あつのひとりごと・・・

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6月29日(日)

お昼近くまで寝た・・・
郵便局や買い物をする為に中野へ。
その後帰宅して洗濯をし、更に自分の家に帰って洗濯をしに行く。
二重生活は疲れる(涙)
帰りに不動産屋へ寄り、実家近くの駐車場を探す。
手ごろな所があったので来週末契約することにした。
又、明日から仕事。バタバタしてるけどこんな時は仕事に行ってる方が
気分的に楽だなぁ



6月28日(土)

今日は、今後のスケジュールを決める為にお寺へ行った。
お墓は、東松山にあるお寺の中の霊園。母方の祖母の姉妹が実は
隣のお墓。その祖母の姉妹が亡くなった時についでにうちもお墓をつくり
墓石まで立ててしまった(^^;)
道路が空いていれば、自宅から車で1時間位。
うちにはまだ用がなかったので一度しか行ったことがなかったお寺へ。
お坊さんとお話しをしてお母さんの戒名についても話を聞く。
「千樹妙鶴信女」という名前をつけてもらった。
千と鶴は母の名前の中にあった字。この中に「樹」という字を何故使ったのか?
というお話しをしていただいた。
実は、私自身「樹」という字が何故か好きだったのですごくビックリしてしまった。
7月26日(土)に納骨を行うことになり、お盆は来年が新盆。
帰りにお墓に寄って、お墓を綺麗に掃除して帰ってきた。

夜、オフ会が新宿であった。
みんなにとても心配してもらったので是非顔だけでも出したいと
思っていたけど、色々しなくちゃいけないことがあるのと
ちょっと疲れてしまって結局顔を出すことができなかった。
途中、くうねるくんから電話がありみんなにちょこっとずつ電話を変わって
話をした。Norikoさん同様初めてオフ会を欠席。
私の方が落ち着いたら又やりましょう!と行ってくれた。
なんだか早くみんなに逢いたいな・・・



6月24日(火)

今日は、早く帰れた。夕食を作って、洗濯して・・・・
一息ついたときにメールチェックをした。
するとひとり言を読んだという数人の友達よりメールが届いていた。
どのメールも心が温かく、とてもうれしかった。涙が出た。
私みたいな者にもとても素敵な友達が沢山いるのだと改めて感じた夜だった。
いつもだと一人一人にすぐ返事を書くのだけど・・・・
何故か書くことができない。
やっぱり自分の中でまだ整理ができずに混乱しているのかもしれない。
だけど、頂いたメールには少し時間がかかるかもしれないけど、
必ず返事を書きます。ありがとう。

ふと、お風呂に入りながらお坊さんの言葉を思い出した。
「人の命は儚い。長く側にいて生きて欲しい気持ちはもちろんあるけれど、
その儚さを知り、感じた人は、命の尊さを知ってちゃんと生きていけるでしょう」
言葉はちょっと違ったかもしれないけど・・・
でも確かにそうだな・・・と思った。
今回のことで本当に「命とは儚いもの」ということを感じた。
だからこそ・・・一日一日を大切に生きていかなければいけないんだなぁと
思った。まぁ、そうは思ってもなかなか出来ないのも現実だけど。



6月23日(月)

今日から出勤。
色々してくれた方達にお礼を言って回る。
たった一週間休んだだけなのだけど、すごく長い間休んだような感じ。
何故か自分だけ取り残されたような気になってちょっと寂しく思った。
でも、お昼前にはすっかり元通り。
金曜に会社に電話をした時に仕事の状況を聞いてみると、
今日は残業になりそうだったので昨日のうちから夕飯の用意をして出てきた。
お父さんには、それを食べてもらうようにメールし、残業をして帰る。

夜、改めて母が亡くなった日のことをひとり言に書いた。
忘れないうちに書いておきたかったのが正直な気持ち。
読み返してみると色々忘れていることが多い。というか記憶が飛んでいる所が
あることにびっくりする。たった、数時間の出来事なのに・・・
それだけ気が動転してたんだろうなぁ。



6月22日(日)

あっという間に1週間が過ぎ、又明日から仕事へいく。
おっとには、家に帰ってもらった。
私はしばらく実家でお父さんと生活することにした。
今の職場へは、実家からの方が近いし。
納骨が終わるまではまだまだバタバタするだろうけど・・・
今回、私の周りの人がとても温かい言葉。気持ち・・・沢山くれました。
私の母なのに沢山の友達が来てくれました。
ありがとう。みなさんの気持ちは一生忘れません。私の宝なのだから。



6月18日(水)

朝10時より葬儀。
いよいよ今日でお別れ。
冷たくなってしまったお母さんに頬を寄せた。
火葬場へ行き「これでお別れです」と声を掛けられドアが閉められる瞬間
今までに溜まっていた思いが一気に出た。
自分でもびっくりする位嗚咽してしまった。
お母さんはもういない。そして天国へ旅立ってしまった。
お母さん、ありがとう。大丈夫。私は頑張るよ。



6月17日(火)

午後3時に出棺。
お父さんは霊柩車に乗って一足先に式場へ。
私とおっと、従姉とその子供は一緒に歩いて式場へ。
通夜には、予想を超えるほどの沢山の人が来てくれた。
近所の人が多かった。
小さい時に沢山遊んでもらったおばさんやおじさん。そして幼馴染達。
色んな想い出がよみがえってきて涙が止まらなかった。
私の派遣先の課長と仲のよい女の子も来てくれた。後で記帳の欄をみたら
部長や沢山の課長、社員さんからお香典を預かってくれたことを知りびっくり。
そして・・・母の人徳に改めてびっくりした夜だった。



6月16日(月)

会社に電話する。
今週一杯はお休みをもらうことにした。
少し体調も戻ってくる。お父さんはあいかわらず、お母さんが突然いなくなった
ショックと体力的にまだまだ辛そう。
なるべく無理をせず、疲れたときは休んでもらうように言った。
今日もお母さんと一緒に寝る。
今日でお母さんと一緒に寝るのも最後だなぁ。



6月15日(日)

昨日は、お母さんが病院から帰宅すると次々と親戚の人がやってくる。
哀しい。寂しい・・・そんな事を改めて思う時間もなく
気が付けばお昼を過ぎていた。
眠りたい・・・でも私よりお父さんの方がもっと体力的に辛いはず・・・
先にお父さんに少し横になってもらう。
お父さんが起きてから私も1時間半位仮眠を取る。
もっと眠りたい・・・もっと横になりたい・・・でもそんな余裕はなかった一日だった。
今日は、少しだけゆっくり。
今日が友引だったため、火葬場等が混雑していて通夜が17日(火)、
葬儀が18日(水)になった。時間が少しある。
この間に身体を休めてお母さんをちゃんと送りだしてあげないと・・・・

夜は、お父さんとおっとには2階に寝てもらい、私はお母さんの側で寝る。
二人きりになった時に今までのお礼と謝罪をした。
沢山、わがままを言ってきた。沢山愛情をもらっていたのになかなか
それに答えることができなかった・・・悪い娘だったな。
お母さんは眠っているようだ。
寝息が聞こえている錯覚に落ち、何度も目を覚ます。
その度にお母さんの顔を覗き込む。でも目を覚ましてくれることはなかった。
お母さん、おやすみ。



6月14日(土)

12時過ぎに電話が鳴った。自宅の固定電話のベルがなるなんて両実家から位。
イヤな予感・・・出るとお父さんだった。
「母さんが倒れたんだよ。ちょっと来てくれないか?」。「やっぱり・・・」
でも、意外と冷静なお父さんの声にちょっと安心。
それでも早く行かなくちゃと胸がドキドキする。

実家に到着すると母が奥の部屋でしきりに「足が痛い、痛い」と倒れていた。
意識はしっかりしている。でもかなりヤバイ状況に即救急車を呼ぶ。
救急車が到着するがいつもかかりつけの病院に連絡をしてもらうも
容態がかなり重体なので受け入れられないと返事。
別の病院に連絡を取ってもらいそこへ運んでもらうことに。
救急車が到着してから20分以上。ウダウダしている。
それに救急隊の一人がかなり横柄な態度に思わずどなってしまった。
仕事だから事務的なのはわかるけど、もっと言い方があるでしょ!!!!
それに対処が遅すぎ。イライラしながら病院へ。

あいかわらず足が痛いと訴えている。
先生が来てお母さんの様子を見ると「これはかなり悪いなぁ・・」と一言。
そして「これは助からないと思います」と即言ってきた。
「は?まだ意識もあるのに。痛がっているけど、ちゃんと受け答えもしてるのに!
何言ってるの?軽々しく悪いとかダメだとか言わないでよ!!!」
と、かなりムカっとしてしまった。
まだ痛がっている母の身体を見せながら先生の説明を受ける。
左側のおへそから左足がまっさおになっている。色鉛筆で塗ったように・・・
母から離れた所で・・・「今左側の足は血液が流れていない状態です。
すでに細胞が壊れ初めています。最悪は足を切断することあるかも」
との事。「足ぐらいで済むならいい。命だけは助かって欲しい・・・」
そんな思いで一杯だった。

結局、ICUに運ばれる。一緒についていく。
家族はICUには入れず家族待合室で待たされる。
どれくらい待ったのか時間の感覚がまったくない。
多分、20分とかだったのかな。
呼ばれて中に入る。お母さんの様子を見るとあいかわらずひどく痛がっている。
手を握って声をかける。先生が説明したいのでこちらへ・・・と
母から離れた場所へ行く。
「動脈が詰まっています。多分・・・もうダメだと思います」。
先生の言ってる言葉が受け入れられず、夢の中の様な感覚。
それでも病院の医者というのは、最悪の結果を見越していつも大げさに
ものを言うものだと信用できなかった。
更に先生は「まだ意識があるので今のうちにお話しておいてください」と言う。
それでもどこの血管がつまっているのが場所を特定する為に
CTを撮るというので又待合室で待たされる。
30分以上検査に時間がかかる。
結果、2箇所が詰まってることが判明。この病院では手術ができないので
病院を転院し、手術をする手配をする準備をしました。と言われた。
なんだ手術できるんじゃん!だったらもっと早く言ってよ!と、思った。
病院に運ばれてから既に1時間半以上たっている。
搬送してくれる救急車が来るまでお母さんの側へ。
「血管がつまっちゃったから別の病院に行って手術だってよ!
もう少しがんばって!」とお母さんに声をかける。
お母さんは、あいかわらず痛がっているけど、意識はハッキリしていて
とてもイヤそうな顔をしていた。
救急車が到着するまで手を握って痛がっている足をさする。
だんだん足の色が元に戻ってきた感じ。「これなら大丈夫!」そう思いながら
一生懸命さする。「眠かったら寝ていいよ」と声を掛けると
「足が痛くて寝れない」という。夜11時くらいに倒れてから既に3時間以上
痛みと戦っているから体力もそろそろ限界に近い・・・
救急車早く到着して!!!そう思いながらお母さんを励まし続けた。
お母さんの手を握りながら
「私の言ってることがわかるなら手を握り返してみて!」そう言うと
ほんの少しだけピクッと握り返してきた。
でも、もうかなり意識が朦朧としている。
救急車到着・・・担架に乗せる間ICUの入り口まで出される。
ベットから担架へ移動したと同時に看護婦さんがお母さんの名前を激しく呼ぶ。
そこからよく覚えていない。
結局、心臓停止してしまった為転院が出来なくなる。
お母さんの名前を呼ぶ。身体を叩く。戻ってきて!お願いだから!

又待合室へ・・・・部屋に設置された電話のベルがなる・・・呼ばれた。
「ダメだったんだろうな・・・・」。
ICUに行くとお母さんはまだ生きていた。人工呼吸器がつけられていた。
先ほどの痛がっていた顔とは別人の様だった。
やっと痛みから解放されたのか人工呼吸器をつけていてもすごく
穏やかな顔をしていた。
先生に「後どの位ですか?」と聞いてみた。
「自然に心臓停止するのに1時間くらいです。」
それまでお父さんと私と夫とお母さんの手を握り、お母さんの髪を整えたり
おでこをなでたりした。

実は、16日にお父さんと懸賞で当たった日帰り旅行に行くために
倒れたその日に美容院に行ったばかりだったとのこと。
自分が旅立つ為に髪を整えに行った様なものじゃない・・・
そしてしばらくしたのち、家族が見守る中お母さんは旅立って行ってしまった。
4時26分だった。
倒れてからたったの5時間半で逝ってしまった。
涙が出たけど、お母さんの身体はまだそこにある。
哀しいけど、でもまだ信じることができなかった。
しばらく・・・お母さんの側にいた。その瞬間自分が何を考えていたのか・・・・
よく覚えていない。

お母さんの身体をきれいにしてもらっている間、先生から再度詳しい話を聞き
死亡診断書を書いてもらった。病名は「大動脈閉鎖症」だった。
着替えて身体を綺麗にしてもらったお母さんは、いつもとかわらぬ顔で寝ていた。
あまりにも普通に寝息が聞こえてきそうな顔だった。
葬儀屋さんが到着する。
ICUを出たら外は明るくなっていた。
・・・・これからどうしよう・・・・



6月11日(水)

前に一緒に働いていた派遣の友達とすごく久々に銀座で食事をした。
お蕎麦がおいしいお店なんだけど、お豆腐とかもいろんな種類があって
結構おいしかったな。
で、お店に入って程なくしてから気が付いたんだけど、
自分達の座っていた所から1つ離れた所におかしなカップルがいた。
会話もおかしいけど、一番ビックリしたのはラストオーダーを取りに来たとき。
彼女が食べたいと思っていた麦蕎麦が終了してしまったらしい・・・
と、わかった途端その女ってば
「むぎぃそばが食べたくてこの店にきたのにぃぃぃぃぃ〜〜〜」と
顔を覆って泣き始めた・・・Σ( ̄ロ ̄lll)
男は「他に何か食べればいいじゃん!」と言ったら、
「もうお腹が一杯でたべれなぃぃぃぃぃぃぃ〜〜〜〜」と叫んだ・・・・こっ、こわっ!
お店の人も困っちゃって、結局明日の分を出してあげることになったらしい。
急に豹変。「ありがとうぅございますぅ〜」・・・・
その後も会話もぶっ飛んでた。
私達は自分達の会話もそこそこ、結構聞き入ってしまったけど・・・・
いやー久々に変なカップルだったな。
ちなみに、男も女もたいしたことありませんでした(@_@;)



6月10日(火)

今日から本格的に梅雨っぽいんだぁ〜・・・と天気予報を見ながら
思っていたのに仕事しながらフト窓を見れば何故かいい天気・・・・
結局、帰るまで雨も降らずちょっとラッキー♪
部長出席の会議が延びたため、その後に行われる部内会議も開始が遅れる。
17時から始まるはずが、結局1時間遅れの18時始まり。
始まってから私は、帰らせてもらった!
しかし・・・会議の多い会社だ。
仕事の途中、新崎さんから今月のあゆみさん誕生日オフ会はどうするの?
と、連絡が入る。私も気になっていたけど、とりあえず新崎さんに
先陣を切って告知してもらうことにした。よろしくお願いしま〜す!



6月9日(月)

今朝、電車を降りると反対側の電車が停まっていた。
なんか慌しいな・・・と、思ってみてみると駅員さんがズンズン電車の中に
入っていく。まだ乗客も降りてないのに・・・電車の中の乗客はビックリして
脇によけてる。「?忘れ物かな?」と見ていると
その駅員さんは、小脇に若い女の子を抱えて出てきた。
多分、電車の中で具合が悪くなったんだろう。
その子は目も閉じてほとんどダラーとなってる状態。
多分、痩せてる子なんだけど重いはず。
その子を軽々小脇に抱えてくるなんて。。。。。
かっこいいぃぃぃぃ〜〜 (*^^*) 
ちょっとうっとりしてしまった。
お陰で朝定期買おうとしてたのに忘れちゃったよ。(笑)
ちなみに駅員さんの顔は全然覚えてません!(笑)



6月8日(日)

今日は、暑くていい天気。とはいっても太陽が沢山出ているわけでは
ないのだけど・・・気持ちがいいので
又城南島まで行っちゃいました。
とにかく車の運転もしたかったし!
飛行機が旋回して大きく見える橋の上に車を停めて
しばらくボォーと見てました。海の風がすごく気持ちよかったぁー。
どうやら東京地方は、そろそろ梅雨。
貴重な晴れだったかな。
夜は実家で夕食を食べ、猫の爪を切って帰ってきました。
お母さんのから揚げはおいしいなぁ〜〜 (*^^*) 
さてさて、又明日から頑張りますか!

 駐車場で無防備に寝るネコちゃん。
 そしてふてくされた実家のネコ(笑)



6月7日(土)

前から私もほしぃなぁ〜と思っていたんだけど
買う機会を逃していたこのゲーム。
友達がこのゲーム面白い〜。って言ってたので買っちゃった!



6月6日(金)

部内会議が水曜から火曜に変更になった為、1日前倒しになって
本日から資料作成を始める。あいかわらず数字があわねぇ〜〜(==)
♪なんでだろうぉ〜をなんでだろう??♪とほほ。
しかも、朝から急な仕事を頼まれたので自分の仕事の予定が
大幅にずれた。。。。
で、いつもペアで仕事してる仲のよい子が昨日から体調から悪い為、
一人でがんばらねぇばあ〜〜(ーー;)
途中、飲みに行った部長から電話がかかってきて
「今から反省会やるから飲みにこいぃ〜」と・・・・
同じ担当にいるもう一人の女の子は行った。(カワイソウ)
でも、私はこのあと用事があると断った。
仕事も終わってないのによ・・・誰がいくかよ〜〜〜。
そして今日はみんな帰るのが早い・・・・気が付くとほとんど人がいねーーー。
普段社員や派遣も合わせると150名近い人がいるのに
4人位しかいない Σ( ̄▽ ̄;) なんか怖いし・・・・
はぁ、それにしても社員より残って仕事してる派遣の私って?一体・・・・
あいかわらず、不思議な会社だよ。大手企業ってこんなもんなんか?



6月1日(日)

低気圧も去って今日はなんだか蒸し蒸しする。
昨日運転している時にサイドミラーが雨でよく見えなかったので
今日はオートバックスに行ってサイドミラーに塗るものを買いにいった。
ついでにバックミラーが曲線でワイドに見えるやつも買った。
さっそく、帰りに運転で試してみたら結構視界が広く見えて
かえって焦点定まらず(@@)。これも慣れかしら?でも、視野が広いのは
かなりいい感じ。
そういえば、今日貴乃花の断髪式だった。テレビで見てたけど、
ふと思い出したのが私は若乃花の土俵入りを見に行ったことを思い出した(笑)
雨が降っていたけど、かなりの人がいたなぁ。
しかし、沢山の人がいたので土俵入りは大きなお尻しか見えなかった(笑)