やおいとは似て非なるもの、ショタコン

■ショタコンとは何か
■[ショタ]の萌えポイント
■[ショタコン]の語源とショタ同人誌ジャンルの確立
■『ショタ』と『やおい』の決定的な違い
■ショタは《慈愛》、やおいは《自愛》
■やおいからショタジャンルへ逃げてきた女性作家たち

ショタコンとは何か

 ショタコン……[ショタロー・コンプレックス]の略

 幼い男の子、年端の行かぬ少年を好む性的嗜好のここと。[ロリコン]という用語が、幼い少女を性愛する嗜好を指すことは世間一般によく知られているが、この[ショタコン]については未だ浸透度は低い。

 この[ショタコン]という人種は、少年好き・男児好きの男性にも対しても女性に対しても、性別に関係なく呼ばれる言葉である。

 一般の大人が異性を相手に恋に落ちたり、性愛を感じたり、性の対象として興奮を覚えたりするのが当たり前であるように、ショタコンの人間は、少年・男児・男の子に恋をし、リビドーを感じる。
 但し、それが現実世界……例えば親戚の子供のような身近な児童とか、教師にとっての教え子とか、TV・映画の子役などのナマモノ系・三次元系(同人用語で、実存する人物が対象であること)に成人のショタコン野郎・ショタコンねえちゃんが実質的な肉体関係や愛欲を求めるのは、社会的・法律的・倫理的いずれにも現代社会では過分に問題があり、またナマモノは数年で腐る(年齢を重ねて大人になって守備範囲から大きくはずれてゆくという意味)ことを十二分に理解しているので、[ショタコン]と呼ばれる人々はナマモノへの傾倒は乏しく、二次元系……いわゆるアニメキャラ・漫画のキャラに対して性愛を求めることが常套。架空の世界の少年キャラクターなら、永遠に歳をとらず大人になることもないからだ。

 つまり、ショタコンとは、主にアニメやマンガの性嗜好のひとつであり、概ね二次元キャラクターの少年好きのアニメファン・マンガファンのことを主に指す…というのが通常の定義である。

 よって、小児性愛者を意味するペドファイル、小児性癖を指すペドフィリア、とは別ものである。ペド野郎とは、本当に児童に手をだす輩のことで、性犯罪者なのだから。

 たまに、ショタコン男に対して  『女に相手にされないから少年に走るんだろう』  とか、ショタコン女に対しても  『大人の男が怖いんだねぇ、過去に大人の男にふられたトラウマがあるんだよねきっと』  …と、まるできいたふうに推測と発言を行う無知なヘテロがいるが、ショタにしろロリにしろ、性嗜好などは先天性のもの。
 事実、筆者は幼い頃からよく漫画やアニメの[少年]に強く焦がれており、女性に対して性の対象としての興味は、思春期も今も全く湧き上がることはない。  先天的な趣味・嗜好の問題。"性"は、ひとりひとり、みんな違って当たり前なのだ。

 では、[ショタ]と呼ばれる人種は、少年、男児、男の子のどういったところに萌えを感じているのか。

[ショタ]の萌えポイント

 勿論、オトコノコのどんなトコロがスキか……というのは人によって差はあるが、概念的に言えば、少年の性及び生の本質そのものが、ショタ萌えに該当する。

 決して女々しくなく雄々しいのに、無邪気で愛苦しい表情とそのそぶり、躍動的で快活な仕草、ひとつひとつ全てが好き。
 腰が細くてすらりと伸びた手足がたまらなくいい。小さな肩。柔らかいおしり。澄んだ瞳。輝くような髪。
 他、半ズボン姿がたならなく好き。ハーフパンツもいいが、体操服や野球ユニ・サカユニ・ブリーフ姿も素晴らしい。学ランマニアも多い。
 ユニフォーム系にしろ肉体的なものにしろ、少年・男の子の生及び性のシンボル的なものに全てにフェティシズムを強く感じるのだ。
 他、ちんちんフェチ、少年の自慰・射精伴う子供同士のさわりっこを愛する人、また、女装少年・女装子にも根強いマニアがいる。男でも、女でも。

 おもらしが好きな人、ふたなり(両性具有エロ)が好きな人、女体化が好きな人……少年・男の子を関連づけた性嗜好は奥が深く、また自覚無く潜在的なショタコンも含めると、ホモセクシャル・レズビアン並の該当人口数が実存していると思われる。

 また、日本においてはアニメーション文化・漫画文化における、お稚児趣味の伝統がある。主人公としてのみならず、庇護や慈愛の対象として、男の子・少年が愛される下地があるのだ。
 これは手塚治虫作品のマンガ及びTVアニメ作品郡の文化的貢献も大きいのだが、[ショタコン]という言葉自体の語源は手塚作品ではなく、別の作家のある作品の主人公の少年の名が元となっている。それについては次のセンテンスで。

[ショタコン]の語源とショタ同人誌ジャンルの確立

ショタケット12のカタログよりショタスクラッチ2のカタログより
▲ショタケット12のカタログ(2007年5月開催)▲ショタスクラッチ2のカタログ(2007年2月開催)
 その昔、横山光輝原作の「鉄人28号」(2004年に深夜アニメ枠でひっそり4度目のアニメ化が放映されていたが、その圧倒的な完成度には肌に泡を生じた)の1980年版・TVアニメ化2作目「太陽の使者 鉄人28号」で、カワイイ半ズボン姿を披露してくれていた正太郎くんが、成人のアニメファンが年端の行かぬ少年アニメキャラに萌えるという、"ショタコンキャラ"最初のブームであるという史実から、そこからショータロー・コンプレックス、ショタローコンプレックス、やがて、[ショタコン]との呼び名に定まったというのが、語源の定説である。
 尚、当時この[ショタコン]という用語を仕掛けたのは、アニメ雑誌ファンロードにおける同作品の特集記事であった。

 ショタコンという言葉は、'80年代前半にはアニメ用語、後半あたりから同人用語として一部のマニアの間のみで使われていたコトバである。筆者も当時、C翼同人誌で、
 『きゃぷつばでは中学生編より小学生編の方が好き!私はばりばりのショタコンですもの!』
 …という女性同人作家のフリートークを目にしたことを、ありありと覚えている。

 だが、ジャンルとしてのショタ同人の確立は、オンリーイベント《ショタケット》の登場により、'95年にスタートした。

 '95年当時、アニメでは「赤ずきんチャチャ」「ロミオの青い空」が大ブレイクしていた他、人格を持つ巨大メカと少年との心の交流を眼目に置いたサンライズのロボットアニメ『勇者シリーズ』が現役放映、小学校をまるまるロボット基地の舞台とする『エルドランシリーズ』のファン熱もまだまだ存続していた時期。

 アニメファンの男性達の間でも男の子キャラへの萌え欲が最高に高まっており、また美少女ロリ同人系でも、恐る恐る男性向けとして少年へのエロ・萌えをテーマとした同人誌がぽつぽつ姿を表し始めていた時期。
 受け攻めフォーマットに固執したカップル恋愛痴話劇ばかりに拘泥する[やおい]の枠内では、ショタコンの魅力はまるで語れない。ショタコンonlyイベントが生まれるのが必然であったが如く、絶好のタイミングで《ショタケット》がスタートした。

 《ショタケット》の参加サークルの配合は、初回開催当時も今もオリジナルとアニパロでいうと丁度半々ぐらい。
 男性と女性の比率では、サークルでは若干女性が上回ることが多いものの、一般参加者(本を買いに来る人)は、9割9分が男性

 ショタのメイン層は男性と言っても過言ではなく、ショタイベントは女性ばかり、という誤ったイメージは、イベントに赴いたことのない者の思い込みに過ぎないのだ。

 その後《ショタランド》、《半ズボン同盟》、《ショタコレクション》、《ショタスクラッチ》、関西圏の《しょたやねん!》《BOYS☆コンプリート》《CUTE》など、様々なショタコン同人イベントが興されている。

ショタランド開催告知のチラシより
▲初回ショタランドのチラシより。'95年頃に配布された、ショタイベント黎明期の稀少な資料の1枚。

 他、起伏はあるが商業誌でのアンソロジー発刊も豊富で、「b-BOY」シリーズのショタコン特集を皮切りに、「ロミオ」、「PETBOYS」が'90年代後半の第一期商業ショタコンアンソロジーブームを牽引。
 しかし編集社側がブームに便乗すべく、安易に寄せ集めたボーイズラブ作家たちに付け焼刃でこしらえさせたような、ショタどころかジュネなんだかBLなんだかあやふやな作風による、重心のぐらついた粗末な作品集も横行。乱立の果てに'90年代末頃には衰退の一途を辿る。
 しかし'02年後半頃から'03年頃にかけてアンソロ発刊が徐々に復帰、男性向けエロを徹底的に追求するというコンセプトを明確とした「少年愛の美学」「好色少年のススメ」などに、ショタ・アンソロ・コミック発刊が受け継がれている。

『ショタ』と『やおい』の決定的な違い

 ところが、同人としてマンガとして男性向けエロのカテゴリとして、ショタジャンルが確立するにつれ、やおい文化との区別がつかず、意味を混同する個人やマスコミの誤用も目立ってきている。

 [やおい]とは、概して女性向けのジャンルであり、必ず受け攻めの配役を固定した、♂キャラ同士、♂キャラばかりの恋愛カップル痴話劇が基本。
 受けキャラを乙女化した上で男性依存心や性の被害者像の投影が甚だしかったり、攻めキャラも好色で騒がしく嫉妬深かったりした上で、三角関係的恋愛攻防や複雑な相関系図をあつらえての激しいジェラシー劇、結婚や新婚生活を描くなど、ありとあらゆる女性の本質や夢想が色濃く反映されているのが特徴。

 女性が生存本能的に脳内夢想で築き上げる恋愛カップル痴情関係のでっちあげや、噂流し・恋愛関係情報操作の習性が、アニメファンの少女たちを通して二次創作ファンブックの形を借り、同人誌として具現化されたものなのだ。

 そんな『カップルありき』『受け攻めありき』『恋愛劇ありき』のやおいと違い、[ショタ]とは、男児・少年・男の子の生及び性の本質そのものをフェティッシュに愛でることが眼目

 登場人物がおタンビな美形青年キャラやオヤジキャラなど論外であるし、受け攻めやカップル関係や恋愛劇などは二の次どころか、全く関係のない話。
 女性が恋愛をし、恋敵を蹴落とし、結婚を経て、妻の座を得て育児と家庭の構築にいそしむ……という女の勝ち組みプロットを基盤とするやおいのストーリーラインとは、根幹がはっきり異なるものなのだ。

 確かに、ショタとやおいの要素両端を備え持つ本やサークルも決して少なくはない。しかし、どう見ても男性向け女装少年陵辱本なのに[やおい]と銘打ってしまったり、逆に女性向けお耽美なジュネ絵で受けキャラの奪い合い・三角関係を延々描いているばっかりの本なのに[ショタ]と呼んだりするのは、双方のジャンルの浸透・発展において致命的な誤用に他ならない。

 [ショタ]も[やおい]も、未だ世間での敷衍・浸透は、まだまだ途上期にあるのだ。

ショタは《慈愛》、やおいは《自愛》

 やおいカプヲトメの同人誌では、必ず、過剰に好色でやたら大はしゃぎする攻めキャラと、男性依存とその被害者意識過剰の乙女と化した受けキャラのカップリング固定概念に拘泥、それを主軸に、何かとすぐに嫉妬とねたみの激昂を繰り返す三角関係の愛憎劇や、ひがみっぽい多数の攻めキャラが罵り合いを繰り広げながら受けッコの奪い合いの展開を延々続ける堂堂巡りの繰り返し、というケースが類型的である。

 一方、男性向けショタ萌え本では、必ずしもカップリングを設ける必要性はないのだが、もし男の子同士の関係を描く場合があるとするなら、親友同志、父子同士、兄弟同士、または先輩後輩同志や相棒同士の相互関係において、互いの寵愛や敬愛、慈愛が沸点にまで高ぶり、それの究極の昇華として性愛関係が結ばれることが多い。

 受け攻めのボーダーなんかは曖昧で、タチネコリバだったり、誘い受け・襲い受けの変化球派生の方が当たり前だったりするのは、女性が邪魔な他の女を蹴落として意中の男性を勝ち取るような、やおいカプ恋愛乙女劇の概念から自由に逃れているから。

 同じ少年同志の性愛でも、ショタは本当に男の子同士の関係を築けているのに、やおいヲトメの描く本は、少女漫画調の男女の恋愛・愛憎劇の具現に囚われたままなのだ。

 筆者が断固としてショタとやおいのゾーニングを強調し、また時にヲトメやおいに対して冷徹な視線を向ける理由はそこにある。
 一夫多妻的ハーレム内で派閥を作り、悪口を言い合って陥れあう恋愛腹黒乙女の発想や理念・行動原理など『少年』『男の子』の中には全く無いはずなのに、それを攻めキャラと称して男の子達に演らせてうっとり喜ぶなど、それは他の女を蹴落として陥れて踏みにじった末に自分だけが最高の男を射止めた、女の恋愛勝ち組み疑似体験の恍惚を味わうための、ダシと踏み台として『男の子』たちを利用しているだけ。
 本当にその男の子が好きで描いているどころか、少年の魅力や寵愛や色気を描くことを初めから放棄している行為であることの何物でもない。

 断じて、やおい=ショタではない。[ショタ]は少年たちを本当に心底《慈愛》しているが、[やおい]は、男の子なんか愛してない。同人系恋愛乙女たちによる単なる《自愛》なのだ

やおいからショタジャンルへ逃げてきた女性作家たち

 普遍的に、やおいが好きなのは、女性。ショタを好むのは、男性
 ……ところが、ショタイベントに出向くと、面白い例外に出くわすことになる。

 前述のように、ひとつのアニメが同人でブームとなると、必ず異なる受け攻めカップリンググループの決別・派閥が出来上がる。誰かに性愛的乙女役を配し、誰かをスカした好色家にまわし、誰かに卑劣な汚れ役を着せるのがやおいなのだから。

 『わたしの大好きな男の子が悪役として踏みにじられている!』
 …または、
 『大っ嫌いな奴が美化してまつりたてられている!』

 ……双方にしてこのような不一致が同時に巻き起こる為、すべからく派閥同士の確執が必然となる。
 コミケでは同じアニメのやおいサークルなのに、カプや受け攻めの違いにより、いくつものブースに振り分けて峻別、各グループをある程度離して配置せねばならない。

 ところが、そんなカップリングや受け攻めの振り分けを、苦痛と感じる女性同人作家もいる。

 『受けと攻めなんか関係ないのに。私はこのキャラが好き!このアニメも原作も好き!カプ派閥なんか関係ない!カップリングを聞き分けなく頑固に標榜したりなんかしてない!なのに、サークルとしての最たるカプを表明しないと、イベント申し込みで書類不備扱いを宣告されるなんて!』

 こういった女性作家が、最近ショタジャンルに流れ込んでくるケースが目立っている。

 ショタイベントなら、受け攻めカプのしがらみ一切なく、男の子への性愛の本質部分が失われてさえいなければ、好きな少年キャラを好きなように描けるからだ。誰かに攻めキャラ役を着せる必要もない。乙女化なんかイヤだ。私は男の子のエロスを描きたいんだ!触手だろうと輪姦を描こうと自由!エロも思う存分に描けるし、また新たな男性読者の支持も確保できる……。

 こういったショタジャンルにおける女性作家たちの描く少年愛には、偏った男性依存願望がない。彼女らは、性的にも非常に自立した精神の持ち主とも言えるだろう。

 因みに、ショタ同人誌でもカップリング・受け攻めの注意書きとかある場合はまれにあるのだが、大抵はやおい系ジャンルから逃れてきた女性作家さんの本であることが殆ど。
 突出してハードでタチネコリバの18禁少年フェチな作風であるため、普通の女性向けやおいスペースでは居心地が悪く、理想の新天地として男性向けショタジャンルに流れ着いた……しかし今までカップリング・受け攻め派閥のヲトメたちの軋轢に苦労してきたものだから、カプの注意書きをガミガミ冒頭に出すクセや習慣が、自覚なく未だ続いているのだろう。

 ショタジャンルにいらっしゃった以上、もうそんなにピリピリ身構えなくても大丈夫。是非ショタもロリもエロも自由闊達・奔放に描き続けて頂きたい。