NAKAMOTO PERSONAL WEB SITE
- diary(2002/07)
8月へ 07/31 <では。> いざ行かん。17:00、出発。
旅の経過はこちらで。→ 「旅日誌」
続くかどうか、わからないけど。07/30 <嵐が丘> 1818年7月30日、エミリー・ブロンテの生まれた日。エミリーと言えば『嵐が丘 』。
英国を代表する女性ミュージシャン、ケイト・ブッシュに、これにインスピレーションを受けた同名の曲がある。
悲痛なまでの叫び声、歌声がしびれます。
一度ご試聴くだされ。『天使と小悪魔』、『ストーリー』に収録です。映像は、ジュリエット・ビノシュ主演の映画が良いです。日本では坂本龍一氏のサントラで知られましたが。
活字と、歌声と、映像と.....。
『嵐が丘』、いかにも英国的な作品です。
明日は旅に出よう。旅日記書くかな。07/29 <「どうしてくしゃみをする前に『へっ』って言ってしまうんですか?」>
「全国こども電話相談室」→ http://www.tbs.co.jp/kodomotel/07/28 <。たれびたく> 早朝5時からカートレース大会のお手伝い。故に4時起き。
眠いし暑いし、お疲れさま。日焼けでひりひり。夜は友達のバーベキューに呼ばれたけれど、時間がなくてレースから直行。
汗まみれの油まみれだし、眠くって食べてるどころではない。
最近、若者の会話について行けない。っていうか同年代のはずなんだけど.....。今日は今日のうちに寝ます。日付が変わらぬうちに。
くたびれた。07/27 <旅> 「名月の 見所問はん 旅寝せん」(芭蕉)
月末に旅に出ようかと思ってます。ちょっくらクルマで独り旅。
3日に千葉で用事があるので関東ら辺まで。1週間くらい。
どこ寄ろうか知らん。求ム、見所情報。こちらから!
武井武雄を御存知?「イルフ童画館」 http://www.city.okaya.nagano.jp/ilf
「銀貨社」 http://www.mars.dti.ne.jp/~ginka/07/26 <露伴> 1867年の今日、7月26日は幸田露伴が生れた日。
『努力論』を読んだ。(其の四)-自己の革新-
「新しい好い自己を造り得なかったとあれば、それは新しい自己を造り得ない道理があってではなくて、新しい好い自己を造るに適しない事を為して歳月を送ったからだといってよろしいのである。」
「即ち新しい自己が造り成されぬ以上は、新しい運命が獲得される訳はない。同一の自己は同一の状態を繰り返すだろう。そしてそんな事を幾度となく繰り返す中に、時計のゼンマイは漸く弛んで、その人の活力は漸く少なくなり、終に幸福を得ざるのみならず、幸福を得るべき予想さえ為し能わざるに至ってしまうのであろう。」
「自己を新にするにも、他によるのと自らするのと二ツの道がある。」
「立派な人や賢い人や勢力者や黽勉家(びんべんか)や、それらの他人に身を寄せ心を託して、そしてその人の一部のようになってその人のために働くのは、即ち自己のために働くのと同じであると感じて居て、その人と共に発達し進歩して行き、つまりその人の運命の分け前を取って自己も前路を得て行くというのも世間にあることであって、決して恥ずべき事でも厭うべきことでもない。やはり一の立派な事なのである。」
「他人によって自己をなそうとしたならば、昨日の自己は捨ててしまわねばならぬのである。」
「自己を没却してしまって、自己より卓絶した人、即ち自己がそうありたいと望むような人に随従して、その人の立派な運命の圏中において自己の運命を見出すのも、見苦しい事ではないのみならず、合理的な賢良な事である。古来良臣というのにはけだしこの類の人があるのであろう。これは他力によって自己を新にする方の談である。」
「しかし世にはまたどうしても自己を没却することの出来ぬ人もある。そういう人は自ら新しい自己を造らんと努力せねばならぬである。他力に頼るのは易行道であって、これは頗(すこぶ)る難行道である。」
「何故難行道であるかというに、今までの自己がよろしくないから新しい自己を造ろうというのであるに、その造ろうというものがやはり自己なのであるからである。」
「自己を新にするの第一の工夫は、新にせねばならぬと信ずるところの旧いものを一刀の下に斬って捨てて、余蘖(よげつ)を存せしめざることである。」
「不健康の人が衛生に苦労する余り、アレコレいって下らぬことにあくせくとして居るのはそもそも間違きった談(はなし)で、歯磨、石鹸の瑣事まで神経を悩まして居たり、玩弄物のような、も しくは間食が変形したような薬などを、嘗めたり噛ったりして居るが如き事に心を使っている居るのは、それが先ず第一に非衛生的の頂点で、それよりも酒を廃するとか煙草を廃すとか、不規則生活を改めるとかした方が、何程早く健康を招き致すか知れたものではない。」
「右が嫌なら左に行け、左が嫌なら右に行けである。」
「とかくに理屈を付けて昨日の自己を保護弁護しつつ、さてその結果だけは昨日より好いものを得たいと望むのが人情であるから、恕(ゆる)すべきではあるが、それを恕するとすれば数理上やはり自己は新にならぬのであるから何にもならない。是非英断を施さねばならぬのである。」
「身体が弱くては一切不幸の根が断れず、一切幸福の泉が涸れがちであるから、いやしくも自らを新にしようと思ったならば、苦痛を忍んで不健康を致す昨日の自己の旧い悪習と戦って是に克ち、これを滅し、これを殲(つく)してしまわねばならぬである。」
「しかし身体が弱くても事が成せぬのではない。身が弱くても意が強ければ、一日の身があれば一日の事は成せるのである。」
「が、もし身体を弱くする原因が何であるかを知悉しながらも、これを改むることが出来ぬように意が弱くて、そして身が弱くては、気の毒ながらその人は自ら新にする事が出来難いのであって、従来通りの状態を超越する事は出来ぬのである。それではならぬ。よろしく発憤して自ら新にすべしである。」
ちなみに30日は命日。蝸牛忌。
それにあわせてか、31日には幸田家の番組があります。
「ETV 2002 祖母・幸田文への旅」 http://www.nhk.or.jp/etv21c/week/2002/07_5/week.html#307/25 <久し振りの快晴> 午後、今年から始まったレースの状況を聞きにディーラーへ行った。
北海道は土地柄なのか、ラリーのような荒地を走る競技は結構盛んなんだけれど、サーキットでのレースはイマイチ盛り上がりに欠ける。なかなか台数が集まらないようだ。
僕は資金的なメドが立てばすぐにでも走りたいのだけれど.....。夜はサッカー練習。
いつもの仲間で駐車場に集まって球回し。
暖かくて汗まみれで、疲れたけど心地好し。満月を眺めながら駐車場に仰向けに寝転がったりして。
クワガタがいた。蚊も。
蚊と言えば蚊取り線香の匂いが好き。この匂いがないと夏が来た気がしない。
買って来よう。蚊も落ちるし、金鳥、一石二鳥。汗をかいた後はいつも通りドンキー晩餐会。
みんな良い奴らばかりでいつも笑ってる。こういうのって幸せなのかも。
「除虫菊」 http://www.kincho.co.jp/tama/kiku/kiku.html
「金鳥」 http://www.kincho.co.jp/07/24 <どうか Kappa と発音してください。>
遺伝的義勇隊を募る!!! 健全なる男女の河童よ!!!
悪遺伝を撲滅(ぼくめつ)するために
不健全なる男女の河童と結婚せよ!!!
「河童」 http://www.aozora.gr.jp/cards/akutagawa/htmlfiles/kappa.html
今日は河童忌。
「芥川龍之介ファンページ」 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/3673/
07/23 <特攻隊に捧ぐ> 『我敵艦ニ突入ス』 という本を、米国在住の弁護士、平義克己さんが出版された。
米駆逐艦に特攻しようとする一枚の写真からパイロットを特定するまでの物語だそうだ。
物語の始まりは、駆逐艦乗組員の言葉がきっかけだったという。
「私は、このパイロットは英雄だと思う。その英雄が名前もわからず忘れられていくことは悲しいことだと思う。」
そして、「彼らも同じ人間なんだ。」と。今の日本ではこういうことを書いていると戦争を賛美しているかのように思われる。
日本では戦争について考えること自体タブーになってしまっている。
だから、敢えて考えてる。書いている。安吾に、数年前に刊行された『特攻隊に捧ぐ』(新潮文庫『堕落論』に収録)という発禁エッセイがある。
当時(終戦後)の日本の状況も今のそれと変わらないようだ。「たとえば戦争中は勇躍護国の花と散った特攻隊員が、敗戦後は専ら『死にたくない』特攻隊員で、近頃では殉国の特攻隊員など一向にはやらなくなってしまったが、こう一方的にかたよるのは、いつの世にも排すべきで、自己自らを愚弄することにほかならない。もとより死にたくないのは人の本能で、自殺ですら多くは生きるためのあがきの変形であり、死にたい兵隊のあろう筈はないけれども、若者の胸に殉国の情熱というものが存在し、死にたくない本能と格闘しつつ、至情に散った尊厳を敬い愛す心を忘れてはならないだろう。我々はこの戦争の中から積悪の泥沼をあばき天日にさらし干し乾して正体を見破り自省と又明日の建設の足場とすることが必要であるが、同時に、戦争 の中から真実の花をさがして、ひそかに我が部屋をかざり、明日の日により美しい花をもとめ花咲かせる努力と希望を失ってはならないだろう。」
「彼等は自ら爆弾となって敵艦にぶつかった。否、その大部分が途中に射ち落とされてしまったであろうけれども、敵艦に突入したその何機かを彼等全部の名誉ある姿と見てやりたい。母も思ったであろう。恋人のまぼろしも見たであろう。自ら飛び散る火の粉となり、火の粉の中に彼等の二十何歳かの悲しい歴史が花咲き消えた。彼等は基地では酒飲みで、ゴロツキで、バクチ打ちで、女たらしであったかも知れぬ。やむを得ぬ。死へ向かって歩むのだもの、聖人ならぬ、二十前後の若者が、酒をのまずにい られようか。せめても女と時のまの火を遊ばずにいられようか。ゴロツキで、バクチ打ちで、死を恐れ、生に恋々とし、世の誰よりも恋々とし、けれども彼等は愛国の詩人であった。いのちを人にささげる者を詩人という。唄う必要はないのである。詩人純粋なりといえ、迷わずにいのちをささげ得る筈はない。そんな化物はあり得ない。その迷う姿をあばいて何になるのさ何かの役に立つのかね?」
「我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るということ、それを必死に愛し、まもろうではないか。軍部の欺瞞とカラクリにあやつられた人形の姿であったとしても、死と必死に戦い、国にいのちをささげた苦悩と完結はなんで人形であるものか。」
「青年諸君よ、この戦争は馬鹿げた茶番にすぎず、そして戦争は永遠に呪うべきものであるが、かつて諸氏の胸に宿った『愛国殉国の情熱』が決して間違ったものではないことに最大の自信を持って欲しい。」
アンドレ・マルローの言葉
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/5410/andre_malro.htm「(財)特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会」 http://www.tokkotai.or.jp/
07/22 <教育論> 先々週だったか、フジTVの「報道2001」 で石原慎太郎、竹村健一さんらと斎藤孝さんの鼎談があった。
斎藤さんは、ベストセラー『声に出して読みたい日本語』の著者。
素読や反復練習、暗記、“型”の体得、“真似る、盗む”、などなど。
忘れられつつある、元来日本人が当たり前のように行っていた教育法の再発見。近頃は、自由が謳歌され、“自由以前”を忘れている。
スポーツでも勉学でも基本があってこそ自由な行動がとれる。
基本は反復練習であり、体得、つまりは暗記である。
とは言うものの、出来れば反復練習はしたくない。自由にさせてもらえるのであれば僕は避ける。
子供は正直だから、嫌な事はしたくない。避ける。
だからそこ、ある程度の強制が必要なのだろうと思う。斎藤さんの近著、『理想の国語教科書』に安吾が載ってた。
声に出して読んでみる.....?
『風と光と二十の私と』(坂口安吾)抜粋「本当に可愛いい子供は悪い子供の中にいる。子供はみんな可愛いいものだが、本当の美しい魂は悪い子供がもっているので、あたたかい思いや郷愁をもっている。こういう子供に無理に頭の痛くなる勉強を強いることはないので、その温かい心や郷愁の念を心棒に強く生きさせるような性格を育ててやる方がいい。私はそういう主義で、彼等が仮名も書けないことは意にしなかった。田中という牛乳屋の子供は朝晩自分で乳をしぼって、配達していたが、一年落第したそうで、年は他の子供より一つ多い。腕っぷしが強く他の子供をいじめるというので、着任の時、 分教場の主任から特にその子供のことを注意されたが、実は非常にいい子供だ。乳をしぼるところを見せてくれと云って遊びに行ったら躍りあがるように喜んで出てきて、時々人をいじめることもあったが、ドブ掃除だの物の運搬だの力仕事というと自分で引受けて、黙々と一人でやりとげてしまう。先生、オレは字は書けないから叱らないでよ。その代わり、力仕事はなんでもするからね、と可愛いいことを云って私にたのんだ。こんな可愛いい子がどうして札つきだと言われるのだか、第一、字が書けないということは咎 (とが)むべきことではない。要は魂の問題だ。落第させるなどとは論外である。」
「斎藤孝ホームページ」→ http://www.kisc.meiji.ac.jp/~saito/
(「教師を目指す諸君へ」は興味深い)→ http://www.kisc.meiji.ac.jp/~saito/2teacher/tikara.htm07/21 <習性> 最近サッカー続き.....。
今日は14時から19時くらいまで。4時間は走り回ってた。
疲れて動けなくなってるのに、ボールが飛んでくると追い駆けてしまう悲しい習性。(--;;
幸田露伴、『努力論』を読む。(其の三)-着手の処-
「着手の処の不明な教(おしえ)は、如何に崇高な教でも荘厳な教でも、あるいは正大円満な教でも、教えられるる者に取っては差し当たり困却を免れぬ訳である。」
「着手の処、着手の処とせり詰めて学ぶのでなくては、百日過ぎてもまだ講堂の内に入らぬのである、一年経っても実践の域に進まぬのである。何様(どう)して心会(しんえ)体得のなんという境地に至り得るものであろう。」
「爾(なんじ)、脚あり、爾、歩むべし、爾、手あり、爾、捉(と)るべしである。」
07/20 <海の日> アレクサンドル・ペトロフさんというアニメ作家の映像を見た。
アーネスト・ヘミングウェイの名作、『老人と海』。指先に絵の具を付けて、ガラス板に一枚一枚油絵を描いて行くそうだ。
アニメというより絵画の世界。動く油絵。
まるで印象派の油絵が動き出したかのように美しい。「さぁ、殺せ、どっちがどっちを殺そうがかまうこたない。」
「人間は負けるようにはつくられてないない。人間は殺されるかもしれない、しかし負けはしない。」一見の価値あり。『老人と海』DVD→
「Gallery」→ http://www.imagica.co.jp/VW/LF/oldmansea/galle.html
「The Old Man and the Sea」公式サイト→ http://www.imagica.co.jp/VW/LF/oldmansea/07/19 <熊出没注意!> 今日も暖かかったので、明るいうちに昨日見つけた滝に行った。
(暖かい日には何かしないともったいない、と思うのは北国の人だけ?)
で、読書&昼寝。滝の水音が心地好い。1/fゆらぎ?
時々遠くで熊避けの鈴の音が聞こえた。と、思ったら「熊出没注意」の張り紙.....。(--;;
帰りにはちょっと遠回りして山道を通って来た。夜はサッカーの試合。
今晩の対戦相手は某大学のサッカー部。我々はまたもや混合チーム。組む相手は毎回違うんだけど。
今日組んだチームとはちょっとやり辛かったけど、また勝っちゃった。下手のなのに、なぜか負けない。
例の如く、ドンキーでハンバーグを食べる。僕はミルクアイスカフェ。なんだか健康的な一日でした。
「滝」 「山道」 「『熊出没注意』」これ本物→
「カナダ 夢をつなぐ大地」→ http://www.canada.or.jp/TOP/200206/nhk-1.html
明日の夕方BSでケベック再放送。モントリオール見過ごしたぁ.....。07/18 <不安と希望、口と心。> 夕方、暖かくて帰るのがもったいないのでちょっとドライブ。
適当に山に向かって走ってると、日が沈みかけた頃に霊園に行き当たった。(--;
北キツネが2匹覗いてた。
道を変えて更に進むと、今度は滝に行き当たった。
日が沈んで薄暗くて、ひと1人いなくて鳥居があったりで、怪しい雰囲気満点。(--;;変だけど、夕暮れの心寂しい山道が好き。不安気で。寂しくて。心細くて。
日が沈む不安を抱えながら、木々の生い茂った山道を歩き続ける情景。
なぜかそういうのに惹かれる。なんだろう。泉鏡花『高野聖』みたいな。
けど、実際にそういう状況に出くわすと不安で、心細くて仕方がないんだけれど.....。
どこか不安を楽しむところがあるのかも知れない。
不安と希望は隣り合わせのような気もする。『高野聖』、読めます。→ http://www.aozora.gr.jp/cards/izumikyouka/htmlfiles/kouyahijiri.html
「外国人による日本語弁論大会」
賞は取れなかったみたいだけど、インドの女性のが良かった。
「静かな日本人の心」
ご多分に漏れず彼女も、口数の少ない自己主張のない日本人に戸惑いがあったという。
しかし、彼女が日本で入院した時、日本語がよく使えずにいたにも関わらず、何も言わなくても心を見透かしたかのように親切にしてもらったそうだ。まるで忍者かのように驚いたそうだ。で、彼女はこう感じたと。
「日本人は、口を使うよりも、まず心を使うのだ。」好い言葉。
07/17 <みんなちがって、みんないい。> NHK「ETV2002 外国人による日本語弁論大会」を見た。
「青年の主張」の誇張したわざとらしさは好きになれないけど、外国人が日本をどう見ているのか興味はある。
僕はへんくつ者だから、こういう主張ものは正直、心穏やかでない。
聞きながら一々反論してる。なかなか忙しいのです。けれど、自分の国を認め、好いてくれることは素直に嬉しい。
スリランカの若者は、コギャルの異様な風貌に驚愕しつつも、彼女たちの心にも“日本人の心”を見出す。
韓国の若者は、韓国と日本の文化の違いに戸惑いながらも異文化尊重の必要性を見つけた。
ミクロネシアから来た日系二世の若者は、貧乏ながらも男手一つ、一所懸命育ててくれた日本人の父への誇りを堂々と主張してた。
中国の少女は川端康成の『古都』に影響を受け、日本文化に惹かれたそうだ。国の文化は個性だと思う。
人の個性に好き嫌いはあっても良し悪しはない。だから認めるか、さもなくば諦めるしかない。
しかし、そもそも“諦める”の語源は“明らめる”だと聞く。だから個性を明らかにして認める。金子みすゞが言ってた。
「みんなちがって、みんないい。」って。(『金子みすゞ童謡集』)みんな同じで良いんじゃなくて、違ってこそ良いんだ。
明日も見よ。07/16 <VIRUS> 新種のコンピュータウィルスが流行っています。
うちにもメールマガジンに乗ってたくさんやって来ました。
「Yahoo!コンピュータニュース」→ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020716-00000011-vgb-sci[お名前]
WORM_FRETHEM.K(フレゼム。と、その仲間たち。)[件名]
Re: Your password![本文]
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password to disk
use your mind
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(送信者名)[添付ファイル]
decrypt-password.exe(もちろん開いちゃだめよ。)インターネットエクスプローラーのアップデートをしていないとプレビュー(見ただけ)で感染するようです。
「ウィンドウズアップデート」→ http://windowsupdate.microsoft.com/
トレンドマイクロ
「概要」→ http://www.trendmicro.co.jp/vinfo/virusencyclo/default5.asp?VName=WORM_FRETHEM.K
「駆除ツール」→ http://www.trendmicro.co.jp/esolution/solutionDetail.asp?solutionID=4305
「オンラインスキャン」→ http://www.trendmicro.co.jp/hcall/index.asp<役割分担> ジェンダー・フリーってのが流行っている。
「Yahoo!JAPAN ジェンダー・フリー」 http://dir.yahoo.co.jp/society_and_culture/gender/gender_free/
ジェンダー(性差)・フリーの考えでは、男らしさ、女らしさはいけないのだそうだ。
男の子に男らしい名前をつけたり、青い服を着せたりしてはいけないとか。
ひな祭りや端午の節句など、性差を助長するような伝統はよろしくない、とか。とか。その中、山口県宇部市の男女共同参画推進条例が物議をかもしている。
男らしさ、女らしさを尊重し、専業主婦を認めると条文で謳ったのだ。「男女が、男らしさ女らしさを一方的に否定することなく男女の特性を認め合い、互いにその人格と役割を認めるとともに、尊厳を重んじ合うこと〜」
「専業主婦を否定することなく、現実に家庭を支えている主婦を男女が互いに協力し、支援するよう配慮すること。」
(宇部市男女共同参画推進条例より抜粋)当たり前と言えば当たり前のこと。
有史以来長年培われて来た歴史、伝統には計り知れない深みがある。
人間の知力のみによって創り変える事は出来ないし、いつか破綻をきたす。
計画経済を標榜した社会主義社会の失態を見れば明らかである。
歴史ある山口県からこういう条例が出たのは分る気がする。僕は差別の助長を望んでる訳ではない(と、弁明モード)。
けど、前にも書いたけれど平等とは対等って事だと思ってる。
スポーツが好例だ。例えばサッカー。
フォワード(攻撃の選手)もディフェンダー(守りの選手)もそれぞれが役割分担。
しかし、試合の流れによってはフォワードも守りにまわるし、ディフェンダーの攻撃参加ももちろんある。
自動車レースもそう。
ドライバーばかり注目を集めるけれど、チームには何人もの裏方がいて、メカニックもドライバーも対等だ。要は出来る人が出来ることをすれば良いだけのことだ。
得意な人が得意なことをすれば尚良い。
最近、映画館もガソリンスタンドも女性割引ばっか。
ま、いんだけどさ.....。07/14 <泥ん子> 朝からサッカーの試合にお呼ばれ。
いつもの練習相手のチームの人助っ人として我がチームから精鋭(?)4人で参加。7+4=11。
3チームの総当り戦。
我々はユニフォームも揃ってない即席チーム。他のチームはユニフォームは揃ってるし控え選手や女の子のサポーターまでいて、ちょっと弱腰だった。
けど、試合が始まったら問題なし。
僕ら4人は役割がちゃんと別れてるし、他の7人もいつも練習してる相手だからお互い癖も知ってる。
試合をしてるうちにちゃんと“型”が出来てくるもんだ。泥まみれになって走り回ったのは何年ぶりだろ。
顔も体も泥まみれでずぶ濡れなんだけど、それが充実してて、試合後は敵も味方もみんな笑顔だった。
公園の水道水で顔や足を洗って、4人でご飯食べに行ってくつろいで、心身ともにリフレッシュ。
心地好い疲労感。
サッカーシューズ、泥団子状態。いじりたくないからクルマに積んだまま。
どしよ。07/13 <zzz......> 夜にサッカー仲間と集まった。何をするとも無くだらだらおしゃべり。
今朝早起きだったし、非常に眠かった。
まだこれからみんなでカラオケに行くっていうから逃げて来ちゃった。夜遊び<睡眠
おしまひ。
07/12 <台風一過> ワールドカップだったりなんだりとしばらく英会話を休んでるうちにかなり進んでた。
英会話の帰りにちょっとドライブ。
台風一過。気温16度。湿った、澄んだ空気が心地よかった。
音楽を聞きながら夜の川岸を通って遠回りして帰ってきた。夜のドライブはクイーンがいい。
今日の新聞に櫻田淳さんの論文があった。
櫻田さんは身体に障害を持ちながらも、それを表には出さず、鋭い批評家として活躍されている。
実際、僕も彼の批評を見かけてはいたけれど脳性麻痺があったとはまったく気づかなかった。
彼には福祉や差別に関するいくつかの論文がある。
もっとも記憶に残るのが五体不満足で有名な某氏への痛烈な批判だった。
障害を武器にするな、障害で食べるな、という批判だ。自分の専門分野で勝負すべきだと。賛否あるだろうけれど、この問題提起は重要なことだと思う。
真の平等とは弱者が救済される世の中ではなく、弱者でも対等に闘うことの出来る世の中だと思う。
よく言われることだけれど、結果の平等ではなく機会の平等。
男も女も金持ちも貧乏人も対等に闘える世の中。これが真の平等な社会だと思う。
櫻田淳共著 『「弱者」という呪縛』
佐藤幹夫氏による櫻田淳論 http://www.ittsy.net/academy/instructor/jun3.htm07/11 <『努力論』 其の二> -運命と人力と-
「運命が善いの悪いのといって、女々しい泣言をならべつつ他人の同情を買わんとするが如き形迹を示す者は庸劣凡下(ようれつぼんげ)の徒の事である。」
「生まれた年月や、おのずからなる面貌やが、真にその人の運命に関するか関せぬか別問題としても、そういうことに頭を悩ましたり心を苦しめたりするということが、既に余り感心せぬことである。」
「但し聡明な観察者となり得ぬまでも、注意深き観察者となって世間の実際を見渡したならば、吾人はたちまちにして一の大なる灸所を見出すことが出来るであろう。それは世上の成功者は皆自己の意思や勤勉や仁徳の力によって自己の好結果を収め得たことを信じて居り、そして失敗者は皆自己の罪ではないが、運命の然らしめたがめに失敗の苦境に陥ったことを嘆じて居るとい事実である。」
「即ち成功者は自己の力として運命を解釈し、失敗者は運命の力として自己を解釈して居るのである。」
「成功者には自己の力が大に見え、失敗者には運命の力が大に見えるに相違ない。」
「即ち運命というものも存在して居って、そして人間を幸不幸にして居るには相違ないが、個人の力というものも存在して居って、そしてまた人間を幸不幸にしているに相違ないということに帰着するのである。ただ、その間において成功者は運命の側を忘れ、失敗者は個人の力の側を忘れ、各一方に偏した観察をなして居るのである。」
「運命とはなんである。時計の針の進行が即ち運命である。一時の次に二時が来り、二時の次に三時が来り、四時五時六時となり、七時八時九時十時となり、是の如くにして一日去り一日来り、一月去り一月来り、春去り夏来り、秋去り冬来り、年去り年来り、人生れ人死し、地球成り地球壊れる、それが即ち運命である。世界や国家や団体や個人にとっての幸運否運というが如きは、実は運命の一小断片であって、そしてそれに対して人間の私の評価を附したるに過ぎぬのである。」
「すべて古来の偉人傑士の伝記をひもといて見たならば、何人もその人々が必ず自らを責むるの人であって、人を責め他を怨むような人でない事を見出すであろうし、それからまた翻って各種不祥の事を惹起した人の経歴を考え検べたならば、必ずその人々が自己を責むるの念に乏しくて、他を責め人を怨む心の強い人であることを見出すであろう。否運を牽き出す人は常に自己を責めないで他人を責め怨むものである。そして柔軟な手当たりの好い線を手にして、自己の掌を痛むるほどの事をもせず、容易に軽くしてかつ醜なる否運の神を牽き出し来るのである。」
07/10 <革命と狂気> NHKでフランス革命の番組をやってた。
“革命”という言葉に、ある種の狂気を感じる。
血気盛んな若者は革命に惹かれる。革命は地道な努力を否定し(露伴を読めっ)、短絡的な成功を求める。
革命への情熱は、思想の実現などではなく、破壊の快楽と狂気から生れる。「自由・平等・博愛」。
未だに金科玉条のように唱えられているけれど、本来は「自由・平等・同胞愛、しからずんば死を」。
行過ぎた自由と平等は無秩序を生み、愛は同胞のみに向けられ、逆らうものは死。
自由と平等の名の下に幾人もの人々が虐殺された。「死者にも選挙権を!」と、敢然とフランス革命を真正面から批判したのはエドマンド・バークだったと思う。
死者とは我々の祖先、つまりは人間であり、人間の歴史である。
歴史や伝統、そして、そこから生まれた秩序を重んじよ、と。破壊からは何も生れない。
破壊、寸断された歴史を作り直すには、それまでの歴史と同じだけの時間が必要である。
歴史は人間の知力で作り出すことは出来ない。
「歴史は作り出すものではない。勿論、作り出したものでもない。歴史が吾々を作り出したのである。」
(『日本人への遺言』福田恒存)司馬遼太郎がどこか本願時の法主を訪れた時の話を思い出した。
記憶は定かではないけれど、司馬さんのご先祖さまが長島の一向宗として信長軍と戦ったんですと。
すると法主が「それはそれは、ごくろうさまでした。」と、仰った。
あかたも司馬さん本人が今さっき戦ってきたかのように仰ったんですって。歴史ってのはそういうものだと思う。
『フランス革命 大解剖』→ http://www5a.biglobe.ne.jp/~french/07/09 <『努力論』を読む。> 先日、書店で幸田露伴の『努力論』を見つけた。
復刻版を持ってはいたけれど、活字が大きくなってるし、660円だし、買っちゃった。露伴は小説はもちろんだけど、こういった随筆調のものが面白いと思う。
随筆の上手さ、美しさは幸田家に受け継がれてる。幸田文・青木玉・青木奈緒。
で、『努力論』を読む。-初刊自序-
「努力とは一である。しかしこれを察すれば、おのずからにして二種あるを観る。一は直接の努力で、他の一は間接の努力である。間接の努力は準備の努力で、基礎となり源泉となるものである。直接の努力は当面の努力で、尽心竭力(けつりょく)の時のそれである。」
「ただ時あって努力の生ずる果が佳良ならざることもある。それは努力の方向が悪いからであるか、然(しか)らざれば間接の努力が欠けて、直接の努力のみが用いらるるためである。無理な願望に努力するのは努力の方向が悪いので、無理ならぬ願望に努力して、そして甲斐(かい)のないのは、間接の努力が欠けて居るからだろう。瓜の蔓(つる)に茄子(なすび)を求むるが如きは、努力の方向が誤って居るので、詩歌の美妙なものを得んとして徒(いたず)らに篇を連ね句を累(かさ)ぬるが如きは、間接の努力が欠けているのである。」
「努力は好い。しかし努力するということは、人としてはなお不純である。自己に服せざるものが何処かに存するのを感じて居て、そして鉄鞭を以てこれを威圧しながら事に従うて居るの景象がある。/努力して居る 、もしくは努力せんとして居る、ということを忘れて居て、そして我が為せることがおのずからなる努力であって欲しい。そうあったらそれは努力の真諦であり、醍醐味である。」
つづく。かな?
『幸田露伴研究所』→ http://homepage3.nifty.com/rohan/07/08 <差別と弱者と強者と> 先日、産経新聞に曽野綾子さんの記事があった。
http://www.nippon-foundation.or.jp/org/moyo/2002305/20023051.html曽野さんはクリスチャンでありながらこういった批判を恐れない発言や行動をとる。
ペルーの国内問題でフジモリ元大統領が来日した際、曽野さんは彼をかくまった。
助けを求めて来た人間を追い返す訳にはいかない、と毅然とした態度をとった。
自宅を提供し、旦那さまである三浦朱門さんの洋服までお貸ししたそうだ。金持ちや権力者を批判することに正義感を見い出し、その転げ落ちる姿を見て喜ぶ人たちがいる。
たしかに弱い者が強い者を倒す姿にはある種のカタルシスを感じる。
けれど、柔よく剛を制す、ってのは同じ土俵で戦ってのことだ。
世間やマスコミが寄ってたかって金持ちや権力者を引きずり降ろそうとする姿はあさましい。
「人々は悪の摘発に熱中するが、善の推進にはそれほどの情熱を持たない。また『弱者』や『無能者』の救済には力を入れるが、『強者』や『有能者』に対しては、その瑕槿(かきん)すら許さうとせず、彼等の手脚を縛つて、専ら引きずり降し策に腐心する。」(『日本人への遺言』福田恒存)「私は弱者よりも、強者を選ぶ。積極的な活き方選ぶ。この道が実は苦難の道なのである。」(安吾)
07/07 <七夕さん> ♪「たけ〜にたんざく、たなばたまつり、おーいにいわお、ろーそくいっぽんちょーだいな。」
「竹に短冊、七夕祭り、大いに祝おう、ロウソク一本ちょうだいな。」函館では夕方になると浴衣に着替えた子供たちが集まって、こう歌いながら家々を尋ね歩きます。
ロウソクと一緒にお菓子を貰って歩くんです。
どこの家でもお菓子を用意して子供たちの訪れを待っててくれます。
あとでみんなで戦果を競ったりして。今思うとハロウィンみたい。
年に一度の楽しみでした。お菓子もだけど、夜に遊べるのが嬉しかった。他の地域にもこんな風習があるのかしらん。
ちなみに北海道の多くの地域では8月7日が七夕です。07/06 <アムステルダムより> うっ....。.(>_<)
http://www.cnn.co.jp/fringe/K2002070600893.html07/05 <本日のお言葉> 「日日是好日」(にちにちこれこうにち、ひびこれこうじつ)
要は毎日が好い日。『碧巌録』から雲門禅師の言葉とされる。
山の中では、いまだに晴耕雨読的な生活が残っている。
僕も晴れの日には草刈りや稲刈りをしたり、雨だったら炭小屋で炭作りをしたりしてたことがある。今、都会生活をしていると晴れの日を良い天気と言ってしまう。
晴れてるとやっぱり気分が良いし、実際、良い天気だと思う。あ、良い天気じゃなくて、好い天気。好ましい天気だ。自分にとって好ましいに過ぎない。
晴れが続き過ぎると、雨が喜ばしいし。晴れは晴れで好い天気、雨は雨で好い天気。
前にも書いたけど、松下幸之助さんの言葉にこんなのがある。
「鳴かぬなら それもまたよし ほととぎす」
07/04 <えぐります。> 夜にサッカーをして来た。
フットサルじゃなくて、外でフルサイズの11人サッカー。
いつも練習させてもらってる社会人チームと我々の混合チームで戦った。
3セットとも勝っちゃった。
僕は攻撃の選手だから、トップ下や右サイドで攻め担当。攻め係。
しばらく室内サッカーばかりだったから、始めのうちはパスが短かったりミスが目立った。
でも、何度か深いところから切り込んでチャンスを作れた。かな。敵陣をドリブル突破するのは、あたかも抜刀して斬り込む感じで、スリル満点。
相手選手との間合いを読んで、右から行くと見せかけて左、と思わせて実は股下を抜く。なんて。
まぁ、そんなに上手くはいかないんだけど。(--;;
オランダサッカーファンとしては攻撃的なサイドをえぐるようなサッカーが好き。
えぐります。で、サッカー後の“ドンキーでハンバーグ”が定着してる。
みんなわざわざ近くのドンキーを探して行くもの。
今晩は食べずにミルクアイスカフェ。
アイルランド代表が頑張った時はアイリッシュなんとかカフェでした。
7月4日。
インディペンデンス・デイ。米国独立記念日。
テロは大丈夫かな。わざわざ警備の厳しいこんな日に狙わないか。07/03 <真似る> 607年の今日、小野妹子らが遣隋使として、隋に派遣された。
http://ww1.tiki.ne.jp/~i-mitu/ononoimo.htm聖徳太子は隋の煬帝に対し、「日出ズル処ノ天子、書ヲ日没スル処ノ天子ニ致ス」。
当時属国と見なされていた日本だが、隋との対等な国家関係を築こうとした太子の外交戦略である。と、いうのはよく聞く聖徳太子の武勇伝。
思ったのは、遣隋使について。遣隋使は、言わば初めての留学である。
今の世では別段珍しいことではないけれど、1400年近くも昔から日本人はそうやって学んで来た。
隋や唐、中国を真似、戦前は欧州諸国を、戦後はアメリカを真似て来た。それによって日本人は猿真似ばかりしているという批判をよく耳にする。
多くの日本人自身そう思ってる。“学ぶ(まなぶ)”の語源は“真似る(まねる)”だと聞く。
真似ることから学ぶのである。自分より優れた者を認めて謙虚に“真似る”ことによって、いち早く学び取ることを日本人は発見した。
留学を発見した。日本人の専売特許である。我々は猿真似を羞じることは無いし、卑屈になる必要もない。
07/02 <ヘルマン・ヘッセ> 「われわれが或る人間を憎む場合、われわれはまだ彼の姿を借りて、われわれの内部にある何者かを憎んでいるのである。」(『デミアン』)
今日はヘッセの生まれた日。
07/01 <HAPPY CANADA DAY> 今日はカナダ・デー(建国記念日)。
ケベック州はオススメです。クゥェベックと言うのが通です。
みんな暖かい西海岸、バンクーバーへ行きたがるけど、僕は東側が好き。
カナダと言うと“大自然”ってイメージなんだろうけど、東側は歴史と芸術の街なのです。
騙されたと思って一度行ってみて下さい。なんなら案内しますから。誰か連れてってくらさい。モントリオール、夜のMt.Royal(通はモン・ロワイヤルと呼ぶ)のてっぺんで友達とワインを飲みました。
NHKで7月8〜19日にカナダ特集らしい。16〜18日がケベック。
http://www.wcs.ne.jp/bonjourquebec/new.htm#yume
『CANADA DAY』→ http://www.canadascapital.gc.ca/canadaday/index_e.asp
『カナダ・デーを数倍楽しむ方法』→ http://allabout.co.jp/family/canadianlife/closeup/CU20020626/
『ケベック州政府観光局』→ http://www.wcs.ne.jp/bonjourquebec/
『メープル街道』→ http://www.int-acc.or.jp/maple/top.htm6月へ