グラフィックデザイナー・長久雅行のウェブサイトです。

(3)独立そして現在へ

その翌年、私は手動写植機を買いました。ちなみに、価格は600万円ほどです。重量は450キロほどあるので、そのために部屋を借り直しました。なお、文字盤の値段は、1書体7万円ほどですが、そこには2800文字ほどしかありません。欧文とは違い、多くの漢字を用いる日本語の文章では、この文字数では一般的な文章でも不足する漢字があり満足に組版出来ません。JISコードでいうところの第二水準相当の文字も必要ならば、三級、正字、汎用といった文字盤も揃える必要があり、全て揃えると15〜20万円(書体によって値段は違います)ほどの出費となります。写植機と少々の文字盤で800万円ほどだったと思います。もちろん、5年間の分割ローンでした。
買った写植機はリョービイマジクスのLEONMAX ZOOM1で、この写植機には別売のメモリーカードに文字の座標位置、級数、像回転等の印字データを記録でき、再現できるので、それが買った一番の理由でした。
買って、半年ほどは仕事に用いず、自作に没頭していました。それが[6]の「浮気之相」です。
半年間、毎日こればかり作っていたわけではないのですが、時間は相当かかっています。まず、座標軸の目安となる罫線を引いたのですが、[7]その作業に1週間ほどかかった記憶があります。今なら下絵をスキャンしてPhotoshopでレベル補正して好みの色調に整え配置すればいいだけでしょうけど、その当時その写植機向けのスキャナはありません。その写植機にはマウスもありませんし、自由曲線が引けるわけではありません。曲線を描く方法は円弧、楕円弧を角度指定、傾き指定、半径指定して描く機能くらいです。仕方なく、楕円弧のガイドをフィルムで作り、それを絵に当てて最適な曲線を数値で割り出し画面上に1本ずつ引くという地道な作業を続けました。
下絵完成後、今度は文字を、毎日メモリーカードに少しずつ記録し続けました。

こうして、人類の歴史上(?)最も手間暇のかかった写植印画紙が完成したのですが、見た目の爽快感がないというのが最大の欠点でしょう(笑)。作る手間を説明したところで関心のない人には無意味ですし。現在ならば、Adobe Illustratorで少しの根気があれば容易に作れそうです。

これらの作品を手に、何人かのデザイナーの方へ営業しました。無反応だったり、面白がってくれたり色々でしたが、デザイナーの鈴木一誌氏からはそれがきっかけで定期的に仕事をいただけるようになりました。氏がデザインし、私が手動写植を担当した岩波書店の雑誌「よむ」にイラストとして掲載[8]されたりもしました。
また、株式会社パフォーマンスの富樫英樹氏のパッケージデザイン「筆ぐるめ」にイラスト[9]として採用されました。写植代(イラスト代?)として60万円ほど振り込まれていた記憶があります。「1枚の写植印画紙の値段」として、ギネス級の記録ではないかと思われます。

さて、これらの印画紙のファイルを手に営業していた当時(1990年)、ある先進的な写植会社、またそのクライアントのデザイナーの方から、「非常に興味深いが、もうすぐ写植の時代は終わる」という意見を伺いました。もちろん、なぜ終わるのかといえばMacintoshのDTPが普及するからだろうという読みからです。私も、Macintoshについては少しは知っていましたが、その頃は先進的なごく一部のデザイナーが実験的に使っているという程度で、それが主流になるとは予想していませんでした。さいわい、私が写植機のローンを支払い終わるまで、写植の仕事はあったのですが、あと数年独立するのが遅かったら大変だったかも知れません。

手動写植は、私の20代、30代前半にかなりのエネルギーを費やしたので、まだまだ語りきれない部分があります。
いずれ、部分的にでも少しずつページを増やしたいと考えております。

2010年7月 記

写植のイラスト

[6]写真植字による「浮気之相」

写植罫線によるイラスト

[7]「浮気之相」印字上の目安となる罫線

「よむ」1992年12月号 岩波書店

[8]「よむ」1992年12月号 岩波書店

写植文字によるイラストで飾られたパッケージ

[9]「筆ぐるめ」パッケージ
富士ソフトウエア株式会社