Gottlieb Pinball/1988ダイヤモンド・レディー | ||
原題 | Diamond Lady | |
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製作年度 | 1988年 | |
ブランド名 | ゴットリーブ | |
メーカー | プリミア・テクノロジー | |
スタッフ | デザイン:ジョン・ノリス/美術:コンスタンティーノ・ミッチェル、ジャニーヌ・ミッチェル/音楽:デイヴ・ザブリスキー/ソフトウェア:ジョン・ブラス | |
標準リプレイ点数 | 400万点 | |
備考 | 製造台数:2,700台 |
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●後継者問題に直面していたゴットリーブがコロンビアピクチャーズに会社を売却してから11年後。 且つ、映画事業不振によりコロンビアがコカ・コーラに買い上げられてマイルスター社となってからは5年後。 または、「Qバート」を始めとしたビデオゲームの利権以外は残滓と判断したコカ・コーラから、清算寸前のゴットリーブファクトリーをギル・ポロックとスレン・フェスジャンが救い出し、プリミアテクノロジーを発足してから4年後の発表となったのが、本機種「ダイヤモンド・レディー」である。 発売当時、タイトーによるマシンショー出品も国内ディストリもあったものの、同社製「ハリウッドヒート」や「モンテカルロ」とは比較にならない程、出荷数が極めて少なかった。 少年時代に探しても探してもダイヤモンドレディーがみつからない。筆者にとっては憧憬が深い幻の一機種となっていた。 尚、当時タイトーはウィリアムス製ピンボール「サイクロン」「ジョーカーズ」の出荷の方に重きを置いている。 それが今になって、日本国内のロケーション《Heavenly》でプレイできる環境に恵まれたのだから感慨深さ一入。 ただロケーション来館当日は偶々右側ドロップ5枚バンク立ち上がりのご機嫌が良くなかった為やり込むのは後日に改めるとして、当時の書籍《ピンボール・グラフィティ》、雑誌《ゲーメスト》誌、そして近年有志の方々がアップなさっているプレイ動画を元に、フィーチャーの詳細をまとめておきたい。 【マルチボール】――――――2ボールマルチ中のフィールド倍率は最高15X! ボールロック箇所は右上トップホール。ロックリットさせるにはフィールド内ドロップバンクの各ダイヤドロップターゲットを全て倒すべし。 【プレイフィールドX】――――――マルチボール倍率の鍵はトップレーン 2本のトップレーンのうち点灯中の箇所に通す度にマルチボールフィールドXが上昇。マックス15倍だが、10Xでスペシャルリットのご褒美も。但し同時代の他のプリミア台と同じく、ボールドレインでXの値はリセットされる。 尚、このトップレーンライトはバンパーヒットでレーンチェンジ。 【カウントダウンボーナス】――――――500万点からの高速ハリーアップ! 左5枚バンク、中央4枚バンク、右5枚バンク。ドロップターゲット全14枚全て倒すと、ダイヤ柄だけのドロップ6枚が立ち上がり、500万点から真っ逆さまの高速カウントダウンが開始。急いでダイヤのドロップ6枚を全て倒せばその時の額が貰える。値がゼロまで落ちると自然消滅。音楽もいい。 【ジャックポット】――――――J-A-C-K-P-O-Tレターコンプ寸前のチャンスを逃すなかれ プレイフィールド突き当りバックパネルのJACKPOTのスペルを完成させるとジャックポットボーナス獲得。これはスペル完成中途でもプレイ中は勿論、ネクストプレイヤー,ネクストゲームでも段階はキープされ続ける。 JACKPOTレター進捗リット箇所は左ランプレーン。スペードのドロップを全て倒すとこれが点灯。 ジャックポットヴァリューは積み立て式で数十万点程度。意外に少なく思えるが、時間制限が無いので戦略的に獲れる。 【ロイヤルフラッシュ】――――――100K⇒250K⇒Ex.⇒Sp.と行こう ドロップターゲット各バンクにはドロップの背後にスポットターゲットが潜んでいる。合計5枚。全てヒットするとロイヤルフラッシュボーナス獲得。1回目10万、2回目25万、3回目エキストラボール賞与、4回目Jokerターゲット・スペシャルリット。 但しボールドレインでステイタスリセット。 【ダイヤモンドボーナス】――――――エヴリ10万Plus&7回目でアウトレーンスペシャルリット ボールロックリットの役割も担うダイヤドロップターゲット。完成時には[ダイヤモンドボーナス]の賞与も有り。1回目10万、2回目20万……の100Kプラス。7回目完成でアウトレーンにスペシャル点灯。但しこのステイタスもボールドレインでリセット。 【プランジャースキルショット】――――――ワールドポーカーツアーと酷似!?高速ライトチェンジのタイミングを計って狙い打ち プランジャーショット時、[全スペード獲得]、[中央バンク2枚だけスペード獲得]、[スピナーヴァリュー点灯]の3アイコンが高速サイクルで巡り続ける。当然全スペード獲得を狙いたいが、本当に高速なので狙い打ちは難かしい。 尚スペード獲得直後に500万カウントダウンが開始する熱い展開も珍しくない。 【キックバック・ボールセーヴ】――――――左アウトレーンのキックバックは中部左端ロールオーバーでリット キックバックは開始時は消灯設定なので、点灯箇所である中部左端ロールオーバーを通すべし。 左上スピナーからロールオーバーへ渡されるボールフローがご機嫌だし、スピナーヴァリューが点いていれば尚更通して損はなし。 但しキックバックの有効は時間制。 【ドロップターゲット・ボールセーヴ】――――――あのスーパーマリオブラザーズPINと同工。なんと両フリッパーの間に1枚ドロップが立ち上がる! ダイヤドロップ左右1枚ずつバンクの最下部2枚を倒すと、なんと両フリッパーの間にボールセーヴの役割として1枚ドロップが立ち上がる。 普通こういう場合アップポストを用いるはずだが、かようなドロップの使い方も面白い。 新声社《ゲーメスト》誌1988年5月号では本機種「ダイヤモンド・レディー」の解析記事が掲載されている。 『トランプのポーカーゲームをテーマとしたプリミアの新作、ドロップターゲットを多数使用した、最近ではめずらしい平面的なフィールドの作りです。こちらもジャックポット、マルチがあり、プリミアらしいピンボールになっています。評価は(6点満点で)3。少し平面的に作りすぎた様で左上にあるランプレーンがあまり活かされていません。他は普通のピンボールという所です。』 『さて、今までのフィーチャーを見てみると、ほとんどドロップターゲットを中心としたゲーム構成になっている事がわかると思います。古いマシンではよくあったのですが、最近のマシンではおまけ程度というものが多く、少なくとも中心的なものはほとんど見かけなくなっています。そんな中でダイヤモンドレディーのように意味があるドロップターゲットの作りというのは、ある意味で新しい感覚といえるでしょう(なつかしいかな?)』 一方、構成と執筆はT.P.O./東京ピンボールオーガニゼーション各メンバーなのに、なぜかパチンコ歴史家達の間では“村上春樹/すぎやまこういち著作”と心外に拡大解釈された上で毎度引用されている、日本ソフトバンク発行《ピンボール・グラフィティ》で、ダイヤモンドレディーはこう評されている。 『フィーチャーがいっぱい』 『ゴットリーブ作品の中でも異色的な存在』 『ダイヤモンド・レディはその中でも新しいもので、最近のピンボールによくある盛沢山のフィーチャーが特徴である。ジャック・ポットや時間でカウント・ダウンしていくボーナスなどが、プレイフィールドいっぱいに詰め込まれている。それだけに正確なルールを理解していないと、プレイするのが少々難しいかもしれない。』 異色作でありながら、ゴットリーブの衣鉢を継ぎ、プリミアらしい甚深さもあり、新旧ないまぜたゲーム性の豊かさがある。ウィリアムス台のような情熱的でダイナミックなゲーム性には隠れるが、滋味深い味わいにゴージャスで美麗な実写モデルのアートの彩りを添え、小品に仕上がっている―――というのが十指の指す評価であることが、これらの論評からも窺えるのではないか。 「ダイヤモンド・レディー」は大ヒット作ではないものの、当時のプレイヤーには十分一目置かれた存在だったようだ。 尚、1988年のAOUショーでのタイトーブースにはダイヤンモンドレディーの他に、天下のウィリアムス製「スペース・ステーション」、バリーミッドウェイの「エスケープ・フロム・ザ・ロスト・ワールド」が出展されていたが、この中で国内販売に至ったのは本作のみ。 当時のタイトーが、“スペースステーションよりダイヤモンドレディーだ”―――とふんだことが窺えて興味深い。 さて、本機種のデザイナーはジョン・ノリス。 '96年にプリミア社が倒産して以来ずっと不運と不遇が続いており、その心情は察するに余りあるが、1986年のプリミア入社から倒産するまでの10年間は、とても幸せで充実した時間を過ごすことが出来た……と語っている。 ノリスは同社を、半魚人ピンボールの生みの親ジョン・トルデオーと、現スターン社引っ越し大名ことレイ・タンザーらと共に、ゴットリーブ看板を背負ったプリミア社を支える屋台骨として、大車輪の活躍ぶりを果たした。 新米時代には根気のいるテストプレイチェックや先輩デザイナーのアシスタントに専念。 時にはフライヤー用写真撮影カメラマンとして駆り出され、時には制約のある[ストリートレベル]シリーズで自我を抑えて平面フィールド設計に心を砕き、時には「スーパーマリオブラザーズ」ピンボール化というアグリーなお仕着せ企画に辟易しながらもデザインチーフを引き受け、同時に「ストリートファイターUピンボール」の突貫開発に喘ぐレイ・タンザーをサポート。 また、ウィリアムスが'94年のワールドカップに合わせてサッカーテーマのピンボールを開発中であることを聞きつけ、過去作「カーホップ('91)」のホワイトウッドを流用して「ワールドチャレンジサッカー('94)」を僅か5週というスピード制作で完成。ウィリアムス側のそれとほぼ同時発売へと間に合わせ、その年同社の最高の売り上げをあげた……なんてすばしこい側面も。 そんなジョン・ノリスのピンボール人生は学生時代にアルバイトしていた自転車店から始まる。 当時としても年季の入ったウィリアムス機種「スウィートハート('50)」が店頭に設置されていて、ノリスも何の気無しにプレイしていたが、やがて店主が、リターンレーン+現行ロングサイズフリッパー搭載の画期的なウィリアムスの新機種「ガルフストリーム('72)」を店舗に設置。 あまりの面白さにプランジとフリッピングが止まらなくなり、ノリスは2,3年経ってその台を店主から購入した。 当時はベビーゴルフ場、ボウリング場などにピンボールがあまた盛んに設置されており、足しげく通って熱中するうちに『この業界に入りたい』という思いを募らせた。 次のアルバイト先はゲームセンターのオペレーター。 メカの修理や搬入などの肉体労働も含め、あらゆる仕事を学んだ。型落ち機種を下取りしてレストア、店舗に設置する業務を任されたという。 ノリスは1981年にカリフォルニア州立大学フラトン校を卒業。美術の学位を取得したが、夢はピンボールのデザイナー一択となっていた。 やがてノリスは自転車好きも高じて自作したカスタム台「ツール・ド・フランス」のフライヤーを、1984年当時初開催だったピンボールエキスポに配布したところ、半年後プリミア社プレジデントのギル・ポロックから直々に連絡が入り、1986年より同社への入社がかなう。 3作のホワイトウッドを経て、本機種「ダイヤモンドレディー」で商業デビュー。 因みに商品化されなかったプレイフィールド3枚の内容は前述のツールドフランス、ドラッグレースもの、そしてビリヤードものだったそうだ。 いかにも彼らしいテーマばかり。ダイヤモンドレディも含め、これら初期作品には彼のルーツが詰まっている。 '80年代の最大手ウィリアムス社はプレイフィールド制作、調整、ルールセット、美術……と1年がかりでじっくり時間を掛けてピンボールを開発するのに対し、この頃合いのプリミアは2、3か月でマシンを仕上げていた。 担当者が全ての進捗を管掌して同時進行。自分がデザインしたマシンの試作機が上がって初めて打てたのがロケテストの前日だった……なんてこともあった。 そんな中、ノリスの実質デビュー作「ダイヤモンドレディー」は6ヵ月かけて、じっくり仕上げられた。 ダイヤモンドレディーはカウントダウンボーナス、いわゆるハリーアップ役のコンセプトを明確に具象化した機種である。 バリー製「ヴァイキング('79)」や、ウィリアムスの「ブラックナイト('80)」時間制ドロップ3枚バンク、更に同社製で近い時期に「モンテカルロ('86)」にもサウンド及び時間制で逸らせるフィーチャーは以前にもあった。 しかし役の完成によりディスプレイで高額ボーナス高速カウントダウンの火ぶたが切って落とされる、額も意図も自明で明確な演出を取り入れたこの功労は大きい。 しかもこの機種にはジャックポットが別に存在し、それらにフィールド倍率が掛かるマルチボールもスマートに盛り込まれている。 ノリスはのちに、この時間制モードのアイディアは米テレビ局のゲーム番組「ファイナル・ジェパディー」を観ていて思いついた……と語っている(「ジェパディー!」という米クイズ番組が検索ヒットしたがこれが該当するのかは不明)。 番組出演者は時間内に課題をクリアして得点をあげなければならないが、ラウンド中に時間延長などの役も用意されている。これをヒントにしたという。 この時間制モードは「エクスカリバー」「ライツカメラアクション!」でも採用した。 しかし、社内でひとつ対人的トラブルがあった。 ダイヤモンドレディー制作中に、ホワイトウッド早打ち職人ジョン・トルデオーが一足早く完成させた「ヴィクトリー」で、チェックポイント順列通過の度に得られるヴァリューとして、ノリスのアイディアであるはずのカウントダウンボーナスをちゃっかり採り入れているではないか。 あたかも自分のアイディアであるかのように会議で朗々と語った行状にもノリスは看過できなかった。 とても手ごわい先輩格デザイナーだったが意を決し、 『ヴィクトリーでカウントダウンフィーチャーを使ってもいい。だが二度と僕のアイディアを出し抜かないでくれ!』 と面と向かってトルデオに念を押した。 余談だがこの頃、ジョー・カミンコウもプリミア社でジョン・トルデオーと激しく衝突してデータイーストへ移籍しているが、この時の事情は双方の口からは何も語られていない。 閑話休題、ノリスにとってダイヤモンドレディーは自分にとって初商品化作品ということもあり、非常に思い入れがあると言う。 それでも心残りや逸話が多々あったそう。 先ずキックバックの理不尽な時間制ルールが気に食わなかったのに、なぜかマネジメントが変更を許さなかった。 ドロップターゲットの背後に更にターゲットを構えることには賛成できなかったが、結果的にはとてもうまくいった。 両フリッパー間にアップポストを設けたかったが『ゴットリーブの工場にアップポストの型は無いよ』と言われ、仕方なく1枚ドロップターゲットで代用した。その後「ホット・ショッツ('89)」や、ご存じ「スーパーマリオブラザーズ」でも同様のボールセーヴが登用されているが、'95年製「マリオ・アンドレッティー」でやっと本物のアップポストを導入できた―――などなど。 ともあれ、その後ピンボール産業もジョンノリスの身辺も多事多難に見舞われたが、今や「ダイヤモンドレディー」は愛くるしい佳作として日本でもヘヴンリー開放日に遊べる状況だ。このささやかな僥倖に感謝したい。 さて、時が流れに流れた2022年の半ば頃のこと。ジョンノリスは新たなピンボールデザインをソーシャルメディアで発表。その名も「Champs Elysees(シャンゼリゼ通り)」。 '80年代に彼が初めて自作したピンボールと同様、ツールドフランスをテーマとした、正にノリスの原点回帰が窺える企画だ。 勿論内容は旧作から大幅に刷新。ストリートレベルシリーズを彷彿させる平面プレイフィールドながら、ファクトリー生産を前提とした、きっちり作り込まれた設計である模様。 彼は一度マルチモーフィック社の扉も叩いたものの倦厭されてしまったようだが、是非また彼の手掛けたプレイフィールドにボールを思い切り打ち出してみたいものだ。 ピンボール産業復帰の夢を、ノリスはまだ捨てていない。 |
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