NAKAMOTO PERSONAL WEB SITE

 

 

9月へ
08/31 <旅の続き>

今宵は下弦の月。二十三夜。
深夜、天高い二十三夜の月は、願いを叶えてくれます。

「願わくば 我に七難八苦を 与えたまえ」(山中鹿之助)

明日はサッカーをキャンセル。レースを観に十勝まで。
「十勝インターナショナルスピードウェイ」 http://www.tokachi.org/speedway/

片道300km.、50キロ平均で6時間の旅。せっかくなので遠回り。
旅の続き。

襟裳岬で日の出を見よう。の巻。(曇ってるけど)
思った事は即行動。もう出ちゃえぃ。
出発!

「名月の 見所問はん 旅寝せん」(芭蕉)

08/30 <頭の体操の日>

金曜は英会話の日。

ちょっと怪しい無料英会話。
しばらく行っていない間にクラスも先生も変わってた。(--;;
英会話の会話って、ちょっと照れくさい。日本語だと話さないような会話ばかりで。
「今朝は何時に起きたの?」だの、「好きな色は?」、「好きな映画は?」。
普段しないような会話が意外と楽しかったりする。

僕にとって英会話はゲームです。
限られた語彙、単語を駆使して相手に意思を伝える。勉強嫌いで語彙の少ない僕にはなかなか大変。
例えば、“刑務所”(jail)って単語が出てこない時には、「“悪い人間が入る所”は何て言ったっけ?」。
万事が万事、そんな具合です。(--;;
推理ゲーム。連想ゲームなのです。

海外のユースホステルなんかに泊まると世界各国の旅人が集うので、尚、面白い。
イタリア語やフレンチや韓国語、中国語、ポルトガル、スパニッシュ、日本語。
みんなそれぞれ母国語があるものだから、彼らとの会話はお互いにインチキ英語。
けど、それが英語を母国語とする人たちよりも話が通じたりする。

ニュージーランドで地元学生にアイヌ文化について教えてくれって言われた時はさすがに悩みました。
わざわざ北海道出身の僕に尋ねて来たのに答えられないのはジクジたるものがあります.....。

まぁそんな感じで、英会話は頭の体操なのです。

08/29 <浄化の日>

木曜はサッカーの日。

夕方に図書館で調べ物をした後、サッカー練習。
外はもう肌寒いのだけれど、走り回っていると汗をかく。
走り回ってべたべたにへたって、汗かいて、ひっくり返る。
悩みもストレスもモヤモヤも、嫌なものはみんな汗と一緒に蒸発。
すっきり。

汗には浄化作用があります。

08/28 <MURPHY'S LAW>

交通渋滞の第1法則
「渋滞している車線は、自分が抜け出したとたんに、スムーズに動き始める。」

交通渋滞の第2法則
「渋滞を見越して1時間早く出かけてくると、1時間半の渋滞に出くわす。」


『マーフィーの法則』(アーサー・ブロック著、アスキー出版)

08/27 <賢治>

「 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。

 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かはつてゐるのをたびたび見ました。

 わたくしは、さういふきれいなたべものやきものをすきです。」


ぼくも、好きです。

1896年の今日、宮沢賢治が生れました。

08/26 <お気に入り>

ビートルズが流れてる。

パソコンに向かうときは、いつもネットラジオを聴いています。
お気に入りは英国の「クラシック・ゴールド」。
ジョージ・ハリソン好きな僕はクラシカルなロックが好き。

聴けます。→ http://audio.musicradio.com/gold.asx
英語の勉強にもなります。

「Classic Gold Digital」 http://www.classicgolddigital.com/

08/25 <キレキレ>

昼からサッカーの練習試合。
最近は毎週サッカーしてる。木曜も練習してるから週2ペース。

本日キレキレ。体がキレてました。
7、8点取ったかな。

試合後もうちのチームだけでミニゲーム。
雨が降っても誰も止めようと言わないし。皆ほんとサッカー好き。(^^;;
芝が濡れて滑ったり転んだりして泥まみれになりながら走り回ってました。
やっぱり泥まみれは楽しいのです。
結局日没まで走り回ってた。4、5時間走り回ってました。(--;;

けど、心地好い疲れ。

08/24 <植福の説>

露伴の『努力論』(其の七)

幸福になるための3つの方法。(惜福、分福、植福)


- 植福の説 -(幸福三説第三)

「植福とは何であるかというに、我が力や情や智を以て、人世に吉慶幸福となるべき物質や情趣や智識を寄与する事をいうのである。」

「即ち人世の慶福を増進長育するところの行為を植福というのである。」

「予は単に植福といったが、植福の一の行為は自から二重の意義を有し、二重の結果を生ずる。」

「何を二重の意義、二重の結果というかというに、植福の一の行為は自己の福を植うることであると同時に、社会の福を植うることに当たるから、これを二重の意義を有するといい、他日自己をしてその福を収穫せしむると同時に、社会をして同じくこれを収穫せしむる事になるから、これを二重の結果を生ずるというのである。」

「およそ天地の生々化育の作用を助け、また人畜の福利を増進するに適当するの事を為すのは、即ち植福である。」

「世に福を有せんことを希う人は甚だ多い。しかし福を有する人は少い。福を得て福を惜むることを知る人は少い。福を惜むこと知っても福を分つことを知る人は少い。福を分つことを知ってても福を植うることを知る人は少い。」

「けだし稲を得んとすれば稲を植うるに若(し)くはない、葡萄を得んとすれば葡萄を植うるに若くはない。この道理を以て、福を得んとすれば福を植うるに若くはない。」

「今日の吾人は古代に比し、もしくは原人に比して大なる幸福を有して居る。これは皆前人の植福の結果である。」

「文明ということはすべてある人々が福を植えた結果なのである。」

「植福なる哉、植福なる哉、植福の工夫を能くするにおいて始めて人は価値ありというべしである。」

「福を植うる人に至っては即ち福を造るのである。」

08/23 <ゴッホと浮世絵>

ゴッホ展に行った。 

土日を避けて今日行ったのにすごい人出。
ゴッホを始めとする、当時の印象派たちは日本の浮世絵に多大なる影響を受けたのはご存知の通り。
浮世絵展をやってもこんなに人が集まるのだろうか。ちと疑問。

「ゴッホ展」 http://www.aurora-net.or.jp/gogh/
「北海道立近代美術館」 http://www.aurora-net.or.jp/art/dokinbi/

この際だから浮世絵のお勉強。

「浮世絵って?」 http://www.jinjapan.org/kidsweb/virtual/ukiyoe/ukiyoe-j.html
「北斎」 http://www.hokusai.gr.jp/
「歌川派門人会」 http://www.utagawa.or.jp/
「広重美術館」 http://village.infoweb.ne.jp/~yuicho/hiros1.html

東海道五十三次を巡る旅。なんてどうだろう。


1868年の今日、会津藩白虎隊士が自刃。

「白虎隊のおはなし」 http://www.tsurugajo.com/~wakamatsujo/history/byakotai/byakotai0.htm

08/22 <向田さん>

木曜日はサッカー練習の日。

夜にいつもの駐車場で球回し。
旅から帰って、3週間振りの木曜練習。
僕が旅の間は皆もやっていなかったようで、まるで“わんこ”のようにボールを追っかけ回していました。
左の足首を痛めてるので行くまい、と思ってたのに、見るだけでも来たら?と暗黙の圧力が...。
で、行っちゃった。球回しだけして、ミニゲームは見てました。
北海道はもう、秋。見てるだけだと肌寒い。

練習後はいつものドンキーで晩御飯。
Mくん、びっくりコーラを頼んでびっくり。コーラが優勝カップみたいな器でやって来た。


今日は向田邦子さんの命日。

彼女のエッセイは秀逸です。
昭和の生活感が漂う、美しい文章です。懐かしささえ感じます。
まだの方はぜひ、ぜひ。→ 『父の詫び状』(文春文庫

「向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である」(山本夏彦)

08/21 <運命の扉>

アクターズ・スタジオ・インタビュー

本日のゲストは、ハーベイ・カイテルさん。
アクターズ・スタジオ(NYの演劇学校)のオーディションに落ち続けたことが伝説になってるとか。
1年毎のオーディションに落ち続けて10年目に受かったんですって.....。
10年ですよ。10年!
10年目には、「合格にしないのなら、もう来るなと言うべきだ」って、裏で話し合いがあったそうな。

“運命を開く”ってのはこういうことなんだろう。と思った。
ベートーベンの交響曲の5番、「運命」の例の旋律は運命が扉を叩く音だとか。

叩き続ける。扉が開くまでね。


「負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありゃせぬ。戦っていれば、負けないのです」
安吾『(不良少年とキリスト』

08/20 <人に歴史あり>

NHKの『アクターズ・スタジオ・インタビュー』が面白い。
http://www.nhk.or.jp/pr/summer/etv.html#k08
一流の映画人、監督や俳優へのインタビュー番組。

それぞれの人生の岐路や、信条。打ち明け話。インタビュアーも一流で、絶妙な進行。
偶然が偶然を呼んで、人生が作られて行くような、人生の面白みを感じます。
“偶然のつながり”は人生の醍醐味だと思うのです。

子供の頃から伝記物が好きでした。お爺さんやお婆さんの昔話も大好きです。
歴史が好きな僕は、人の歴史も好きです。人生は人の歴史です。どんな人にも歴史があります。
人に歴史あり。

番組の後半は生徒たちの質疑応答で、これがまた妙味。
先日は若い女の子が大監督フランシス・F・コッポラに、「世界を変えたいんですけれど・・・」って。(^^;;
神妙な面持ちで答えるコッポラ監督は、「僕も考えたよ。」(笑)
彼の言葉には軽妙でありつつも重みがあるのです。
そういえばコッポラさん、影響を受けた監督はクロサワさんって言ってました。

本日はローレン・バコール。
77年生きた彼女には、77年分の美しさがあります。

ローレン・バコール http://www.geocities.co.jp/Hollywood/5710/l-bacall.html

08/19 <なめくじ>

この前は“でんでんむし”だったので今日は“なめくじ”。

語源は「舐め・くじ」。野菜などを舐めてくじる(穴を開ける)ことから“なめくじ”と呼ばれるようになったようだ。

先日17日、岐阜県の加子母(かしも)村では奇祭「なめくじ祭り」が行われたそうな。
http://www.jic-gifu.or.jp/np/g_news/200208/0819.htm#4

夫のある女性、袈裟(けさ)御前に恋をした若き日の文覚上人は、その夫と取り違えて彼女を殺してしまう。
上人は、この事件によって仏門に入ることになったというのは有名な話です。
いつからか彼の墓石には袈裟御前の化身、刀傷のなめくじの群れが上人を慕って這い上がるようになった。
今年は38匹が確認されたとのこと。

ちなみに文覚上人は、奇書『夢記』を著した明恵上人の師としても知られます。
『夢記』は40年にわたって書き続けたとされる世界でも類を見ない夢の日記なのです。
『明恵 夢を生きる』 河合隼雄著(講談社プラスアルファ文庫)


「加子母村 なめくじ祭り」 http://www.vill.kashimo.gifu.jp/navi/index2-2.html
「服部明子の平家物語研究室 文覚上人」 http://www.hikoshima.com/heike-akiko/akiko_13.htm
「国芳 『文覚上人 荒行の図』」 http://www.ukiyoe.or.jp/ukisho/uks-00-pics/knys-3-b.html
おまけ「むかでとなめくじの伊勢参り」 http://www2j.biglobe.ne.jp/~minwa/mukade.html

「世の中に 地頭盗人なかりせば 人の心は のどけからまし」(文覚上人)

08/18 <爽快>

昼からサッカーの試合。
いつもの練習相手のチームの試合にお呼ばれ。
我々のチームから精鋭(暇人?)3人で参加。

旅から帰って久し振りの試合で、ちょっとワクワク。
相手は繁華街ススキノのチームだそうで金髪の若者たち。女の子とか、応援がたくさん来てました。
我々はいつもながらの混成部隊。まるで外人部隊のような寄せ集めチーム。
結果は....。
ふふふ。
前半7-1、後半5-1で圧勝。(内、先制点を含む3点は、わたし。(^^)v)
なんだか応援の子たちに忍びないくらいの一方的な試合で、試合後すぐに帰ってしまいました。(--;;
上手な選手もいたのだけれど、みんな当たりも弱いし、体力不足だぞ。
最近の若者は大丈夫か?走れ走れぃ。

彼らが帰ってしまった後はチームを2つに分けてのミニゲーム。(こっちの方が試合よりハードだったかも。)
そんな感じで日没まで走り回っておりました。

天気は好いし、気温23度の芝の上。
灼熱の本州の方々には申し訳ないくらいの心地好い一日でございました。

08/17 <「心の豊かさを失っちゃダメだ」>

遅ればせながら、映画「ショーシャンクの空に」を見た。

世間の評価は知らないけれど、絶望の中にも希望を見つけ生きて行く姿には見るべきものがある。
主人公のアンディ・ディフレーンは言う、「心の豊かさを失っちゃダメだ」。


アルベール・カミュが不条理を説明するために用いた『シーシュポスの神話』という寓話がある。

神々の怒りをかったシーシュポスは転がり落ちる岩を永遠に運び上げるという刑罰を受けることとなる。
「神々がシーシュポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂にまで達すると、岩はそれ自体の重さでいつもころがり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。」

けれど、それでもカミュのシーシュポスは絶望しない。むしろ、誇りを持ってこの刑罰に服するのである。
「しかしシーシュポスは、神々を否定し、岩を持ち上げるより高次の忠実さをひとに教える。かれもまた、すべてよし、と判断しているのだ。このとき以後もはや支配者をもたぬこの宇宙は、かれには不毛だともくだらぬとも思えない。」

「頂上を目がける闘争ただそれだけで、人間の心をみたすのに十分たりるのだ。いまや、シーシュポスは幸福なのだと想わねばならぬ。」


カミュのシーシュポスも映画のアンディも、不幸な、不運な自分を百も承知で、それでも生きて行く。

「心の豊かさを失っちゃダメだ」
『シーシュポスの神話』(新潮文庫)   『ショーシャンクの空に』

08/16 <分福の説>

先月の30日は、明治の文豪、幸田露伴の命日、蝸牛忌でした。
露伴は自分の家を蝸牛庵(カタツムリの家)と呼んでいたところからそう呼ぶのです。
よく引越しを繰り返していたようで、カタツムリの家、なのです。

ここで一曲。
「でんでんむしむし かたつむり お前の頭は どこにある 角だせ槍だせ 頭だせ」

でんでんむし、って妙な言葉。と思っていたら、地方によっては“ででむし”と言うらしい。
出出むし。角出せ、槍出せ、頭出せ。出せ出せぃ...。出ん出ん。
そんなこんなで、“でんでんむし”へと変化したようだ。
カタツムリをマイマイともいうけれど、これは“舞い舞い”とのこと。殻の渦巻きが舞い舞い。
ちなみに、カタツムリは、“かたつぶり”から。“かた”は“形”で“つぶり”は“ツノ振り”。

「博物館明治村」(蝸牛庵あります。) http://www.meijimura.com/
「松岡正剛の千夜千冊『蝸牛庵訪問記』」 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0247.html

で、露伴の『努力論』。(其の六)


「分福の説」の巻。

- 分福の説 -(幸福三説第二)

「福を惜しむということの重んずべきと同様に、福を分かつということもまた甚だ重んずべきことである。」

「惜福は自己一身にかかることで、いささか消極的の傾があるが、分福は他人の身上にもかかることで、おのずから積極的の観がある。」

「分福はどういうことであるかというに、自己の得るところの福を他人に分ち与うるをいうのである。」

「たとえば自己が大なるスイカを得たとすると、その全顆を飽食し尽すことをせずしてその幾分かを残し溜むるのは惜福である。その幾分を他人に分かち与えて自己と共にその美を味わうの幸いを得せしむるのは分福である。」

「惜福の工夫を為し得る場合と然(しか)らざる場合とに論なく、すべて自己の享受し得る幸福の幾分を割いてこれを他人に分ち与え、他人をして自己と同様の幸福をば、小分にもせよ享受するを得せしむるのは分福というのである。」

「惜福は自己の福を取り尽さず用い尽さざるをいい、分福は自己の福を他人に分ち加うるを言うので、二者は実に相異なり、また互に表裏をなして居るのである。」

「福を専らにしようという情意は、実に狭小で鄙吝(ひりん)で、何ともいえぬ物淋しい情意ではないか。言を換うれば、福らしくもなく福を享くるということになるではないか。」

「己を抑えて人に譲る、是の如きは他の動物に殆どなきところで、人にのみあり得るところである。物に足らざるも心に足りて、慾に充たざるも情に充ちて甘んずる、是の如きは他の動物になくして人のみにあり得るところである。」

「禽(とり)は蔭深き枝に宿し、人は慈悲深きところによるものである。」

「慈悲深きものの発現はただ二途あるのみで、その一は人のためにその憂を分ってこれを除くのであり、他の一は人のために我が福を分ってこれを与うるのである。」

「即ち我が福を分って衆人に与え、而して衆人の力に依って得たる福を我が福とするのである。」

「すべて人世の事は時計の揺子の如きものであって、右へ動かした丈は左へ動くものであり、左へ動いた丈は右に動くものである。天道は復すことを好むというが実にその通りで、我より福を分ち与うれば人もまた我に福を分ち与うるものである。」

08/15 <終戦の日>

昼前に市内のお寺へお参り。父方の祖父は軍人だった。

本日、終戦の日。
テレビは毎年同じ事の繰り返し。反戦、平和。歯が浮くようなお題目ばかりが延々と流れてる。
靖国参拝は公的か私的か。戦犯合祀は是か非か。代替施設の建設は。

そんな中、愛媛県教育委員会が扶桑社の『新しい歴史教科書』を採択。
これがニュースになること自体変な話だと思うのだけれど。
日本は、中国や韓国のような国が定める国定教科書はない。国が教科書を決めるのではない。
検定を通ったものであれば自由に採択が出来る。はず。

"Be Gentleman."(紳士たれ)と、言ったのはクラーク博士だけれど、だいたい反対派の方々は品がない。
邪気を打ち払う“うちわ”って...、新興宗教じゃあるまいし。

反対であれば、「つくる会」がしたように新しい教科書をつくって問うべきです。
圧力をかけるのはよろしくない。品がない。

「反戦・平和アクション」 http://peaceact.jca.apc.org/
「愛媛県立中高一貫の教科書がピンチだ」 http://www.dokidoki.ne.jp/home2/zxvt29/
「『つくる会』の邪気を打ち払う《うちわ》作成」  http://www.dokidoki.ne.jp/home2/zxvt29/utiwa.htm


坂口安吾『特攻隊に捧ぐ』(新潮文庫『堕落論』収録)

「たとえば戦争中は勇躍護国の花と散った特攻隊員が、敗戦後は専ら『死にたくない』特攻隊員で、近頃では殉国の特攻隊員など一向にはやらなくなってしまったが、こう一方的にかたよるのは、いつの世にも排すべきで、自己自らを愚弄することにほかならない。もとより死にたくないのは人の本能で、自殺ですら多くは生きるためのあがきの変形であり、死にたい兵隊のあろう筈はないけれども、若者の胸に殉国の情熱というものが存在し、死にたくない本能と格闘しつつ、至情に散った尊厳を敬い愛す心を忘れてはならないだろう。我々はこの戦争の中から積悪の泥沼をあばき天日にさらし干し乾して正体を見破り自省と又明日の建設の足場とすることが必要であるが、同時に、戦争の中から真実の花をさがして、ひそかに我が部屋をかざり、明日の日により美しい花をもとめ花咲かせる努力と希望を失ってはならないだろう。」

「彼等は自ら爆弾となって敵艦にぶつかった。否、その大部分が途中に射ち落とされてしまったであろうけれども、敵艦に突入したその何機かを彼等全部の名誉ある姿と見てやりたい。母も思ったであろう。恋人のまぼろしも見たであろう。自ら飛び散る火の粉となり、火の粉の中に彼等の二十何歳かの悲しい歴史が花咲き消えた。彼等は基地では酒飲みで、ゴロツキで、バクチ打ちで、女たらしであったかも知れぬ。やむを得ぬ。死へ向かって歩むのだもの、聖人ならぬ、二十前後の若者が、酒をのまずにいられようか。せめても女と時のまの火を遊ばずにいられようか。ゴロツキで、バクチ打ちで、死を恐れ、生に恋々とし、世の誰よりも恋々とし、けれども彼等は愛国の詩人であった。いのちを人にささげる者を詩人という。唄う必要はないのである。詩人純粋なりといえ、迷わずにいのちをささげ得る筈はない。そんな化物はあり得ない。その迷う姿をあばいて何になるのさ何かの役に立つのかね?」

「我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るということ、それを必死に愛し、まもろうではないか。軍部の欺瞞とカラクリにあやつられた人形の姿であったとしても、死と必死に戦い、国にいのちをささげた苦悩と完結はなんで人形であるものか。」

「青年諸君よ、この戦争は馬鹿げた茶番にすぎず、そして戦争は永遠に呪うべきものであるが、かつて諸氏の胸に宿った『愛国殉国の情熱』が決して間違ったものではないことに最大の自信を持って欲しい。」


彼らは今日のこのゴタゴタの茶番をどう見ているのだろうか。
戦争が終わって57年。いまだに人々の思惑に翻弄されてるようで悲しくなってくる。
いいかげん安らかに眠らせてせてあげたい。

08/14 <Boys, Be Ambitious.>

1876年の今日8月14日、札幌農学校開校式が行われた日。

初代教頭クラーク博士の薫陶を受け、新渡戸稲造や内村鑑三、そうそうたる国際人を輩出することとなる。

かのJ・F・ケネディが内村鑑三の『代表的日本人』 を読んで上杉鷹山に心酔したというのは有名な話。
鑑三を読んでいない日本の記者達が上杉鷹山を知らなかった、というのもまた有名な話.....。(--;;


新渡戸稲造 『武士道
内村鑑三 『代表的日本人
「松岡正剛の千夜千冊『代表的日本人』」 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0250.html

「複眼で読む上杉鷹山公秘話」 http://www.e-yone.co.jp/yozan/
「Japan's First University」 http://www.hokudai.ac.jp/bureau/nyu/beam/first_univ/index.html

08/13 <盆の入り>

本日、墓参り。

朝から運転手。室蘭の祖母の家へ寄り、午後から墓参り。
墓参りの後、白鳥大橋を通って天勝の天丼
札幌に戻ったのは23時。お疲れです。

08/12 <惜福の説>

録画してあった幸田家の番組を見た。「ETV 2002 祖母・幸田文への旅
文さんの、「天候に良し悪しはない。」という言葉が印象に残った。

そんな訳で、幸田露伴の『努力論』を読んだ。(其の五)
第四章目には「幸福三説」という幸福になるための三つの方法が書いてある。その方法とは...。

1、惜福 = 福を惜しむこと。

2、分福 = 福を分けること。

3、植福 = 福を植えること。


「惜福の説」の巻。

- 惜福の説 -(幸福三説第一)

「第一に幸福に遇う人を観ると、多くは『惜福』の工夫のある人であって、然らざる否運の人を観ると、十の八、九までは少しも惜福の工夫のない人である。」

「惜福とはどういうのかというと、福を使い尽くし取り尽してしまわぬをいうのである。」

「十万円の親の遺産を自己が長子たる故を持って尽く取ってしまって、弟妹親戚にも分たぬのは、惜福の工夫に欠けて居るので、その幾分かをば弟妹親戚らに分ち与うるとすれば、自己が享けて取るべき福を惜み愛(おし)みて、これを存留して置く意味に当たる。これを惜福の工夫という。即ち自己の福を取り尽くさぬのである。」

「如何なる人物でも周囲の事情がその人を幸にすることに際会することはあるものである。その時に当たって出来る限り好運の調子に乗ってしまうのは、福を惜しまぬのである。控え目にして自らを抑制するのは惜福である。」

「倹約や吝嗇を惜福と解してはならぬ、すべて享受し得べきところの福佑を取り尽くさず使い尽くさずして、これを天といおうか将来といおうか、いずれにしても冥々たり茫々たる運命に預け置き積み置くを、福を惜むというのである。」

「何故に惜福者はまた福に遇い、不惜福者は漸くにして福に遇わざるに至るのであろうか。」

「強いて試みにこれを解して見れば、惜福者は人に愛好され信憑さるべきものであって、不惜福者は人に憎悪され危惧さるべきものであるから、惜福者が数々福運の来訪を受け、不惜福者が終に漸く福運の来訪を受けざるに至るも、自から然るべき道理である。」

08/11 <誰も止められない.....。>

旅の荷物を降ろしたクルマが軽くて、軽快。
たいした荷物を積んでいた訳ではないのだけどすごく軽く感じる。札幌の夜は涼しいし。快適。
このまま旅の続きで何処か行ってしまいたい気持ち。
クルマやバイクなら何処まででも行ける。いつまででも走っていられる。
将来、太陽電池のクルマでも出来て、給油の必要がなくなったら、僕は止まらないかも知れない.....。

札幌に向かっていた友達は青森で断念するって電話があった。
フェリーがキャンセル待ちで乗れないんですって。

08/10 <すれ違ひ>

夜にちょっと書店まで。ただの本屋じゃつまらないので札幌駅まで行く。
僕は駅や空港が好き。暇があると行く。旅人や旅行者が行き交う場所だから。
札幌駅にもツーリング中のライダー達がいて、うらやましい。

特に買う本があった訳でもなく、ただ、どんな本が並んでいるかを見る。
PHP研究所の雑誌「歴史街道」の特集が新渡戸稲造だった。 昨日から稲造さんが繋がる。

モントリオールで知り合ったレース仲間の友達が今埼玉から札幌に向かうって電話があった。
旅の途中に何度か連絡を取り合ったのだけれど、可笑しいくらいにタイミングが悪くって。
僕が市川へ向かう途中に福島から電話を入れると、彼は明日、仕事で福島へ向かうって。
彼が福島で仕事を終えて埼玉に戻る頃に、僕は長野にいた。
すれ違い。
まぁ、ここまですれ違うとこれはこれで面白いんだけど。

けど、彼には面白くないらしい。今からバイクでこっちに向かうって...。
これるかわからないけど行ける所まで行くって。
さ、彼は津軽海峡を越えられるか!?

溜まった新聞は4日まで来た。後、今日のも入れて6日分残ってる。ふう...。


新渡戸稲造のオススメ。
『武士道』(知的生きかた文庫)『修養 』(タチバナ教養文庫)、『自警録 』(講談社学術文庫)

08/09 <旅の後>

9日振りに家に戻った。

溜まった洗濯をして、風呂。
9日分のメールチェック。

新聞も9日分溜まってる...。9日間の浦島太郎。
これから読み返して9日分の穴埋め。世間に追いつきます。このままだと9日遅れの人生になってしまう。

あらっ、新渡戸稲造の五千円札なくなるの?樋口一葉?なぜ一葉?女性だから?
新渡戸さんは日本での評価が低過ぎる。せめてお札だけでも残すべきだと思うのだけれど。


「新渡戸稲造の世界」 http://www.nitobe.com/
「にとべいなぞうさんって?」 http://www.towada.or.jp/nitobe/khp12.htm

08/09
 〜
07/31
<旅>

「旅に病みて 夢は枯野を かけめぐる。」(芭蕉) 旅に出てをります。旅日誌はこちら

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