーシングからイタリアF3に参戦中のアルベルトからドライビングに関していくつかのアドバイスをもらう。(早く実践してみたい!)
午後からはライバルたちの走りを研究する。
夕食はホテルでヘンリー夫妻以下、みんなで会食。
スイス人F3度ラーバーやアメリカのジャーナリスト、そしてアイルランド人、イタリアのドライバーとインターナショナルな顔ぶれで、モータースポーツの話題で深夜まで盛り上がる。
<3月28日(金曜日)休日>
ぼくは天才ではないのでたくさん走り込み、練習をしたいけれど、限られた資金では仕方が無い。
この日はコース脇から他のドライバー達の走りを観察。
そんな中、同じレースに出場するローマのドライバー、マウリシオと知り合う。
幾度かこのレースに出ているようなので情報をもらう。
参加ドライバーのリストを見ながら、マウリシオ曰く、「この25番は速いぞ、この5番も速ぇー。3番と12番も速いし、こいつも中々。16番はアイルランドのチャンピオンだってさ」
中本曰く「みんな速いんじゃないか、君はどれくらいここを走ってるの?」
マウリシオ「わかんない。100か200か。君は?」
中本「去年スクールを受けて、ワンセッション走った」
マウリシオ「何秒?」
中本「まだ20秒切ってない、レースではみんな10秒台でしょ?」
マウリシオ「ワンセッションでそれだけ出てればすぐに切るよ」
中本「君は何秒なの?」
マウリシオ「20秒」
中本「え?20ジャスト?お前も速いじゃないかよ!」
午後は暇なのでガレージでマシン磨きを手伝う。
磨いているとメカニックが「ヒロ、ちょっと、これに座ってみて」と、どこからか小さめのシートを見付けて来てくれた。(今までのは大きくて座布団を3枚くらいつめていた)
早速シート合わせを行う。
教訓:「メカニックとは仲良くすべし」
<3月29日(土曜日)フリー走行>
今日の走行はレースの一環としてなので走り放題!午前の1セッション目の走行が始まり昨日受けたアドバイスを頭に入れアタック。21秒台をマーク。(まだまだ行ける)
調子づいて、午後の走行準備をしているとヘンリーの奥さんのマーガレットが「次は3時過ぎよ」と。
良く聞いてみると、この日のフォーミュラ・フォードの3セットの走行枠の内、2セットまでが無料でもう1セットとは有料だそうで、泣く泣くヘルメットを脱ぐ。
最後のセッションは午前の走りにもう少しブレーキを詰めようと心がけてアタック。更にタイムを詰める。(まだまだあっちこっち滑ってロスしてる。まだ行ける)
この日6番目のタイムでレース前の走行は終了。
(結局2セッションで2秒近く短縮!腕、足、背中、腰と全身あざだらけに)
<3月30日(日曜日)休日>
この日はF3やプロトタイプカー、キャンパスルノー、フォーミュラ・ジュニアのフリー走行、予選を観戦。
早めにホテルに帰りF1グランプリをテレビで観戦。
ホテルのレストランで夕食をとりながら地元のドライバー達とバカ話しをする。
(なぜかリポ○タンDのCMをイタリア人に説明する羽目になり四苦八苦(^^;;))
<3月31日(月曜日・復活祭)予選・決勝>
朝、ヘンリー・モローがホテルまで迎えに来てくれる。
ヘンリー曰く、「緊張するだろ?」
中本「今日は僕にとって最初のレースなんだ」
ヘンリー「いいかい、最初のレースで一番大切なのは完走することだぞ。レーシングドライバーとしての一番重要な仕事はマシンをゴールまで運ぶことだ」
9時50分、予選スタート。緊張はない。タイヤを暖めながら1周する。ピットにはフリー走行の時から応援してくれているイタリア在住のフィリピン人(申し訳ない名前が・・・)がいる。
行くぞ、と思いきや、いきなり2周目から25番のベテランドライバーがアウトから被せて来る。サーキットは修羅場と化し、いたる所で黄旗が振られ、あっちこっちでマシンがタイヤスモークを上げコース外へ飛んで行く。、それらを避けながらタイムアタックを続ける。
タイムは24秒・21秒・23秒・・・、縮むどころかバラバラ。
「焦っているのか!?」自問しながらもアタックは続く。
結局、最終的にラスト2周目に20秒代をマーク。
前々日のフリー走行で6番手だったから20秒代に入れれば何とかなるだろう・・・」
が、考えが甘かった。「P15?、ポジション15?え?そんな後ろ??」
マシンを降りると例の25番が「お前初めてだろ?速いな」と声をかけてくれる。
心の中では「お世辞なんかいらねぇーや」、愛想笑しながら「みんな速すぎるよー」と僕。
ラップタイム表を見てみると、2位に入ってるレーシングスクールのインストラクターをやっているとうドライバーをはじめ、上位4人が18秒台に入っている。アイルランドチャンプのマイケルが8番手、フランス人が6番手。マウリシオが20秒台で13番手と続く。イタリアのレベルの高さを身をもって体験する事となった。
ただ最高速では7番手をマーク、前車との差も0.01秒差、毎セッション1秒づつ詰めていただけに、もう少し走れていれば・・・。実際、ブレーキングポイントもまちまちでアンダーの消せていないコーナーもあり、まだ行けたはず!
ガレージで落ち込んでいるとみんなが「初めてで20秒台に入れるなんてたいしたもんだ」と気を使って話し掛けてくれる。顔では笑いながら心の中で「お世辞なんて言いやがって!ちきしょー」
しかし、もうこうなってしまうと決勝は楽なもので何の気負いもありません。前だけ見ていれば良いのですから。
スタート、イタリア語の分からない僕とアイルランド人のマイケルはヘンリー・モローから英語でレースでの注意事項を受け、グリットに並ぶ。
シグナルが赤から青へ変わり、スタート。緊張はなく、信号が変わったのと変わらない。
スタートで1台、1コーナーでインに入り数台をパスし、その後はもう前だけ見て走り続る。
レースが始まるとコース上はまた修羅場。いたる所で白煙を上げマシンが飛び回り黄旗があちこちで振られている。
ほとんどのコーナーの出口でアンダーが出て、縁石まで乗り上げアクセルを踏めない。スピンしていた速いクルマに追いつきコーナーの走りを盗ませてもらう。数箇所の出口で踏んで行けるようになるが、ラスト4周、1コーナー出口の縁石を超えてしまい、痛恨の単独スピン。後ろから来たクルマに抜かれ、それを追い駆けたが届かず、結局10番手で最初のレースを終える。


レース終了後、各国のライバル達と次のレースでの再開を誓い合う。
ヨーロッパの強豪達と戦って来た誇りと屈辱感を胸に、帰国の途に就いた。

<つづく?>

 
<今回の参戦を通して得たもの>
マシンをドライブする楽しさ。(ねじ伏せる楽しさ)
予選の重要性、難しさを身を持って体験。
ヨーロピアンレースの体験。
イタリアを始めとする欧米ドライバーのライバルたち。
屈辱感。(悔しさをばねに!)

<反省点>
イタリア語しか話さないメカニックたちとあまり親睦を深める事が出来なかった。
語学力不足。(英語、イタリア語)
慢性的な資金不足。(みんな一緒でしょうが)

<ドライビングに関して>
数箇所のコーナー出口でアンダーステを消せていなかった。
→ターンイン時に向きが帰られていない。
セッション中、早い周回にベストラップが出せていなかった。
→ベストラップを出すのに時間がかかり過ぎる。
毎ラップブレーキングポイント、ターンイン、アクセルオンのタイミングがばらばらで、走りがまとまりきっていなかった。
→決められた時間内にマシン、サーキットを熟知し切れていなかった。


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