各名門ブランド ピンボール・リスト

Stern Pinball/1999

ハーレーダビッドソン

原題Harley-Davidson
製作年度1999年
ブランド名セガ・ピンボール/スターン・ピンボール
メーカーセガ・ピンボール・インコーポレイテッド/スターン・ピンボール・インコーポレイテッド
スタッフデザイン:ロニー・D・ロップ、ジョン・ボーグ/ソフトウェア:ロニー・D・ロップ/ドットアニメ:カート・アンダーセン/ドットプログラマー:マット・ウィルソン/美術:ジェイソン・ドミニアク/音楽:カイル・ジョンソン/バックグラス画:マーカス・ロスクランツ
標準リプレイ点数2億
備考米リプレイマガジン誌ピンボールランキング10ヶ月ランクイン、初登場1999年11月号4位/2nd.イディション、3rd.イディションの存在有り/※ようつべに動画あるよ!⇒GO!
▲バックボックス。景気の良かった'90年代前半と違って大掛かりな飾りや仕掛けは無し。ハーレー社の要望でアートは渋めのいぶし銀。 ▲ハーレーと信号機が重要な狙い目。ゲイリーは“見える物すべてがプレイヤーへの語りかけである”というハリーウィリアムスの言葉を拳拳服膺として本機種を指示した
▲フィールド下部。ボタンで無限稼働するアップポストにビギナーはえらく感動するようだが、濫用しても自滅に繋がる。その前にホールディングとパスフリップを体得しよう ▲フィールド下部左右に4枚バンクずつ計8枚設えたドロップターゲット。当初レターはD-A-V-I,D-S-O-Nだった
▲ところが「我々の名を二つに割るとは縁起でもない」とハーレー社側からお叱りを受けて急遽変更。しかしその結果[L-I-V-E]to[R-I-D-E]なる粋なワードが生まれた ▲マルチボールの重要ポイントであるハーレーボディのミニチュア。これにヒットしてウィリーさせるとロックホールが現れる
▲ハーレーボディ、信号機、ランプレーン、右ループ……等々、楽しく狙えるポイントがいくつも用意されていて、うち心地はなかなかよろしい ▲ハーレーと次作ストライカーXトリームのフライヤー。契約上まだ名乗る策もあったがゲイリーは未練なくあっさりセガブランドを捨てて新社名ロゴを世に標榜した

― COMMENTS ―
●時は1999年の10月。ピンボール産業激動の月。

 “プレイフィールドは一見して誘われるデザインであり、且つどなたでも楽しく打てなければならい。ゲーム性には奥行きがあり、毎作新しさがあり、マシン自体にも故障が少ない―――。”

 ハリー・ウィリアムスやスティーヴ・コーデックといった先人達が語り続けていた、そんな良質のピンボールを作る為の鉄則を踏みにじり、ライバル会社同士で高額な映画ライセンス争奪の覇権争いを繰り返しながら短期間サイクルで粗悪台を濫造。

 そんなオペレーターとプレイヤーを袖にした運営を続けていた'90年代末のピンボールメーカー達は、迷走の報いによる清算と一時代の区切りを迎えようとしていました。

 ウィリアムスが凋落からの方途を見出そうと開発していた乾坤一擲の新機軸“PINBALL2000”筐体の収益が苦戦するのを尻目に、久々の大ヒットとなった従来的ピンボール作「サウスパーク」の追加オーダー及び新作「ハーレーダビッドソン」の製造を続けていたセガピンボール社のGMゲイリー・スターンは、オーナーであるU.S.A.セガ・エンタープライゼス社からピンボール部門を買い取る英断を下し、ストック,ファクトリー,パテント等々全シェアを購入の上、新たにスターンピンボール社へと新装することを明らかにしました。

 声明の日付は'99年10月1日。ウィリアムスがピンボール事業解体を発表する、僅か3週間前のアナウンスです。

 U.S.A.セガ側からはかねてから業績悪化の一途をたどるピンボール部門の切り離し案が浮上しており、それにゲイリーが自らの出資で応じた形になります。


 初代アーケード版ドンキーコングをUSディストリとして6万台売った実績を買われ、任天堂アメリカ社VPを務めた来歴を経て当時U.S.A.セガのジェネラルマネージャーへと就き、'94年にデータイーストピンボール社を購入した際は
 「自社製品にピンボールが加わり、これでアーケード全ジャンルの製品が揃う」
 などと発言していたアル・ストーン(故人、2017年2月死去)曰く、

 “ピンボールはコインオップビジネスにおいて一ジャンルとして残り続けるであろうが、我々セガにとっては中核を担わせるに値しない。ゲイリーと彼のスタッフが必ず成功に導くことを確信している”

 ……と声明。

 一方当時のゲイリー・スターンはこうコメントしています。

 “我々がセガ傘下であった数年間、とても充実した活動が行えた。これからは本物の生のボールアクションが楽しめるピンボールマシンを発展させてゆきたい。父サム・スターンは'47〜'64年までウィリアムスのオーナーであったし(※)、その後も'76年までマネージメントとして残存した。ピンボールビジネスの中心で育ってきた自分は、父から受け継いだこの伝統を必ず守ってゆきたい”

(※フィラデルフィアのオペレーターだったサムがハリーと共にウィリアムス社の共同経営をし始めたのが'47年で、全シェアのオーナーとなったのが'59〜'64年)


 それ以前に、「サッポロ」 「ミコシ」など'70年代に二十数作のピンボールを開発していた本家日本セガのエレメカ部門とは全く無関係なインコーポレイテッドとして、イリノイ州シカゴ市で1994〜1999年まで存続した“セガピンボール”とは一体何だったのか

 それを問うならば、プレイヤー側からすればデータイーストなる駿馬のような若々しいブランド名が大企業に奪われただけで、社名の差し替えにより消費者を翻弄した印象しかもたらしていません。

 例えば、ソニックやバーチャファイター等のセガ社所有キャラクターをピンボール製品化へ是非とも汎用させよう……なんて企画は一度たりとも出てこなかったし、そのような期待すべき恩恵をもたらすどころか、ゲイリーたちピンボール部門が全く関わっていないはずのセガ側ビデオゲーム筐体製造の委託アッセンブルを親会社命令で日々お仕着せられていただけ。

 殊に、日本国内のピンボール界隈では何の利点も変化も無く、ディストリ販売に関して日本セガは我関せず……と結局データイーストへ丸々投げ返す形に。
 初セガピンボールブランドの「マーヴェリック・ザ・ムービー('94)」から「インデペンデンス・デイ('96)」までは以前と変わらずデータイーストが国内ディストリを担うこととなり、その後もセガのロケーションで積極的にピンボールが置かれるような光景は一切見られなかったのが実情。

 手が付けられぬ程ピンボールのセールスが悪化して'96年にデータイーストですら販売代理を停止した後は、日本セガは完全にノータッチ。
 自社ブランドのピンボールでありながら見向きもしないセガのディストリ放棄により、タイトーディストリの縮小化も重なって日本国内のピンボールロケーションはほぼ干上がることとなりました。

 例外的に、1997年東京ビッグサイトにて開催されたAMショーのセガ社ブースに「ロスト・ワールド」 「X−ファイル」 のピンボール2機種が“参考出展”されましたが、ショーが終わると他国のショーへさっさと運び出し、それきり日本での公開は終わってしまいました。
 その現物2台だけでも国内ロケに出せばいいのにね。


 尚、'78年にコロンビア映画社ゴットリーブ社を購入した額は4,700万$で、'90年にプリミアテクノロジーU.S.A.カプコンからの買収話を断った際の提示額は2,500万$でしたが、データイースト、セガ、スターンそれぞれの売却・買収額に関しては、現在も詳細は明らかにされていません。

 経営難に喘いで延命措置を求めるデータイーストが足元を見られていいように買い叩かれたのか、それとも以前からつきあいのあるセガが助け舟を出してやったと言うべきなのか。
 当時セガから売却額をふっかけられ為にゲイリー・スターンが一族所有の不動産を処分してまで費用の工面に汲々と苦労させられたのか、それとも大企業ではない個人資産家が購入できる程度の額に抑える温情があったと推察すべきなのか。

 それらは今ここで断定できる程の資料はなく、判断は致しかねます。

 ただ、この買収劇においてセガエンタープライゼス(現:セガホールディングス)からはピンボール産業への敬愛や貢献など微塵も感じられず、結果的に書類数枚のサインを交わすことでデータイーストからスターンへ5年寝かして転売しただけだと、恨み節を綴られても致し方ないでしょう。


 でもそれらはもう過去に済んだこと。

 かねがねセガ直営店設置ピンボールにおける、スクープにガムテープを貼ったりホールに異物を詰め込んだりする乱暴なメンテナンスと不敬な扱いに嫌悪感を抱き、当時“セガピンボール”と呼ぶのに強い抵抗があった為「セガ/データイースト・ピンボール」と意地でも表記していた筆者ですが、現行のスターン・ピンボール社の隆盛はセガの橋渡しがあったからこそ……と感謝の意を抱けば、まぁいいんじゃないかと思っています。

 現在になって事情を知ってか知らずか、大阪SBPで“ワーイこんな所にソニック発見〜♪”とセガピンボールのディスプレイやフリッパーパーツをクローズアップして無邪気にソニックキャラをほくほく載せるSNSを時折見かけたとしても、うんうん隔世の感ひとしお……と、達観の目で黙殺スクロールしようではないですか。


 さて、そんな混迷の最中の発表となった新生スターン社第一号機「ハーレーダビッドソン」。ようやく本機種の話に参ります。

 2000年頃、同機種が本家ハーレーのバイク販売ディーラー《レターショップ練馬》にて個人輸入経由で入荷された情報を聞きつけ、普段は入らないバイクショップへ駆け付けた記憶はありましたが、初期故障で初めから重要箇所が稼働しないというあまりの状態の悪さに、しばし呆然自失となったことを覚えています。

 箱から出して間もないような新品の匂いがかぐわしいのに、ロックホールは稼働しない・フリッパーは弱い・挙句「ガンズ・アンド・ローゼズ('94)」のギルビーロールの使い回しビデオモードを1ゲーム中何度もやらされる……等々。
 これらの苦痛に耐え難かったこともあり、筆者にとって新生スターン第1作「ハーレー〜」の印象は救いようのないものでした。

 ところが2017年になって大阪シルヴァーボールプラネットの十分なチューンナップを経てロケーションに出ていた同機種を改めてやりこんだところ、看過できない粗は目立つものの奥行き十二分な佳作といえる手応えがあり、印象が大分変わる事となりました。


 3種あるマルチボールの内、ボールロックも含めてスタンダードに楽しめるのが[ハーレー・マルチボール]
 結構大掛かりなハーレーのミニチュアにヒットさせてH-A-R-L-E-Yレターを進捗させれば、ハーレーボディが猛々しくウィリー!現れたホールへボールロック!4個目のロック完了により、轟く雷名と共に4ボールマルチが爆裂スタート!
 ジャックポット(200万〜)はハーレーボディへのヒット、スーパーJ.P.(1000万〜)はウィリーするハーレーのロックホール。尚ドロップターゲットでJPヴァリューが伸し上がるのでメチャ打ち上等です。

 個人的に最も気に入っているのが[レッドライト・マルチボール]
 左ループ、ハーレーボディ、信号機フィギュアVUK、右ランプレーン、右ループ計5か所メジャーショットたもとの盤面に描かれた信号機ライトを全て赤に変えてから信号機フィギュアVUK突入で4ボールマルチがスタート
 ジャックポット(200万〜)は全メジャーショットレーン。そしてマルチ中に全シグナルを赤に変えれば信号機VUKでレッドライト・スーパージャックポット獲得(2000万〜)

 ランプレーンシュートでギアチェンジをMAXまで上げて4ボールマルチをスタートさせ、ランプレーンでフェノメノン・ジャックポット獲得(1000万〜)の度にアドアボールが得られる[スピードメーター・マルチボール]もなかなか。


 それらマルチルールを横糸とするなら、この機種において通奏低音の如く縦糸フィーチャーとして深みを持たせているのが、[マイル数/シティカウントダウン/パッチ獲得]

 規定スイッチ反応数=マイル数を進めるとネクストシティに到達、信号機VUK400万からのカウントダウンボーナス開始。時間内にしとめればそのボーナスと共にパッチを獲得
 合計パッチ数が16枚に至ると、最終目的都市であるハーレー本部ミルウォーキーに到達。ここで待ち構えるはマキシマムマルチボール最終ウィザード!
 尚4都市毎のパッチアウォードにはハリーアップEx.もあり!

 因みにネクストシティへの到達方法はいくつかあって、スーパーポップバンパーでワンヒット3マイル数でマイレージ稼ぎ、4枚バンクドロップターゲットを2か所とも完成+スクープショット、オートシュータースキルショットでネクストC選択……等々。

 まめに右ループ狙ってバンパー地帯を集中攻撃するか?スクープ点けてこつこつ取り進める?いやマルチボールに集中すればマルチ1回で100マイルは固いぞ……などなど、プレイヤーによって戦略性が問われるフィーチャー構成になっているのですよ。

 しかも信号機ハリーアップを逃すと、またマイル数稼ぎをやり直し!その上パッチ数が進むとネクストCノルマは150,200,250,300……とだんだん嵩んでゆくというシビアさが何ともマニア泣かせ。
 でもエキストラとウィザードを狙うなら絶対に逃せない!

 惜しいのは、ネクストシティの報酬がカウントダウンボーナスとハリーアップEx.ぐらいで、もっと色々アウォードを設けて欲しかったところ。


 また重ね重ね申しますけれど、コレさえ無ければね……と思わされる禍根が、全スタンダップ完成でVUKにかかる使い回し興醒めビデオモード[ギルビーロール]の退屈さ

 このビデオモードがもしセレクトフィーチャーだったら最高なのに。

 ボーナスホールド,アウトレーンEXリット,スーパーJPオールリット,3パッチ一挙獲得,スピナー10倍,アップポストフルタイム稼働,アンリミテッドスピードポップ,プレイフィールド2X……とか何とか項目が次々に選択できたら、どんなにゲーム性が向上したか!

 なぜこんな酷い手抜きしたの。本来付けたかったフィーチャーが納期ギリギリで間に合わなかった窮余の一策?
 ……もしかして本家ハーレーディーラーの展示会にスターン社がブース出展申し込んじゃってて、ソレに合わせて無理やり完成を急いだとか?同機種の発売がサンディエゴのハーレーイベントにギリギリで間に合ったって言うし。

 どんな理由があるにせよ、この制作上一か所の間然が、ゲーム性と全体の印象を大きく堕している最大の要因と言ってもいいでしょうね。勿体無い!


 おっと忘れてはいけない、2000年代のスターンでは汎用されていた、ボタン操作稼働アップポストの存在。

 プレイヤー側のボタン操作でセンターポストを3秒ほど上げられるボールセーヴァーがことのほか重宝。

 初心者はどうしても濫用して自滅的な使い方をしてしまいがちですが、上級プレイヤーはここぞというタイミングでセンタードレインを防ぐのみならず、きわどいデッドバウンス時の保険としても活用。
 ポストが下がる瞬間だとむしろドレインへ引き落とされかねない故に注意も必要で、センターピンとはまた違うテクニックと経験が問われます。思った程奥行があってことのほか面白い

 もしアップポスト使用回数が1ボールにつき限られていて、その回数を増やすフィーチャーを設ければ、もっと良かったのですが。

 そう言えば墓石ターゲットセンサー、フリッパー強度、VUK性能の劣悪さ等々の初期故障が大いに物議を醸した「テイルズ・フロム・ザ・クリプト('93)」には実は生来にゲーム性の高さが隠れており、その後十二分にメンテを施されたロケーションで再評価されたことがありました。

 共にオペレーターにとっては困った粗悪台ではあるものの、同じくジョン・ボーグのデザインによる本機種ハーレーもチューンナップされた状態で吟味すれば十分な佳作であり、後々見直されたテイルズ時の評判を彷彿させられました。


 さてさて、スターンハーレー台から先立つこと8年。他社WMSバリー'91年製「ハーレーダビッドソン」は低予算シングルレベルフィールドという試験的なゲーム内容であった為、同社が小規模ユニット製造に抑えて3ケタ程度の台数を売り切った矢先。
 その存在を聞きつけた本家ハーレーのディーラーや愛好家達から追加オーダーを受注。まさかのセカンドプロダクションを発動させたという逸話を後世に伝える一機種でした。

 ピンボーラーもライダーもメカニカルフェチ人口を多く有するという共通項が見られますし、バイクや車ネタのピンボール化は相性抜群であることは過去の各機種でも証明済み。

 そんなハーレーという題材を、スターンのスタッフはどのように料理していったのでしょう。


 “バンダナを巻いた大男が我々の商品にまたがり、グラマラス巨乳美女をはべらすなんてアートは先ずやめてもらいたい。弊社ハーレーは今「荒くれ者が乗るバイク」からのイメージ脱却を図っている。1台3万ドルで多くの人々に販売し、普通のビジネスマンに乗ってもらうことを宗としているのだ”

 とあるハーレーショーでライセンサー達から認可を得る為にミーティングしたスターン側スタッフは、まるでピンボールアートの常套を見透かしたかのようなハーレー社側の要望により、アートの描き方について重々釘を刺されることになります。

 主役のライダーをグラマラス美女にしたがっていた美術班のジェイソン・ドミニアクは結局、黒一色の皮ジャンとヘルメットにビシッと身を包んだクールなライダーを描出。
 またフィールド下部に描かれる道標の行き先[スタージス][シカゴ]の表記の内、これまたハーレー社側の要望でシカゴをデイトナに変更しました。

 一方制作スタッフ一味連判のトップビリング名は、フィールドデザインとソフトウェア同時進行を忙殺覚悟で請け負ったロニー・D・ロップ
 データイーストピンボール第一号機「レーザー・ウォー('87)」から既にプログラミングを担当。
 ゲイリーや以前のチーフであるジョー・カミンコウ達にとって、言わばソフトウェア部門を任せられる古株の懐刀と言える人物。

 “俺ぁハーレーには乗ってねぇんだけどよ、10代の頃はBMXとバイクに入れ込んでたんだぜ。14から18ぐらいの頃までは結構グレちまってて、実際にレースにも出て男をあげたりしてよ、大分バイクには燃えてたんだ。だから今回のハーレー台の仕事は、俺にとってはお誂え向きってなもんだ”

 そう語る元荒くれ者のロニーは今回、景気の良いマルチボールルールを3種導入。

 以前ロケテスト現地で、マニアではない一般人にピンボールプレイの感想を伺ったところ、
 “細かいルールは良く分からないが大量ボールがドカッと降ってきて打ちまくったらドカッとスコアが入って楽しかった。だから何となく稼ぎ処が分かった”
 ……と聞かされたことがあったとか。そのマーケティング調査の経験が、今回のゲーム性の反映に活かされているようです。

 “ピンボールもハーレーも一家に一台置くべきだな!持ってる奴ぁクールだぜ”

 そんな義侠心溢れるロニーが今回ハーレーゲームの原案を立ち上げていた訳ですが、プレイフィールドデザインの叩き台はと言うと、「メタリカ」 「キッス」「エアロスミス」等々近年洋楽系スターン台での活躍も華々しいジョン・ボーグが手掛けたもの。

 当初彼のデザインではポップバンパーは7つもあったし、ハーレーボディも小さ目。
 何より左に一つ・右に一つ入口があり、それが降坂で十文字に二度も絡み合って繋がり合った巨大ランプレーンが、フィールド上最も目を引く存在でした。

 そこへメカニカルエンジニアのレイ・タンザーが、よっこらしょ…と巨大信号機フィギュアを試しにVUKレーン入口へ置いてみたところ、“あっソレいいねいいね”と盛り上がりって皆が肯定。

 フィールドデザインの目玉はこの信号機にしよう!ということになり、大き過ぎたランプレーンを控え目にしてバイクのボディも大胆に大型化。全5か所メジャーショットコースの盤面に信号機ライト表示をつけ、新たなマルチのルールを考案。

 こうして更なる各アイディアがみるみる膨らんでいったのでした。

 因みに信号機フィギュアの製品版スカルプチャは、前年セガピンボールのゴジラの頭も製品化したエヴォリューションスタジオ社のデイヴ・リンクが完璧に仕上げてくれることになり、あの出来の良い信号機ミニチュアが完成したのでした。

 それでも手一杯なロニーのアシスタントとして、今回ディスプレイのソフトウェア全般を引き受けたのは、俊英マット・ウィルソン
 世界的な会計事務所であるプライスウォーターハウスクーパース社で会計プログラミングシステムの開発に携わったという来歴の持ち主であり、シカゴ都市部でディスクジョッキーもこなしているという多才なエンジニアなんだって。

 またそこへ更に頼もしい助っ人が。'96年に閉鎖されたプリミア社から移籍してきた名デザイナー“ミスタールール”こと ジョン・ノリス

 「スーパーマリオブラザーズ('92)」 「キュー・ボール・ウィザード('93)」を手掛けた鬼才で、過去のラインナップには「ダイヤモンド・レディ('88)」「ライツカメラアクション!('89)」 「ヴェガス('90)」 といったマニアが膝を乗り出すような逸品も多し。
 その彼がヘルプに駆け付けてくれた訳です。

 ノリスはプリミア時代にはレイ・タンザーとコンビを組み、タンザーがデザインチーフの時は己がルールサポートを担い、自分がメインでフィールドデザイン担当の際はタンザーに支えてもらっていました。

 フィールド設計とルール調整の同時進行がどれだけ大変なハードワークか。
 それを身を以て理解していたノリスは、次作プランを2つも抱えて多忙の中、合間を縫ってロップやボーグ達に手を貸しに来てくれたのでした。

 彼が構築したのは、あのネクストシティやハリーアップなどスイッチ反応マイル数関連の一連フィーチャー全般。
 このマイレージルールが今作のゲーム性に奥行きを持たせ、マルチボールとバンパーの存在意義に更なる重要性をもたらすことになります。

 そう言えばカウントダウンボーナスをピンボール史上初めて導入したのは、ノリスのデビュー作「ダイヤモンドレディ」でした。
 規定スイッチ数突破で突然ジャックポットが掛かる!なんていうノリスとタンザーのゴットリーブ台もありましたしね。
 データベース上ではノンクレジットですが、彼の才覚と真骨頂がこんな形で活かされていたのです。


 一方、'99年の夏に開かれた大規模なU.S.A.セガ系列の合同会議に呼び出され、業績の低迷及びピンボール市場の深刻な悪化をセガのマネージメント達に弁難されたゲイリー・スターンは、

 “我々はピンボール作りの初心へ戻り、今後は一般人向けのゲーム作りに心を砕く。「レトロ」をキーワードに、音楽・美術・デザイン、全てにおける原点回帰を目指す。そして従来的なピンボールの魅力である、生のボールを打ち返す野生感を全面に打ち出してゆく”

 ……と宣言。

 ハーレーダビッドソンという100年近い歴史のある“レトロ”なバイクメーカーブランドを新作ピンボールのテーマに採用し、ノスタルジー且つボールアクションとメカニカル性の野性味が存分に味わえるゲーム性を部下たちに指示。
 最終的にはコスト面の問題で削除されたものの、ゲイリー本人のアイディアにより、ハーレーフィギュアの車輪がボールヒット毎にモーター回転するメカアクションも導入させます。

 次にゲイリーはステッペンウルフの音楽ライセンス取得へと動き、かの「ワイルドでいこう!Born to Be Wild」を今作のBGMに導入、プレイ中のテンションをごキゲンに演出。

 またこのテの台はバイクショップ・バイクオーナーにも売れるセカンドマーケットへの需要を確信していた彼は、ハーレーの愛好家団体HOG(ハーレーズオーナーズグループの略)へ、大々的な営業へと向かいます。
 更に、名のあるバイクの評論家たちにもハーレーピンボールの資料提供を怠らず、ハーレーのイベントやディーラーズショーにもブースを申し込んでハーレーピンボールを出品販売。

 右腕だったVPのシェリー・サックスや、前作を最後に去ったデザインチーフ兼ライセンスチーフのジョー・カミンコウはもういない。今や社長自ら、八面六臂に東奔西走!

 相変わらず凄まじく逆境に強い、ゲイリー・スターンの不撓不屈ぶりには驚くばかり。

 実はハーレーの前作「サウスパーク」が、発売月にリプレイマガジン誌インカムランキング全アーケードジャンルで初登場1位、またリリース9か月後にはゲーム雑誌でピンボール人気投票1位、更にAMOAショーでモストプレイドピンボール賞を受賞……等々。
 はやまって奇形的な台を開発して没落へと沈むウィリアムスを見返すような大成果を挙げており、その自信と矜持が、ドン底を乗り越える原動力になっていたのかも知れません。


 「ハーレーダビッドソン」は名作ともヒット作ともなりませんでしたが、ようやくセガの桎梏から逃れたゲイリー・スターン率いるピンボールプラントが、世に自社の姿勢を示す一里塚と言える製品となりました。

 何より、契約上まだしばらく使えたはずのセガ社のロゴに一切すがることなく、次作「ストライカー・エクストリーム」ではスターン社のニューデザインロゴを堂々と標榜。倉庫に余っていたセガピンボールロゴ入りパーツ類も全て破棄。
 その姿勢にこそ、彼らの強い独立心と今後猛進せんとする気概が歴々と現れているではありませんか。

 これから我々は、スターン・ピンボール・インクだ!



▲ランプLは入れにくくはないが、ミスショットで脇のスタンダップに当たるとワンクッションで左アウトレーン直行という恐怖のポイント ▲フィールド全景。ボールフローもレーン構成も良いが、アートが少し荒目。まるで規模の小さい画像サイズを拡大したみたい ▲フィールド奥のバックパネルには“LIVE to RIDE”と炎吹き荒れるロゴで書かれている
▲賑やかし扱いが多いバンパーだが、本機種ではことのほか重要。スクープのネクストシティとランダムボーナスもヴァリューが高い ▲信号機フィギュアのアップ。カウントダウンボーナスとレッドライトマルチボールがかかる重要箇所 ▲ランプレーンと右ループ入口。特に右ループは重要で、ハイウェイかっとばしスピードポップス連打でマイレージが稼げるポイント
▲左アウト&リターンのアップ。ボゾフィーチャーとしてアウトLにEx.2個のリットあり。あっさり3ボール目を迎えるとコレが点く ▲フィールド&バックボックス全景。既に製造が始まっていたため筐体全体にはまだ随所にセガブランドが打たれている ▲最後は右アウト&リターンのアップで。尚、アウトレーンは結構落ち易い方ですよ

(2017年6月29日)