やおい乙女たちの行動原理の奥底にあるもの

■[受け]と[攻め]の本当の役割とは
■やおいヲトメたちが三角関係や受けキャラ争奪・(恋愛相関系図)に過剰な興奮を覚える理由とは
■ねたましく、激高的で騒がしい、『恋愛腹黒乙女化』された小賢しい攻めキャラたち
■古来一夫多妻の時代から受け継がれてきた、嫉妬と噂好きのやおいヲトメDNA
■過激なやおいエロもある……が、本当はエロなんて二の次
■なぜ簡単に転べるのか、なぜ美形化・擬人化するのか、なぜ全て受けと攻めなのか……
■対立するカプ派閥同士の反目〜受け攻めたがえば『よそのくに』
■なぜカップリング派閥ができるのか〜やおい美学の宿命
■なぜ冒頭にやかましい注意書きがあるのか〜敵対カプ派閥たちへ釘を刺す!
■なぜ、ヲトメたちは結婚・新婚生活・育児漫画にこだわるのか
■男同士でなければならない最たる理由

[受け]と[攻め]の本当の役割とは

 好色で横柄、且つ不敵な笑みを浮かべながら盛んに劣情を貪ろうとする[攻め]キャラ
 それに対し、顔を赤らめて困惑しながらも、相手の色欲に流されるばかりの依存的[受け]キャラ。  男同士のカップルであるにもかかわらず、やおいではこういった受け攻めに固執した役割分担が甚だしい。対等の関係では無いのだ。

 まず、この[受け]の定番型キャラクタライズは、一般的に『乙女化』と呼ばれている。
 女の立場として共感し易いように、男への依存性を、受けキャラという特定のキャラクターへ如実に体現化させたものである。

 昨今、女性の社会的自立が叫ばれるようになって久しく、経済的にも恋愛的にも女性はアクティヴな自立性を獲得しつつある。
 世の女性たちは向上した性的地位を晴れ晴れと謳歌する反面、幼い頃に焦がれた童話の世界のように、白馬の王子様が手を差し伸べて来訪する夢想を、心の奥底で必ずしも黙殺できないまま、深く深く沈殿させていた。

 こういった男性依存という古代からの性本能を自ら断ち切った反動として、甘ったるい昼メロやユルい韓国ドラマが女性たちの間で圧迫のはけ口のように隆盛するのは、理解に難くは無いであろう。

 しかしアニメファンの女性たちが選択した男性依存本能圧迫感解消方法は、既存のアニメから拝借してきた配役で、男の[受け]キャラに乙女マインドを投影、そして乙女化した彼を、暴君のような男の[攻めキャラ]に激しく抱かせて専横させて劣情的性愛譚を綴る、『やおい』と呼ばれる同人ジャンルであった

 逢瀬も、私生活も、セックスも、庇護の甘受も、全ての啓蒙を男にリードしてもらえる蜜月の恋愛。
 そんな過保護で甘い幻想を未だ潜在的に抱きつづけている女性たちの夢想が、アニメファン・ヲタク少女たちのやおい二次創作というフィルターを通した男同士カップルというフォーマットの幻惑により、甘ったれた女性の劣りをホモというまやかしでカモフラージュ。
 そこには馬鹿な女・弱い女・ムカつく女はいない。だって受けも攻めも男なんだから!心置きなく白馬の王子とシンデレラのハネムーンを、満足のゆくまでのびのびと想い描ける。

 そこには、ひたすら男への依存に甘んじて悶えてるようなウザい女なんかいない。性の被害者づらしといて内心ほくそえんでるムカつく女なんかいない……。

 一方、男の[攻め]キャラは、なぜああも性豪で好色、専横で傲慢なのか。
 それは、女性が常に男性に対して過剰に抱いている性の被害者意識と、それに依存することによる性的ステイタスに浸る満足感に起因している。

 『男にこんなにも性の玩具にように弄ばれて奉仕してるのよねあたし。だからあたしは彼の恋人として、妻として、愛人としてのゆるぎない地位についているの。その資格があるの。あたしには。』

 そんな、女性特有の被害者意識に起因するステイタス感と優越感が、攻めキャラをあそこまで専横な性格と横暴な行動に駆り立たせているのである。

 実は、攻めキャラ・受けキャラの性格付けが、全く異なる原理に起因しているパターンがもう一例あるのだが、それは次の項目にて。

やおいヲトメたちが三角関係や受けキャラ争奪・(恋愛相関系図)に過剰な興奮を覚える理由とは

 とにかく、同人ヲトメたちは、複数の攻めキャラによるひとりの受けキャラをめぐった争奪戦が大好きである。

 1人の受けキャラをめぐって攻めキャラ同士が火花を散らし、苛烈な中傷合戦でえげつない罵り合いを繰り返させて、うっとりと酩酊。

 少しでも恋愛関係の立場が有利だと、勝ち誇って嫌味っぽくあざけり、相手にじだんだ踏ませて悔しがらせ、惨めに嫉妬させるその様子に、心弾ませ、喜んだり。

 こういった嫌みったらしく見苦しい奪い合いを描いてうっとり悦に入るタイプのやおい本を『総受け』『受けキャラ争奪戦』と呼ぶ。

 なぜ『総受けもの』に登場する攻めキャラたちはあぁもイヤミっぽいのか。なぜあんなにも激昂的でやかましいのか。なぜ、男性の立場で見て引っ込み思案で優しげでとても可愛げのある男の子が、やおいでは卑怯でずる賢い攻めキャラとして扱われるのか……。

 これは、女性の立場からのシンパシーで行われているものである。
 先ほどの例では受けキャラへのシンパシーとしての『乙女化』について述べたが、ここでは攻めキャラへのシンパシーとして現出する『恋愛腹黒乙女化』について解説したい。

ねたましく、激高的で騒がしい、『恋愛腹黒乙女化』された小賢しい攻めキャラたち

   攻めキャラ集団の男たち全員が、一人の少年の受けキャラを巡って争奪戦を演じる『総受け』本に目を通すと、とにかく攻めキャラのやかましい騒ぎようが鼻につく。

『あのコのナイトに相応しいのは俺だぁ―――!』
『あーっ!ずるいぞ!お前抜け駆けする気かぁ――!!』
『お邪魔虫退散ー!こんな奴ら無視して、ボクと結婚しよう!』

 その騒々しい激高ぶりと嫉妬深さは男性の行動原理を越えており、こういったキリのない取り合いの堂堂巡りを繰り返して悦に入る同人女も、典型ヲタク少女タイプのひとつである。
 その攻めキャラたちが争いあう罵り合いが見苦しくエゲツなければエゲツない程、同人ヲトメたちは目を細めてうっとりと酩酊する。

 もうひとつよくある一幕。攻めキャラのひとりが、転ぶふりをしてわざとらしく受けキャラに抱きつきながら、振り返って「ニヤリ」。
 そんなしたり顔を光らせ、他に火花を散らし合うライバルの攻めキャラに地団駄踏むほど峻烈に悔しがらせて差をつけてほくそ笑むというプロット。
 これもまた今までアニパロやおいで何度見てきたパターンだろう。

 もうお分かりと思うが、これらの攻めキャラたちは、全て思想原理・行動原理が女性化されているのである。

 やおいヲトメたちは、男の子の本質的魅力を描きたいのではない。ホモセクシャルのドラマを描きたいのでもない。
 そこに炙り出されているのは、ハズレのダメンズには近寄ることすら毛嫌いして見向きもしないのに、美形セレブの上玉へは我先にとむらがり、互いに激しく蹴落としあって踏み躙り合う、強欲で嫉妬深い女の性の本質だ。女性としての恋愛観のシンパシーを描出して、共鳴と興奮を覚えているのである。

 『総受けもの』の根底は、水際立って性的に魅力のあるひとりの男性を、多くの女性たちが取り巻き、恋人・正妻・愛人の座を目指して奪い合う図式の再現だったのである。
 攻めキャラたちが皆男の子なのに少女の如く嫉妬深く、騒がしく、泣くわ喚くわ、喧しく激高的なのは、そのせいだ。

 そんな概念を念頭に置けば、アニメ本編では元々清廉でおとなしくて引っ込み思案な男の子が、なぜか最も腹黒で性根の悪い恋愛攻めキャラとしてヲトメアレンジされるかという疑念も、たやすく合点がいく。

 ほらよくあるだろう、女の子グループの中で、  『何よあの女ー!性根は相当ずる賢いクセに、男の前では急に可愛らしくブッてて子猫みたいに脆弱に振舞って泣き真似までして男の注目浴びようとしてー!最低ー!ムカツクー!』  ……という女同士の抗争が。

 やおい女たちが、引っ込み思案でおとなしい少年キャラに腹黒乙女の汚れ役を嬉々としてかぶせるのは、そういった自分たちの女として戦線の場数を踏んできた嫉妬劇抗争の経験を、生々しく投影しているものなのだ。

 その昔、「絶対無敵ライジンオー('91)」というサンライズのロボットアニメがあり、その準主役の男の子のひとりで、星山吼児くんという、とても引っ込み思案で内向的であるものの、心優しくて空想好きの少年がいた。
 血気盛んなスポーティヴ元気少年として登場する主役の仁くんも男の子の理想像ではあるが、吼児のように、外見は脆弱でコミュニケーションは苦手でも、内面は倫理と哲学性とロマンティシズムに溢れた強さと優しさを秘めており、そんな、やんちゃっコとはまた別の種の[少年]特有のにおいをいっぱいに漂わせた男の子だった。特に男性アニメファンにとって、ショタ属性の有無を問わず、人気の高かったキャラクターであった。

 ところが、ライジンオーの同人ヲトメたちの、吼児の解釈はまるで違っていた。
 『吼児なんてあれは絶対攻めよ!』
 と高らかに受け攻めの内、[攻め]の性格付けを喧伝、お目当ての総受けキャラの前では媚態を見せ、他の邪魔なキャラクターを蹴落とし、踏みみじってはほくそ笑む、とても卑劣な悪女キャラのような汚れ役を吼児に演じさせていた。

 そんな同人誌を描いた女性は、吼児というキャラクターに少年のにおいを見出すことはなく、[おとなしく控えめ]=[ぶったズルい女]というすさんだ発想のもと、女性特有のえげつない性(サガ)を演じさせることで極度な興奮を覚え、性的に満足していたのである。

 男同士のカップルを描くはずが、実は裏側に醜悪な女の本性が潜伏する。これが『やおい』なのだ。

古来一夫多妻の時代から受け継がれてきた、嫉妬と噂好きのやおいヲトメDNA

 人間、男女別にそれぞれDNAレベルに刻まれた本能がある。生き延びるため、生き残るため、遠い先祖から受け継がれてきた性別的な能力。それは幼児期から壮年期、晩年まで、常日頃の「遊び」「慣習」にも現れる。

 殺戮や侵略戦争ばかりして生き残ってきた人種のDNAを持つ男の子は、やはり戦闘中心の勧善懲悪アニメや特撮、バトルもののゲームやトイを好む。
 獣人・ケモノキャラをパートナーとして育てはぐくむアニメやゲームトイが好きな男の子は、牧畜や遊牧メインで糧を得て生き延びてきた人種が遠い先祖なのかも知れない。
 地図や路線図を読むのがとても上手な少年もいるが、そのコの祖先は遠征や大移動により、安住の地や食料を確保して生き延びてきた民族だったのだろう。

 では、女の子の場合、特にやおいヲトメたちの場合はどうだろう。

 とにかく集団の中での水面下における恋愛攻防に興奮する少女たちのご先祖は、ひとつの部族の中で形成されている、権力者の男が囲う一夫多妻制ハーレムで生き残ってきた女性たちのDNAプログラムが刻み込まれているのだ。

 女は誰でもカスのような独身男より、愛人だらけであれど多大な富と権力を持つその土地の権力者に惹かれていく。
 そのハーレム状態の中で男の下半身を勝ち取って、妻として愛人として母として生き残るためにはどうすべきか?

 ……当然部族の中での恋愛攻防、嫉妬・噂流し・水面下での痴情バトルを常日頃から展開しなければならない。

 誰々の女がふられた、あの女実は権力者ナンバー1の旦那には冷たくされたが、その弟に最近可愛がられてるらしい、いや父親も味方してる、などという恋愛カップリング情報には努めて敏感でなければならない。男からのひいきや恋愛感情の風向き次第で、部族内での自分の地位がたやすく上下するのだから。

 誰が誰の恋人・妻・後妻・愛人ナンバー1の座を狙っているのか。そしてその旦那の子供を産んで育て、いかに家庭を築いていくか。
 そんな恋愛攻防、噂流し、嫉妬合戦の戦歴が、女の勝ち組み・生き残り組のDNAとして、一夫多妻制が先進国では廃止された近代においても、深く深く刻み込まれている。

 その《ハーレム時代の女性DNA説》を念頭に置けば、カップリング受け攻めの攻防、愛情三角関係、集団の中での一人を巡った恋愛バトル、新婚家庭を築く昼メロ調ドラマのプロット、性奉仕をタテにした社会的男性依存とそのステイタスの陶酔及び優越感、性欲の充足など、同人誌における、アニメキャラのキャストによるやおいマンガで極度に興奮するヲトメたちの行動原理の全てに説明がつく。

 『やおい』の原理は、古代の女性たちが部族間で生き残るための、知恵と能力だったのだ。

 よく、男は女に比べて幼稚だ、と得意げに言い放つ女が登場する。それもそのはず、子供の頃から女はおままごととお人形で早くも恋愛・家庭のシミュレーションをしているのに対し、男は一生、狩りや戦争、農耕、牧畜、水産のシミュレーションであるおもちゃに夢中だからだ。

 一見、女の方が大人びているように見える部分もあるが、ある時突如、恋愛噂話や嫉妬、ねたみひがみや女同志の派閥とナワバリ争いなどで激高と興奮、極度な大はしゃぎをみせて男たちをドン引きさせている。
 なんのことはない、男も女も、幼児期から根本的DNAは変わっていないだけのことなのだ。

過激なやおいエロもある……が、本当はエロなんて二の次

 近年では過激で直接的なエロ描写……指の挿入、絡み合って吸鍔(すいつば)する肉体の躍動、肉棒と射精、精液の飛び散り……等々も見られるようになり、第三者はついつい好奇の視点でエロばかりに注目してしまいがちだが、やおいにおいてこのようなダイレクトな濡れ場は副産であり通過儀式であり、飽くまで二の次。

 とかく重要なのは、受け攻めの指定を口やかましく采配した男同志カップルの痴話劇。これが何よりも基本。実はこのカップル痴話劇こそ、やおいヲトメたちのなによりも興奮を覚える性欲であり、リビドー・ファクターなのだ。

 現実において、男性がひたすらダイレクトなセックス……つまり射精への到達ばかり好むのは、それが子孫を残してDNAを受け継がせる行為だからだ。
 相手が正妻だろうが2号だろうがハーレム内だろうがゆきずりだろうが近親だろうが、とにかく射精して数多くの子孫を孕ませた者が、より多くの遺伝子を後世に受け継がせることができる。
 古代の男の勝ち組・現代の我々の生き残り組の男に由縁を持つ、全てそういった乱暴で短絡的な性行為のDNAが、社会的モラルが重んじられる現代でも男性の本質的な性として連綿と受け継がれてきている。

 ところが女性となると勝手が違う。確実にDNAを後世に残す生き残り処世術において重要なのは、性行為そのものではなく、他の女性を蹴落として、いかに地位の高い男に取り入って恋人・妻・母・愛人としての座を勝ち取って、女の勝ち組みとして生き残るか、ということ。

 この女の生き残りの座を勝ち取るにあたって必要なのは、男性の場合におけるレイプのような力技ではなく、同盟結成及び派閥作りによる恋愛カップル情報操作・噂流しが、非常に重要な策となる。このような手練手管を悦として会得した女こそ、現代にまで遺伝子を残した勝ち組なのである。

 やおい本の冒頭で、各カップリングの捏造、各キャラクターの相関系やでっちあげ痴話劇設定を、それはそれは嬉しそうに恍惚状態で活き活きと綴っていたり、エロはギャグオチで逃げ、代わりに三角関係や複雑な恋愛相関系、受けキャラの争奪戦、育児・結婚生活を嬉々として描いて酩酊したりするのは、エロが嫌いというより、『カップル痴話劇/噂流し』自体が、女性にとっての最高のエロであり、快楽であり、性的リビドーであるからだ。

 その妄想時のテンションのノリがどんな感じか例を挙げてみると、まぁ大体次のような様相であろうか。

 『誰々が受けでェー、誰々が攻めでェー、でもこのコは本当は別のコのことが好きでェー、そんで誰々と誰々はこの受けッコを取り合って激しい争奪戦を繰り広げているのよキャー♪みたいなニヤリ。そんでそんで、こいつとこいつは恋のライバル同士でェー、でもこのコはそのコの片想いしててェー、それからそれから……』

 このようなキリのない痴話的恋愛関係のハテシナク広漠な夢想こそ、やおいの根本的感覚であり、同人ヲトメのとってこの上ない極上のエロチシズムなのだ。

なぜ簡単に転べるのか、なぜ美形化・擬人化するのか、なぜ全て受けと攻めなのか……

 同人ヲトメが、そのアニメや漫画のやおいカップリング本を出すのは、その作品の物語や世界観、作者の訴えに感興を覚えたからではない。
 作品の本質に共鳴したのではなく、少年漫画・少年アニメの主人公として登場する男性キャラたちの、友情関係・対人関係の機微に対し、何でも受け攻め恋愛関係へ全て関連付けるヲトメマインドに基づき一方的に過剰反応、男の友情・ライバル心・愛憎を拡大解釈、脳内で恋愛・肉体関係を醸造、その妄想を肥大させ、やおい同人誌のマンガへと具現化して更なるオンナの欲求を満たし続けようとするのが目的なのである。
 彼女らが一度思い込んだら、恋愛痴話劇の噂流し、カップル情報操作の血が騒ぎ、もうどうにもとまらない。

 油の乗った流行のアニメの旬の少年キャラたちに、自分にとって理想の受け攻めカップル痴話劇を演じさせ、受け攻め双方向の恋愛サクセスストーリーを追体験したい。つまり、そのアニメ・その原作・その漫画・その作者のファンという訳ではないのである。

 基本的に同人少女は、ひとつのアニメに熱烈に傾倒していたかと思えば、1年ほどであっけなく他のアニメに『転んで』しまい、どこ吹く風よと見向きもしなくなる風来な傾向があるということを前述した。

 この同人ヲトメたちの度を越した飽きっぽさに、一般層は勿論、男性ヲタク連中も首をかしげるところだが、しかしよく考えてみよう。彼女らの同人誌の中で追求している世界を鑑みれば、この彼女らの移り気はあたりまえのことなのだ。

 アニパロやおい本なんて、元ネタがどんな少年漫画だろうがSFロボアニメだろうが、登場人物は全て『受け』と『攻め』のどちらかの性格にはめ込み、元のキャラクター性なんかすっかり無視して乙女化・恋愛腹黒化等ヲトメマインドに塗り替え、恋の成就の恋愛お人形劇仕立てで組み立てているではないか。

 受けキャラはみんな過保護で依存性の著しい乙女状態、攻めキャラは嫉妬深く好色で騒がしい激昂家。元々原作の設定・性格づけなんて無視して素通り。全てステレオタイプなのだ。原作なんて彼女たちにとっては単なる[旬の材料]程度であり、ストーリーや作品なんて、自分たちにとってアウトオブ眼中でまるで関係なし!

 だから、その作品の流行がすたれれば、即『転べる』のだ。愛着も敬愛もないのだから。ブームが過ぎれば元の作品にはもう用済み、という彼女らの言葉にウソはないだろう。

 中にはいけしゃあしゃあ平然と、一度も読んだことも見たこともない作品のやおい・カプ本をしれっと出してしまうヲトメすら珍しくない。元々同人ヲトメがやおいを描くこと自体、作品主体でなく、恋愛シミュレーションの2次元的追体験を流行カップリングに照らして萌えることが原動なので、原作や本編の存在など、さほど関係のないことなのだ。

 同人誌でのキャラクターの美形化(または擬人化)行為の心理も、原理的には同じものだ。

 アクの強い児童漫画・快活なタッチの少年漫画の原作の絵に対して、
 『えー何コレー!同人誌先に読んだんだけど、本当はこんなのだったのー?こんな絵じゃ萌えなーい!』
 ……などという勝手な言い草で、たちまちオタンビに美形化を施し、受け攻めカプや三角関係や受けキャラの延々たる奪い合いを描いてははしゃいでいる同人女。要するに本編に愛も、興味も、敬愛も何もない。

 彼女らにとって、世界は全て受けと攻めで回ってる。恋愛カップルの噂話に過剰に反応して囃し立てて情報操作、それを布石に意中の男を奪い合ってライバルを踏みにじり、狙った男の恋人・妻・愛人の座を勝ち取ってほくそ笑む、ひがみ・ねたみ根性丸出しの見苦しい女のサクセスストーリーを、旬のはやりものアニメキャラで再現、女の勝ち組みDNA回路を満足させる。

 同人誌でやおい本を描くのは、作品への愛情表現としてやっているのではなくて、恋愛シミュレーションによる自己愛成就が目的なのだから……。

 そういった同人ヲトメたちに、己の立場の自覚やわきまえがあればまだしおらしいのだが、更に浅ましいというか逞しいのは、彼女らには、
 『ファン活動を逸脱したおびただしい二次表現の数々を、コピライト元にあえて黙殺してもらっている』
 といった、肝に銘じておくべき負い目がさっぱり感じられないということ。ファンブックを出すにあたって作者・出版元に表す敬意が皆無に等しいのだ。

 例えば、昔のえみくりなどはC翼本の中で
 『絵が下手!』
 『脚の描き方奇形児みたい!』
 『こんなの見て誰が喜ぶの』
 と、当時のジャンプの連載部分を切り抜いて無断転載、作者を誹謗するという、酸鼻も甚だしい行為にまで及んでいる。

 『自分がもっとかっこよく描いてやる!っていう(笑)』
 『元の絵が上手かったら描く気にもなりませんよね(笑)』


 当時きゃぷつば同人女であった高口里純、竹田やよいも、C翼原作を指してそう公言してはばからない。夜郎自大の甚だしいこの図々しさ、悪し様こそ、何事をも恐れぬ同人ヲトメ・腐女子の無敵の逞しさを物語っているではないか。

対立するカプ派閥同士の反目〜受け攻めたがえば『よそのくに』

 同人界隈でひとつのアニメのブームが巻き起こり、そのアニパロやおいのサークル数・本の数・ブースの規模が膨張すれば、必ず発生・進捗するのが、同人ヲトメ同士のカップリング派閥である。

 例えば、あるアニメのキャラクターが、太郎、次郎、マイケル、ジョンという4キャラクターが主役格とする。
 すると、【太郎×マイケル】カプのサークル、【太郎×ジョン】カプのサークル、【次郎×マイケル】カプのサークル、【ジョン×次郎】のサークル……と様々な組み合わせの派閥ができあがる。

 特に、受け攻めが逆同士である【太郎×マイケル】、【マイケル×太郎】の派閥は、必然的に犬猿の仲となる

 共に相手側を『よそのくに』と呼び合い、お互いに断絶状態を決め込む程度ならまだ良い方。酷いのになるとカミソリの送り付けあい、手紙やメール、オンライン書き込みによる中傷合戦、八つ裂きにした相手の本の送りつけ等々の壮絶な同人ヲトメ同士の派閥の角逐が展開される。

 前述したが、かつてトルーパー時代に流行ったイベントでの大嫌いコールの合唱などは最たる噴飯と言ってよく、ある意味、それこそ同人イベント名物的お祭りパフォーマンスとして鳥瞰視角で支持したくなってしまいそう。

 同人誌即売会のイベンター側も気を使わねばばらず、異なる受け攻めカプの派閥同士は、ブースを離して配置することが必須である。同じアニメ作品のジャンルなのに、互いに最も忌み嫌いあう存在なのだ。

なぜカップリング派閥ができるのか〜やおい美学の宿命

 同じアニメジャンルであるにもかかわらず、なぜ異なるカップリング派閥同士がここまでピリピリと圭角ばっているのか?

 それは、特定のカプのやおいを描くに当たり、必ず、人気キャラの誰かに、汚れ役を着せるからだ。

 例えば、【太郎×マイケル】カプのサークル。
 タロマイの間に割って入る三角関係キャラとしてジョンを登場、そいつを(原作の設定や話など関係なしに)徹底的にイヤな奴として描く。最終的にはみじめに哀れにみっともなくふられ、憤怒わめいて地団太踏ませていい気味。邪魔者は消え、波風たったタロマイの恋の行方も無事成就を果たし、無事ハッピーエンドにゆきついて、あぁうっとりステキ……。

 しかし、ジョンのキャラクター性をここまで踏みにじられ、泥をかけられて、ジョンを愛して愛されることに情欲を萌やしていた【太郎×ジョン】のサークルは、当然のことながらタロマイサークルのこの本の内容には怒髪天を衝く程に怒り心頭。
 逆にマイケルを徹底的に卑劣な悪役に仕立てたしっと深いやおい本で抗戦、度が過ぎれば、前述のようにカミソリの送り合いや敵の本の惨殺体の送り付け、嫌がらせシュプレヒコールへと発展する。

 第三者の視角から見ると、
 『この同人女たち一体何をやっとるんだ?何をどうしたいんだ?何が好きで何がそんなに嫌いなんだ???』
 ……という気にもなるが、コレがやおいの宿命であり、本質なのだ。

 捏造カップルの恋の道行きを描くからには、自分にとって最も萌える[受けキャラ]を手篭めにしてくれる誰かに[攻めキャラ]を演じさせなければならない。
 その攻めキャラを鬼畜で横暴な色魔に仕立てない限り、欲望は満たされることはない。
 更に、2人を邪魔する腹黒最低女みたいな攻めキャラを別の♂のキャラにまわし、汚れ役として泥をかけなければヤヲイの美学は極められない。
 でもこの時点で、その攻めキャラ、その汚れ役キャラを、愛する受けっコキャラとして据えて悶えてる派閥サークルたちとは、絶対に合い交わることのない天敵として、対角をなすことになる。

 ひとつのやおいカップルを描けば、必ず敵対するカプが発生する。これは必然であり、やおいの呪われた宿命なのだ。

なぜ冒頭にやかましい注意書きがあるのか〜敵対カプ派閥たちへ釘を刺す!

 例えば、【太郎×マイケル】カプ、尚且つジョンというキャラが三角関係的に2人の間へ割り入るという、ヲトメの脳内捏造やおい本があったと想定する。
 するとその本の冒頭には、こんな奇妙、且つきな臭い警告文が、仰々しく標榜されている。

【ご注意】
 この本は、太郎が攻めで、マイケルが受けのやおい本です。よって、以下の方は、早急に本を閉じて、立ち去って下さい。

・太郎が鬼畜エロキャラなんて絶対許せない!という方。
・マイケルがしおらしい受けなんて有り得ない!という方。
・ジョンが卑劣でサイテーの恋愛腹黒乙女な性格なんて考えられない!という方。もしくはジョン受け、ジョンファンの方。
・基本的にやおい本が嫌いな方。

 上記に該当する方が、もしこの本を読んで気分を害されても、当サークルは一切責任を持ちません!

 アニパロやおい本の名物となっている、このぎすぎすと角の立った冒頭の注意書き。これは、ひたすら自分の脳内妄想で膨れ上がった恋愛三角関係カプの醜い痴情噺を本にするにあたって、他の敵対嗜好の持ち主の少女の目に触れてしまい、トラブルとなるのを防止するために書かれる、やおいカップリング本定番の前口上である。

 攻めキャラを過剰に厚かましい好色キャラとして描いたり、誰かに嫉妬深い三角関係汚れ役をかぶせたり。そんな特定のキャラのファンを敵に回したりするような描写を嬉々として描いたりするから、ファン層の間でピリピリした派閥ができるのは当たり前。敵を作るような本なんか初めから出さなければいいものを、しかしそれが同人ヲトメの性欲の本質なのだから、回避は不可能なのだ。

 鬼畜な攻めキャラに恍惚、乙女化受けッコにうっとり、すさんだ三角関係に興奮、読み苦しい嫉妬劇に熱狂、攻めキャラ同士のえげつない罵り合いに悶絶、受けキャラの奪い合いに酩酊……。

なぜ、ヲトメたちは結婚・新婚生活・育児漫画にこだわるのか

 前述のとおり、やおい本の定番のひとつに、結婚夢想ものがある。

 男同士であるはずが、受けキャラ・攻めキャラでなぜか[結婚]する、または[結婚]していて夫婦、という設定。やおいヲトメたちはこの空想めいた、ヘタすればSFのような結婚夢想プロットに異常な程執着を見せ、2人がマンションなどでおくる新婚生活の日々を嬉々として描き、場合によっては出産・子育てまではぐくんでいる話に躁状態で耽っている。
 ……男同士が結婚ですよ?妊娠・出産ですよ?そんなバカな???

 受けキャラの男にウェディングドレスを楽しそうに着せたり、また新婚家庭で受けキャラ(勿論♂)がエプロンして家事をこなしていて、そしてスーツ姿で仕事に出ていた攻めキャラ(こっちも当然♂)が帰宅してくるというプロット。これ、描いてる同人ヲトメは本当にウキウキと幸せそうに筆を進めているようなのだが、やおい門外の者がその本をかじった場合、興奮度合いの温度差は激しく、理解の範疇を完全に超えている。

 一体、同人女ってなぜそんなに結婚ネタが好きなのか?何が楽しくて結婚・結婚騒ぐのか?第一、男性ショタ作家による男性向けショタ本では、キャラに結婚させてウキウキ…みたいな脳内お花畑的プロット、まず有り得ない。これはなぜだろう。

 それは、男にとって、[結婚]とは、萎えも甚だしい要素だからだ。

 同人ヲトメ…というか女にとって「結婚」とは性の到達・完成のひとつであり、女の勝ち組への招待状であり、ステイタスの取得であるもの。
 だから、[結婚]を各アニメキャラで思い浮かべただけでも、脳内お花畑状態でうっとり酩酊できるのだ。

 しかしヲタク男…いや、男全般にとって、結婚は社会的義務と責任が新たにヴァージョンアップして荷が重くなるだけの、単なる通過点に過ぎない。
 ……つまり入試、入学、卒業、卒論、入社、異動、転勤などと同等に位置付けられるべき、とても気が重くなるような、しかし避けては通れない、そんな心を置かざるを得ないキーワードなのだ。

 だから、『結婚〜!結婚〜!』と女が浮き足立って騒いでも、男にとっては『試験!卒論!卒業!面接!入社!異動!』などと言われてるのと同じようなことで、ひたすらゲンナリとひくばかりなのだ。

 男性向けショタ本で結婚ネタがあるとすれば、バツイチの親同士の再婚により、突然カワイイ義理の弟が、突然頼もしい義理の兄貴が、お互い唐突に出来てしまった……という、義理の兄弟の関係が設定づけられたものがせいぜいである。

 他、親友同士とか、義理の父子同士とか、先輩・後輩の関係とか……。飽くまで、ショタエロな男同士の萌え上がる関係は、兄弟・親友・父子の関係が基盤。
 当人同士結婚なんて、利点も必要性も萌えも皆無。

 ゲイやショタの男性にとって、[結婚ネタ]など、ナンセンス極まりないのだ。

男同士でなければならない最たる理由

 『なぜやおい乙女、腐女子は異性同士ではなく男性同士カプのコミックに悶え、萌え狂うのか?』

 ここまでお読み頂けているなら、もう言うまでも無く推察できるかと思う。
 "やおいは第3の性"などと大仰な言い回しを用いる者もいるが、なんのことは無い、答えは簡単である。

 もし、やおい漫画の受けのスタンスを、本当に女キャラの配役で演じさせたら。そいつは同性として一番ムカツク女の典型になる。
 同じく、もし攻めのスタンスを女にやらせたら。女相手にくみしかれて下側であえいで悶える男の図は、フツー萎える。

 だから、男同士でなければ、カプも萌えも、一切ありえない!

 そういうコトなのだ。

よく混同される[ショタ]とやおい。根幹は全くの別物

 『えっ、やおいとショタって意味違うの!?』
 とロリ作家の友人に驚かれたことがある。その通り、全く似て非なるもの。これについての詳細は次章で。